19.理由


 彼によると、事の始りには僕の前任者が大きく噛んでいるとのことだった。
「あいつが何で離脱したか知っているか?」
「いえ、詳しくは。能力がまともに使えなくなったからだとだけ聞きましたが」
 今なら何となく想像は付く。涼宮さん側が彼女を受け入れなくなった、そして彼女が涼宮さんのストレスともなったということだろう。彼は苦しそうに頷い た。
「詳細は俺の口からは言い難い。知りたければ国木田に聞いてくれ。今ならあいつも教えてくれるはずだ。俺にとってもかなりショックな事件で、未だに引き ずっているんだ。ただ、ハルヒが絡んでいたことだけは言っておく。ハルヒの、力が、な。
 離脱する時、あいつはまともな精神状態でなく、殆ど身一つで此処を去らなければならず、所持品の整理は本人から託された俺がやった。その中に俺にあてら れた機密書類があったんだ。そこに、俺のコピーについての情報も有った。…あいつ、帝国のことを調べていたんだな…」
「僕が引き継いだ端末にも痕跡が残っていました。巧妙に隠されていましたのでつい先日まで気が付きませんでしたが。機関の指示ではありません。個人的興 味…でもないでしょうね。誰かにリークした跡がありましたから…」
 おそらく、相手は例の軍曹だろう。言葉巧みに帝国の情報を未来に伝える理を説かれ、そこにある 正義を信じて探ったのだろう。報告書とみられる文章にその痕跡が残っている。
 ただコピーの件は報告しなかったようだ。時間が足りなかったのか、別の思惑からか。あの軍曹はコピーの存在すら知らなかった。
「俺は国木田に真偽を正し、コピーが存在することだけは聞き出せた。その他のことは機密だの一点張りで口を開こうとしなかったので、長門に詰め寄った。あ いつは全部話してくれたよ。あらましを聞いてかっとなり、情動に任せて帝国のラボに乗り込みその存在を確認した。
 ラボの中央に鎮座した巨大なカプセルの中に、実験動物よろしく、俺が眠っているのを見つけた時の心境、お前に分かるか?」
 分かるわけがない。でも。
「…あの人は、初めて見たあなたのことを、『この世の絶望と怒りと哀しみを全て背負ったような、恐ろしい形相をしていた』と書いていました」
 手紙に書かれた一文を思い出しそのまま口にした。彼は、かっ、と目を剥き僕を睨んだ、いや、睨んだのは僕ではない何かだ。
「あいつのな、肩にな、傷痍痕があったんだ…」
「はい」
「銃創だぞ?何でそんなものがある?黒子じゃないんだ、何で…何で、培養カプセルから出たことのないあいつにそんなものがあるんだ!?なぁ!何でそんなも のが…っ!!」
 彼は堪えきれず、両手で顔を覆い、肩を震わせた。
 それは勿論、オリジナルである彼にそれがあるからだ。外貌も彼と一致させる為、故意につけられたのだ。でも彼はそんなことを聞いているのではない。彼 だって知っている。そしてそんな答えが欲しいわけではないのだ。
 …ああ、そうか。この人は、最初からあの人を、別人格として扱っていたのだ。自分の遺伝子を使われて、記憶を抜き取られ移されて、顔も記憶も同じだった けけど、自分ではない別の、一人の人間だと認識していたのだ。コピーを作られ、自分の人格、命が玩ばれたのを怒っているのではない。自分のコピーであるあ の人の人格が蔑ろにされたのが許せなかったのだ。誰よりもこの人こそが、あの人を一人の人間と認めていたのだ…。
 嗚咽を漏らす彼を抱きしめたくなる。だが彼は僕が行動する前に涙を拭い落とし顔を上げた。強靭なことに、一応平静を取り戻して見えた。
「人をなんだと思っている、俺はモルモットじゃない、命をもてあそぶ連中が人の、星の回帰をよくも謳える、と、猛烈に腹が立ち、後先考えずヤツを蘇生させ た。
 一連の行動には全て長門が協力してくれた。帝国の人間のはずの、観察に徹するはずの長門が、何故そこまでしてくれたのか、今でも良く分からんがな。
 あいつが完全に蘇生し、俺をきょとんとした顔で見つめている時になって、ようやく国木田たちが駆けつけてきた。やつらが何か言う前に俺が先に切れた。付き 合っていられない、と言った。俺はもう降りる、地球がどうなろうが宇宙がどうなろうが人類が死滅しようが知ったことか!俺は退役する。それがダメだってな ら俺は俺であることを止める。代わりにそいつが俺をやれば良い!と、言い放った。あいつの前で、な。
 俺のあまりの剣幕に、国木田たちは鼻白み、まず慰留した。甘言を駆使して考え直させようとした。理を説きこれが人類全体にとってどれだけ大事な計画か、 言い含めようとした。俺がなびかないと分かると脅しだ。コピーを使うなら最低でも君を軟禁しなければならなくなる、世に同じ人間は二人と要らないのだから と。好きにしろ、一生監獄で過ごすにしてもこんな茶番よりマシだと言い返した。では、家族がどうなっても構わないのかと言われた時には血の気が引いた。恐 れからじゃない。怒りだ。俺の態度は完全に硬化してしまった。
 最終的には国木田が「コピーを実践する良い機会だから」と取り成し、あいつが俺と入れ替わってテトラに行き、俺は軍の監視下で主星の衛星で生活すること になった。外に出るにも何を買うにも許可が要ったし名前も奪われた。それでも、テトラに帰るよりはマシだと思ったんだ。
 俺はあの時、軍にも、帝国にも、ハルヒにも、長門にすら、言いようもなく腹を立てていたんだ。全てが、誰もが許せなかった。
 国木田はあいつの様子を定期的に報告してきた。あまり良い知らせはなかったが、それは国木田がコピー懐疑派で、俺の復帰を促す為にわざとそうしているの だと思っていた…思い込もうとしていた。
 暫くすれば馴染むに違いない、だってあいつは俺だから。そう、無視を決め込んでいた。あいつがどれだけ大変か、思いやろうとしなかった。
 そうこうしているうちにあの事故だ…。
 すぐに国木田は俺の復帰を強要した。俺は最初は拒絶した。どうしても戻りたくなかったというより、俺はもうキョンじゃない、キョンはあいつだ、キョンの 人生はあいつのもので、あいつが死んだのならそこでその人生も終わりだと思っていたからだ。…あいつを、ちゃんと墓標のついた墓の中に入れてやりたかった んだ…。
 だが国木田に『彼は君の代わりに死んだんだよ?君の築いた人生の上でね。だから君は彼の代わりに生きなければならない。彼の死を君が背負わないと』と言 われて断り切れなかった。俺があいつを蘇生させなければ事故に遭ったのは俺だったはずで、俺があそこで死んでいればあいつはそこから俺として生きられたに違い ない。俺があいつを死なせてしまったんだ。その罪の意識が芽吹いた。
 だから、最終的には受け入れた。
 ただし、俺はあいつのコピーとする、という条件を付けて。ただの感傷だ。あいつをオリジナルとして扱ってやりたかったんだ…。
 …あとは、お前も知っている通りだ」
 殊更淡々と話したつもりだろうが、頬が時折震え、押し込めている底のない苦しみが見え隠れしていた。
「戻ってきたのは、あの人に対する罪滅ぼしなのですか?涼宮さんの為でも世界の為でもなく」
「そんな立派なもんじゃない。ただの自己満足だって」
「僕に大人しく抱かれたのも?」
「…それは…、お前が、あいつに惚れていたからだ。
 俺じゃない別人としてあいつを見ていた。お前だけがあいつを、あいつだと思って愛した。だから…」
「同情ですか?」
「と言うより嬉しかったんだ。
 俺の所為であいつは死んだ。たった6ヶ月の生だった。それまでずっと培養液の中にいて、外に出たと思ったら有無を言わせずややこしい任務を与えられて事 故で死んだ…、あいつの一生は何だったんだろうと思っていたが、お前に惚れてお前に惚れられた、その点だけは幸せだったと思う。だから、あいつを幸せにし たお前が、俺を身代わりとして抱くならそれでも良いかと思ったんだ」
 痛みも、天が与えた罰だと思えば耐えられたのだろう。そういう人だ。
「確かにあの人は、僕を愛したことで生きていて良かったとは言っていました」
 あまりに辛そうな顔をしていたのでつい助け舟を出したのに、彼は更に顔を歪め、泣きそうな顔をして笑った。
「あいつに、自分自身がコピーであると認識させてしまったのは俺のミスだ。怒りにまかせて目の前で蘇生させてしまったが、あいつの気持ちを考えるなら姿を 見せるべきじゃなかった。俺の居ないところで蘇生させれば、あいつはもっとすんなり俺として生きられたはずだ…」
 それは違う。
 それは謀略側の言い分だ。障害少なく入れ替わって欲しい上層部の考え方だ。
「自分がコピーで、あなたと違うと知っていたからこそあの人は、あの人自身の人格で生きることが出来ました。コピーがまがい物なんじゃない、コピーと知ら ず生きる他人の人生こそまがい物だ。自分があなただと思って生きるよりよほど幸せだったと思います」
 思いたい。
 あの人が不幸だったとは考えたくない。不幸だったとは一言も言っていなかった。
 だから、あなたは自分を責めないで。
 見つめると彼は、少しだけ重荷を下ろした顔をした。
 聞きたいことはまだたくさんあったはずなのに浮かんでこない。彼も、言わなくてはいけないことと言いたくないことのバランスがまだ上手く取れていないよ うだった。
 つかの間、何思うでなく互いに見つめあった。
「…で、お前はこれからどうする?」
「どう…、とは?」
「俺がオリジナルだと知って。…ってあんま関係ねーか。コピーとかオリジナルとか関係なく、お前はあいつのことが好きだったもんな」
 つきり、と胸が痛んだ。
「僕を、許して下さいますか?」
「許すって、何をだ?」
「手酷く抱いたこと…、あなたの人格を無視した行動も、たくさん取りました」
「気にしていない。何度も言うが、むしろ『あいつのことをそんなに好きなんだ』と嬉しかった。お前は俺には与えることの出来なかった幸せをあいつにくれて やった」
 そう、彼が好きだった。コピーだったからと言って関係ない。たとえアンドロイドでもドールでも、彼への思いは変わらない。それでも。
「…少し時間を下さい」
「時間?」
「正直に言うと、僕はあの人ではないあなたにも惹かれつつある。もしかしたら恋と呼んで差し支えないものかもしれません。あの人でないあなたを、好きにな りかけている気がする」
 彼の目が見開く。心底驚いているようだ。
 …何だ、同じじゃないか。自然と笑みがこぼれる。
 自分ごとに関しては評価が過小だ。この人があれほど僕に対して迷いがなかったのは、自分が自分でなくあの人だと思っていたからなのだろう。
「あなたとの関係はひとまず白紙に戻させて下さい。よく考えたら、僕はあの人をちゃんと悼んでいない。喪に服す間もなくあなたが来た。混乱したまま、身代 わりとしてあなたを抱いた。めちゃくちゃです。
 一から整理してやり直したいのです」
 良いですか?と問うと、まだどこか釈然としないまま、彼は頷いた。
「…疲れました…」
「色々あったからな」
「少し、休みます」
「そうしろ。今日はもう遅い」
 ふらりと立ち上がると彼もつられて腰を浮かす。
 ドアを開ける前に、もう一度彼に向き直る。
「また、此処に来ても良いですか?あなたと、あの人の話をしたいのです」
「もちろんだ」
 にっと笑って快諾した彼の優しい眼差しに遭い、僕の目からまた涙がこぼれた。


***


 その夜、僕はある夢を見た。
 風がそよぐ草原のような場所で、彼たちが並んで立ち、僕を見て笑っていた。
 どっちがどっちか分かるか?と、悪戯を仕掛ける子供の顔で問う。その表情は、二人、全く同じだったが、僕ははっきり見分けることが出来た。
 二人とも同じ名前なので、どう呼ぼうか一瞬逡巡した後、右が、キスまでしか許してくれなかったあなたで、左がセックスもしたあなた、というと「品がねー んだよ、お前は」「当たりだけどな」と口々に言われた。
 もう一度やるから後ろを向けと言われ、大人しく従う。
 でも何度やっても僕は彼たちを正確に見分けた。
 つっまんねー、と、左手の彼が言い、やーめた、と、右手の彼が伸びをした。
 僕を真ん中にしてくるぶしまで草の伸びた斜面に腰を下ろす。
 二人が同じ名前だとややこしい、と誰となしに言い出した。
 オリジナル,コピーなんて言い方はしたくなかったので、じゃあ一人がキョン、もう一人が本名を名乗ったらどうかと案が出たが、どちらもキョンは嫌だと 言って譲らなかった。
 何が楽しいのか、何を話したのか、僕らは良く笑った。
 同じように笑う、同じ顔の人に挟まれ、僕は幸せだった。好きな人が二人居て、二倍、幸せだった。



 目が覚めると、僕の顔は涙でぐしゃぐしゃに濡れていた。熱い涙がとめどなく溢れ、髪もシーツも濡らしたけれど、構わず、流れるがままにしておいた。その 涙は、溜まった澱を洗い流し、凍った心を溶かし解してくれた。

     とても美しい、夢だった…。





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