18.古泉への手紙


 僕は自室で彼から手渡された記録チップを長いこと凝視していた。
 色々問いただそうとした僕を制して、彼はこれを差し出した。
「お前宛の手紙だ。あいつの端末に残っていた」
「端末…って…初日に全部チェック…。!もしかしてあの開けないと言っていたファイルですか?嘘だったのですか!?」
「あの時点で開けていなかったのは事実だ。パスワードが厄介でな。ファイルは二階層になっていて、まず俺宛の手紙があった。俺に対する個人的な質問   「5才のクリスマスの時、本当に欲しかったプレゼントは何だった?」なんて恥ずかしい質問がてんこもりだった  が50、有って、その回答がそのままロッ ク解除のキーになり俺宛の手紙が開き、その手紙全文が、全文を手入力することがお前宛のファイルを開けるキーになっていた。その手紙の前に俺宛に『時期が 来たら古泉に渡してくれ』とメッセージが付いていた。今がその時期だと俺は判断した。お前に渡す。まず一人でこれを読め。話はその後だ」
 そう言われては食い下がるわけにいかない。
 長い間それを眺めていたが、外から見て何が書いてあるか分かるはずがない。「古泉!」という焦れたような彼の幻聴が聞こえ、ようやく、チップを端末に差 し込み、「古泉へ」と名の付いたファイルを開いた。
『古泉へ。この手紙を読んでいるってことは、俺はもうお前の側にいないと思う』
 そんな書き出しで、手紙は始まっていた。


***


 古泉へ。この手紙を読んでいるってことは、俺はもうお前の側にいないと思う。
 そしてこの手紙を読んでいるってことは、お前には既に俺の正体がバレてるんだろうな。
 そう、俺はキョンじゃない。帝国に作られたクローン、あいつのコピーだ。目的は…、わざわざ言う必要はないよな。
 俺は、ついこの間まで帝国のラボの一室にある培養カプセルの中で眠っていた。と、言っても俺にその記憶はない。開拓惑星ノース・ハイで生まれ、家族構成 は両親と妹、祖父母は健在だが別居している…という、オリジナルのそれと全く同じ記憶を持っている。
 ある日、定期健康検診の為半睡眠状態で検査室のベッドに横たわっていたはずが、目が覚めると真っ裸で体がびしょびしょに濡れていた。そして、目の前に、 俺と同じ顔をした男が立っていた。顔は俺だったがもしかして鏡か?とは疑わなかったな。何故なら、俺は何が起こったのか分からず呆然としていたのに、そい つはこの世の絶望と怒りと哀しみを全て背負ったような、恐ろしい形相をしていたからだ。それが俺のオリジナルだったわけだが、その時は、またハルヒがろく でもない力を発揮して世界が歪んじまったんだろうとくらいに思っていた。何せ俺自身にコピーという意識はなく、俺の記憶の元となったオリジナルにもコピーが存在するなんて 知識はなかったからな。
 それから色々あったがそれは取り敢えず関係ない。俺は自分をコピーだと知り、オリジナルの代わりにキョン作戦参謀としてテトラに向かうようにとの命令を 受けた。詳しい経緯は知らない。ただ、あいつが「お前たちにこれ以上付き合えん!」「俺は知らん!もう降りる!!」等と怒声を張り上げていたから、何かトラ ブルがあったんだろうな。国木田たち上層部は、酷く慌てふためいていた。
 とにかく俺は、「オリジナルはもう機能しないから君が代わりになるんだ」と言われた。
 はっきり言って困惑した。
 俺は俺だという自覚はあった。というかその認識しかない、用が済んだのだからテトラに帰るのに異存はなかった。ただ俺は、自分がコピーだという情報をインプットしてしまっていた。
 少し混乱したが、コピーだろうがなんだろうが俺は俺だ誰に憚る必要はないとテトラに帰還した。
 だが帝国のコピー技術ってのはまだ開発途上だったらしいな。今まで試作品は作られていたが完全にすり替えての実戦投入は俺が初めてだったということ だ。しかも緊急事態での投入だ、万全を期してのことじゃない。
 テトラに来てすぐに、俺は上手くやれていないと感じるようになった。細かいところでハルヒとすれ違う、判断が半拍遅れる。事情を知る朝比奈さんと長門は フォローしてくれるが、そのことがまた齟齬を生んだ。“オリジナルたるべくフォロー”って、“俺が”されることじゃないだろう?
 俺はキョンになりきれていない。
 そう感じるようになるまで一月かからなかったよ。
 なるってなんだよ、俺は俺だ、俺が失敗したならそれは俺自身のミスであって、誰かに成りそびれているというものではないはずだ。…とは思うのだが人工的 に作られたまがい物と知っているからこそ、任務を遂行出来ていないことに焦りを感じた。
 無理だ、俺はあいつにはなれない…いや、あいつじゃない。そう、かなり早いうちから見切っていた。
 伝え聞くに、オリジナルは軍の監視下で不自由な暮らしは強いられているが、元気でいるらしい。早めに戻ってきてもらおう、俺と入れ替わってもらわないと 大変なことになる。
    と、思っていたのだが、なかなか言い出せないでいた。
 …お前だ、古泉。
 お前がいたから俺は、踏み切れなかった。
 お前は、俺が“帰還”した一週間後にテトラにやってきた。オリジナルの俺を知らず、俺がコピーであることも知らない。
 朝比奈さんや長門のように、俺が俺ではないのに俺として振る舞わなければならないことを知っているわけでなく、他の団員のように俺でない俺を俺として扱 うこともしない。お前の前では俺は自然体で居られた。俺はただ俺で居られたんだ。お前のことを勝手に俺は心の支えにしていた。胡散臭いとかキモいとか、い け好かないとか油断がならないとか言っていたが、実は最初からかなり、気に入っていた。
 お前が俺を好きだと言ってくれた時は、夢を見ているんじゃないかと思った。あるいは、俺の精神安定の為に軍に送り込まれた工作員じゃないかってな。お前 は俺を好きだと言った。オリジナルでない、この俺をだ。どれだけ嬉しかったか、お前には分かるまいよ。
 キスされて、脳味噌がとろけるかと思った。抱きしめられて、体中が熱くなった。お前がそれ以上のものを求めていることは知っていたし、実は俺もそれを望んでいた。けど、受け入れてやれなかった。…ごめんな。
 俺は、怖かったんだ。お前を知りすぎて手放せなくなるのが。お前から離れられなくなるのが。
 俺は、ここに居ちゃいけない人間なんだ。あいつと、すぐにでも入れ替わらなけりゃいけない。だから俺は、お前に全てを委ねることは出来ない。
 本来なら今、ハルヒが俺達を置いて遠征に出てしまった今の内にあいつを呼び戻しておかなきゃならないんだ。“ハルヒがキョンを置いて行った”。ここまでハルヒとすれ違っちまったんだから、 国木田に直訴してあいつの首根っこひっつかんでも連れ戻して入れ替わっておかないとならない。
 …と、理性では分かっているのに、お前と二人でハルヒたちに邪魔されず過ごせるこの環境を手放せないでいた。
 だがもう流石に限界だろう。近い内に俺は決心しなければならない。
 俺はもうじき、お前の前から消える。
 どういう状況を選択するかはまだ決めていないが、顔を付き合わせて別れを告げるなんぞ辛すぎて出来ないから、何も言わずに去ると思う。
 だから最後に、言わせてくれ。ずっと言いたかったけど言えなかった言葉を。
 愛している、古泉。
 お前に言われるたび、いや、言われなくてもいつも、そうお前に告げたかった。
 愛している、お前を。古泉、愛している、誰よりも。

 お前と居たい為に俺は無駄な努力を重ねてきた。だがもう無理だ。これ以上ハルヒを、何より俺自身を誤魔化しきれない。俺は俺だ。だが、俺は俺じゃない。
 コピーだからって俺に俺自身の人生がないとは言わない。俺にも人生はあって良いはずだ。だかそれはここじゃない。ここは、あいつの居るべき場所だ。あい つも俺も、逃げちゃいけないんだ。
 任務が失敗したからって、俺は処分されることはないだろう。軍はそこまで無慈悲じゃないし、格好のサンプルでもある。二度と会うことはないだろうが、 俺はどこかにいる。そしてどこにいても俺はお前のことを思っている。お前の幸せを祈っている。必ずだ。
 実は言うと、俺はオリジナルのことを少しだけ恨んでいた。てめえの仕事を投げ出してしんどいところだけ俺に押し付けやがって、…ってな。
 だが俺は初めての時見たあいつの顔が忘れられない。あんな絶望を、俺は見たことがない。己のクローンと対峙するのが何でそれほど辛いのか、俺には分から ない。ただコピーに会ったというだけではないのだろう。その時の感情は移されていないから同調することは出来ない。それでも、理由を想像するなら、俺に対 する憐憫があったのだと思う。あいつに何かない限り、培養液の中で眠り続ける俺に対して。
 あいつは、俺を覚醒させることによって、俺に本当の人生をくれた。誰かの記憶のコピーを夢で見るだけでなく、俺だけの人生を。お陰で、お前に出会えた。お 前を愛する喜びを得た。今では感謝している。…って何かこれ、自画自賛みたいで面映ゆいな。
 だから、俺がいなくなった後でも、お前はあいつを恨んでくれるな。仲良くしてやってくれ。
 ついでにもう一つ。
 …もし、もしお前が、あいつに惹かれるようなことがあれば、素直にその気持ちを受け入れろ。
 お前のことだ、万一あいつにも惚れようものなら、俺に対して妙な操立てをして悶々とするに決まっている。お前、案外融通が利かない性格しているもんな。
 俺はあいつじゃないしあいつは俺じゃないってことは俺が良く分かっている。惚れちまったらそれはもう別の恋だ。俺はお前が幸せであれば嬉しい。…っての はちょっと格好付けすぎだな。
 ただ、あいつが相手なら、お前、俺の話が出来るだろう?時々思い出してくれるだろ?それで十分だ。それに、何のかんの言ってあいつは俺で俺はあいつだ。 どっかの馬の骨に持って行かれるよりよっぽど良い。
 あいつを守ってやってくれ。
 一度捨てた世界に戻ってくるのは覚悟が要るし辛いだろう。俺に対する引け目もあるに違いない。色々なものを背負わされてしんどいと思う。何たって俺は純 然たる一般人だからな。だが惚れた相手が居ればきっと大丈夫だ。あいつは俺だからな、ほっといてもお前に惚れる。
 俺の人生はずっとあいつの影にあったけど、お前に惚れて、惚れられたことは俺が先だ。ちょっと優越感を感じるな。
 そういうことで、あいつを頼む。一人で囲え込まないようにしてやってくれ。俺は、頼るのも頼られるのも嫌いじゃない。だから。

 最後に古泉、もう一度。
 お前が好きだ。愛している。俺を愛してくれてありがとう。愛させてくれて、ありがとう。
 直接言えない代わりに、何度でも書く。
 愛している、古泉。お前だけだ。ずっと、いつでも、何処にいてもお前を、俺は愛している。


***


 手紙はそこで終わっていた。署名はない。まだ書き続けるつもりだったのかもしれない。僕との別離を決めていたが、まさか死別とは思っていないようだった から。
 僕はそれを何度も何度も読み返した。涙がぼろぼろと溢れ止まらず、すぐに視界が曇るので、手の甲でしょっちゅう目を拭い、繰り返し、繰り返し読み続け た。
 愛している、古泉。
 言ってくれたじゃないか、あなたは。最期だから?もう会えないと分かっていたから?
 ついでのように、思い出す。
 あいつを、頼む。
 あれは…、「あいつ」とは、涼宮さんのことではなかったのだ…。



 涙がどうにか収まると、その足で彼の部屋に行った。就寝時間はとうに過ぎていたのに、彼は先程と変わらぬ姿で椅子に座っていた。僕を待っていたのだろ う。
「あなたはこの手紙を読みましたか?」
 もどかしい思いで問うと、彼は首を横に振った。
「いや。それはお前宛のものだ」
「あなた宛の手紙には何て書いてあるのです?見せて戴けませんか」
「俺がお前に、その手紙を読ませろと言ったら見せるか?」
「…いえ、これは僕だけのものです」
「そういうことだ。これも俺だけのものだ。お前には見せられん」
「…」
「ただ、そうだな、少しだけバラすと、お前のことを『少し扱い辛いかもしれんが、本当は凄く良いやつだから、見捨てず気長に付き合ってくれ』と書いてあっ たな」
 また涙が出そうになる。そこまで気を回さなくて良いのに。気にしてもらえる程の人間じゃないのに。
「…俺の話、聞くか?少々長くなるだろうから、日を改めてでも良いんだが。
 もし聞きたいなら座れ」
 今は何も聞きたくないという気持ちと、全てを詳らかにしたいという思いが一瞬交差した。
 結局僕は、差し示されたソファに腰を下ろした。





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