16.未来人とアンドロイド


『あとで部屋に来て』
 そのメッセージを見た朝比奈みくるは全身が緊張で強ばった。
 無視することは勿論出来ない。彼女がこんなものを寄越すのは重要な話があるということだ。何度も深呼吸をし一大決心をしてみくるは長門有希の部屋を訪ね た。
 みくるは、有希が苦手だった。
 全てを見透かす、アメジストを幾重にも重ねたような深遠な闇色の目で見つめられると足が竦む。
 有希の無表情は何も思考していない故ではない。むしろその逆、あらゆる色を混ぜると黒になるのと同じように、様々な感情を塗り込められた結果の無だっ た。
 一種の化け物だよ。
 ある同僚はガーディアンの冠たる彼女を評してそう言った。
 酷い言い種だとは思ったが気持ちは分かる。
 己の体  脳すら  をプラモデルのパーツのように取り替え、新調し、600年生き続けたアンドロイド。多くの肉体を渡り歩き、人類最大のタブーを身の内 に抱え、人を、宇宙を見守り続けた、神に等しい存在。
 畏怖するなという方が無理だ。

「あの、長門さん、何のご用でしょうか…?」
 部屋に入り恐る恐る問うと椅子を勧められる。有希が無言で奥室に消えたので、落ち着かない気持ちで初めて足を踏み入れた同僚のプライベート空間を見渡 す。デスクの上には携帯端末と“本”が一冊。ソフトをダウンロードして型にはめる一般的なマルチタイプブックではなく、紙で出来たユニークタイプの本だっ た。それ以外の所持品は見あたらない。遠征中の仮住まいとはいえ、あまりに簡素な部屋だった。
 奥室から戻ってきた有希は飲み物が入った二つのカップを持ってきた。一つをみくるの前に置く。
「…それで、あの…」
 礼を言い、本当はそれどころではなかったけれど、差し出された紅茶をすすり、問う。
「人類解放同盟の工作員と思われる男がテトラで射殺されたとの情報が入った」
「!」
「最高機密につき一般通信手段は使用せず。朝比奈みくるには口頭で伝達せよとの命令」
「え、あの人たちがテトラに?一体いつから…、それに射殺って…あの、長門さ…」
「今から伝える。良い?」
 動揺したが有希の目に射すくめられ、口を噤む。質問は全て聞いた後にしろと咎められた気がした。
 みくるが居住まいをただしたのを確認し、有希はことの顛末を、古泉が作成した報告書通りに淡々と口述した。
 あの事故が涼宮ハルヒ暗殺の為の仕込みのミスで起こったこと、彼を懐柔しようとしたこと、断ると強硬手段に出られた為やむなく古泉准尉が射殺したこと。 男から聞いた未来人の目的、野望等。
「知っていた?」
 目的語は抜けていたが、だてに5年行動を共にしていたわけではない。有希が何を聞いてきたのか分かった。みくるは頷く。
「彼らの目的は私たちの間ても想定されていました」
 この時代に未来人が望むものがあるとすれば帝国の技術だけだ。未来がどれだけ足掻いても光明すら見えない、だのにこの時代においては確立しているそれら を、手に入れたくて仕方がない。
 それについては未来は欲望を合致させている。時空管理局にしても帝国の技術は欲しい。ただだからと言って歴史を変えて良いものではない。
 強硬手段にうったえる人類解放同盟と違い、時空管理局は何とか穏便に帝国の協力を得て、その技術を手に入れられないものかと思い、帝国と接触可能な時代 で交渉してはいる。帝国の方針は一貫しており末端の化学式一つ流出させてはいない。自分たち以外のものが触れることは許さない。時空管理局はその対応に決して満足していないがそれでも同盟のように強硬手段に出ることはしない。
 帝国にしてみれば同じ穴の狢だということにみくるは気付いていない。「確定された過去を守る」だなと、過去を現在として生きている人間にとっては余計な お世話、越権行為に他ならない。守るという時空管理局が過去にやってくる自体守るべき過去が変質させられているというのに。また、強硬手段を取らなければ みるくの今たる未来にない技術を、有希たちの現在である過去から時空を超え得て許されるという論法は勝手だ。自分の時代で持たない技術を他の時代から得る ことは、歴史に介在することと同義だ。「過去より知恵を得ることは自らが培った時間遡行技術を活かした、技術革新の道上でのことであるから正当な進歩であ る」と未来人は言うが、帝国からすればただの詭弁だ。
「無駄」
 冷ややかな目で、有希は未来人を諭す。
「え?何がですか?」
「帝国本星付近の磁場は自然発生のものではない」
「…え…?」
「未来からの観察を妨害する為、人工的に作り上げたもの。消えたのは、時間的経過ではなく、帝国の人為による。ゆえに、必要と判断されれば発生期間は延長 される」
「…って…、遠見鏡の妨害波が作れるってことですか?そんなまさか…」
 遠見鏡の原理となるものすら、この時代にはまだない。もちろん未来は教えていない。ないものの妨害も可能だというのか、この帝国は。
「過去に、仕組みを教えた未来人が居た。時間移動自体は帝国に不要と判断され研究されていない」
 必要とあらばしたのか。…したのだろう、帝国ならば。
 みくるは全身の震えを止められなかった。帝国と未来とでは持てし技術が違う、ある意味対等な立場だと思っていた。時間移動の技術が帝国に対する交渉材料 になり得ると。過去を把握している分、先んじているという優越感が、実はあったのだと、今、それがうち砕かれて初めて知った。帝国は、みくるたち未来より よほど強大な力を持っているのだ。
 帝国に逆らってはいけない。
 みくるはそれを痛感する。
 それはそのまま、みくるにとっては有希に逆らってはいけないという意味を含んでいた。
「だから、無駄。未来に帰ることがあれば伝えて」
 未来に帰れることがあれば。
 有希の話はそれで終わりだった。話が終わればみくるがこの部屋に長居出来る強さはない。半分以上飲み残したカップを置いていとまを告げる。
 報告の礼を言うと有希は、何かに逡巡する目をしたが、みくるにはその意味を掘り下げて問う勇気はなかった。


『何を言うつもりだった?』
 報告の為に繋ぎ続けていた回線から意思が流れ込んでくる。
『お前たちの科学と私たちの科学は繋がっていないということも教えるつもりだったか?お前たちが発展させた科学は連邦の流れを引くもので、我々により根元 が歪められており、そこからどう発展させても我々が持つものは得られないということを?今持つ科学を全て否定しないと受け入れられないもので、それら二者 は医学と魔術ほどの違いがあるということを?
 それとも、帝国が消滅しているはずがないと言うつもりだったか?地球再生が我らの最終目的だなどとんでもない。いや、目的自体は正しいが、地球人全てが 星に還ってそれで終わりではない。人がまた同じ過ちを繰り返さぬよう、我々は監視を続けなければならない。消えるつもりはない。未来人類から隠れて存在し 続ける。だからお前たちの時代にも帝国は存在するはずだと言う気だったか?
 …妹よ、やつらと馴れ合ってはならぬ。ただ、そなたの使命を   
「任務終了。同期を解除する」
 有無を言わさず有希は、総帥との回線を切断した。

 今回の報告を受け、有希は随分長いことぶりに驚きという感情を持った。
 帝国が、やがては消滅する。
 それは、今日初めて入った情報だった。
 長年未来人の受け皿をしている帝国だが、未来がどうなっているかの情報は殆ど持っていない。未来人たちは賢明にも己の歴史と世界について、多くを語らな かった。朝比奈みくるも自分の派遣理由を「犯罪者組織から涼宮ハルヒを守る為」以上のことは言わなかった。今回の人類解放同盟の目的についても、そちら側 から明らかになったので、後追いの形で認めたが、詳しい事は一切話していなかったのだ。
 だから、帝国は彼らの目的を今回の報告で初めて知った。
 帝国が消滅する。未来に、自分たちを繋げないため。
 帝国が、消える。
 一体誰が消す?
 総帥ではない。アレが望んで自らの“生”を捨てるわけがない。総帥ではない誰かが、帝国を。
『二度とコピーは作らせない』
 ブラックボックスに隠した決意が、一瞬だけ顔を覗かせ、消えた。





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