15.一つの帰結


 涼宮ハルヒ暗殺を企てた未来人は死んだ。
 僕が撃った銃はフル装填で30発。後で確かめたら弾倉は空になっていたので、30発をぶちこんだということだろう。散弾式だったとは言え、たった30 発で人はここまで粉々になれるのかというくらい、男の体はバラバラになっていた。
 上への報告書はお前が書けと言われたので、あの時のことを思い出そうとする。
 あの時僕は、何が起こったか全く分かっていなかった。自分が何をしたかも分かっていなかった。それどころか、自分がどういう状態だったかも分かっていな かった。今でも、よく分かっていない。
 誰かがあの時の状況をモニタで眺めていて語るとしたら、「涼宮ハルヒを暗殺せんと潜入していた未来人が、SOS団の作戦参謀を懐柔しようと口説いていたと ころ、それまで呆然と成り行きを見守っていた幕僚総長がいきなり甲高い奇声を上げ止める間もなく銃を乱射し男を射殺。相手の息の根が止まっても弾を撃ち尽 くしてもトリガーから手を離さず狂ったかのように絶叫し続け終いには作戦参謀に羽交い締めにされ2,3発頬を殴られようやく正気を取り戻した」といったと ころか。
 心は慟哭していたが涙は出ていなかった。代わりに彼が、目に涙を浮かべ苦しそうな顔で『古泉、すまん…』と繰り返していた。彼が謝る必要なんて、これっ ぽっちもなかったというのに。
 ああそうだ、彼のその顔を見て僕は正気を取り戻したのだ。悲痛な彼の顔が、離れかけていた僕の理性を引き戻したのだ。
 落ち着いて、それから二人で事後処理にあたった。彼は清掃ドールを呼び、バラバラになった遺体を運び出させた。現場写真を撮っておくべきでないかと言う と「こいつは俺の部下だった。上司としてこんな姿を記録しておきたくはない」と顔を歪ませた。お前の為にもだと言われた気がしたが、都合の良い空耳だった かもしれない。
 彼は、一切咎めなかった。
 あの未来人は確かに犯罪者で敵だったが、勝手に処分して良いものではない。しかも、問答無用の銃殺。あり得ない。あの時は男は丸腰だった。後で調べたら 物騒な武器をいくつも身につけていたので、最終的には脅すつもりもあったのかもしれないが、少なくともあの時は、彼を安心させる為もあってか目に付く武器 は持っていなかった。簡易バリアも張っていたらしい。但し、磁気シールドタイプで、レーザーガンやエネルギー銃には有効だが僕の懐古趣味に走った、あの男 の時代には存在しない鉛玉の銃には全く意味を成さなかった。
 本来なら何とか無傷で身柄を拘束し、上層部に差し出すのが正しい。無傷が無理なら行動の自由を奪う程度に傷付けて。それすら難しいなら生きたまま逃がす べきだった。死なれてしまってはこれ以上の情報は引き出せない。
 折角、これまで全くしっぽを掴ませなかった犯罪者が目の前にしゃしゃり出てくれたのだ。折角、あの男の組織について情報を仕入れるチャンスだったのいう のに。
 降格もの、いや、軍法会議ものの失態だった。
 だのに彼は僕を咎めなかった。それどころか男の死亡時の状況について、不利にならないよう脚色をしろ俺も口裏を合わせるから、とすら言った。
 その代わり、自分自身の気持ちと向き合えと命ぜられた。
 何が引き金となったのか、何を考えトリガーを引き続けたのか、何故あんな絶叫を上げたのか、自分を誤魔化さずちゃんと考えろ、と言った。
 だから律儀に僕は考える。
 まず、あの時の僕の精神状態は普通ではなかった。男を殺した時だけでない。F地区に入った時からだ。あの人の最期を思い出すまいと…、心を持っていかれ まいと、感情を鈍化させ、思考を半睡眠状態にした。そうしないとあの人を失った時の哀しみや絶望や怒りが身を蝕み正気ではいられなかったからだ。
 その副作用で、目まぐるしく変わった状況判断が一々遅れた。
 彼が、事故が起こるはずがないと言った意味をくみ取り損ねたのが最初。
 男が現れ、武器も殺意も見えなかったから、何の為にここに来たのか、可能性の一つすら導き出せなかった。逆に彼は一つの仮説を持っており、計算尽くだっ たのだろう。初めからあの男が現れることを期待していたフシがある。そう言えばF地区に視察に行くと、あの男に聞こえるように、別の部下に告げていた。
 あの男が未来人であること、涼宮さん暗殺を企てていたこと、そして、実はあの人を殺したのも…と言うことすら、回線の外れた僕の頭では、スクリーンの向 こうの話、どこか非現実的に響いていた。ただ、脳が切り離されていたから気付かなかっただけで、心は悲鳴を上げていた。
 こいつが、あの人を殺した。むせ返るほどの錆鉄の匂いのする血の海に沈む物言わぬ存在に変えてしまった。憎しみと呼ぶにはあまりに物足りない、その体を素手で 引き裂き壁に打ち付けたい衝動に駆られた。
 帝国の技術を手に入れるため?さも大義そうに言うな。未来の事情など知ったことか。“今”は、お前達にとっては過去でも、お前達の時代の為の踏み台でも 犠牲でもない。僕たちのものだ。お前らの都合で玩ぶな。
 怒りと呼ぶにはあまりに充足しない、どす黒いマグマの如き情動が腹を巡った。
 人のコピーがあれば、残されたものは辛くないだなど、どの口が言う。
 この僕の前で。あの人が死に奈落に落ちた僕に。コピーが現れ苦しみ続ける僕に。代わりがいて良かっただろうと言った。コピーが居ればオリジナルなどどう でも良いと。
 冗談ではない。
 僕はこんなに苦悩している。何より、コピーはオリジナルではない。別人格だ。
 人は死ねばそこで終わり。意志を継ぐことは出来てもそのまま人生をバトンタッチすることは出来ない。死んだひとの無念を、コピーは引き継がない。何故な ら、生きている身では死す身の情を得ることは不可能だからだ。だから、あの人はコピーではないし、コピーはあの人ではない。死ぬ際に初めて愛を語ったひとの思いの 丈を、彼は継いではいない。
 そんな簡単なことすら分からず、摩耗した部品を取り替えるが如き安直さでコピーを欲したあの男を…、…どう言えば足りるか、僕たちと同じ空気を 吸っていることすら許せなかった。
 取った行動は概ね後悔していない。ただ、真っ先にこめかみを狙ったのはしくじりだったと思う。コンマ1秒の差とは言え、手足から先に吹き飛ばして少しで も意識を残した状態で鉛をぶち込んでやれば良かった。
 クローニングは人類を幸せにしはしない。
 いくら同じ遺伝子で、同じ記憶を持ったとしても、未来が同一ではない、別物なのだ。
 精々、パラレルワールドの同一人物  異空間同位体とでも言おうか  くらいの類似性しかないのだ。
 コピーが有っても、僕はあの人にはもう二度と会えないのだ…。

 ドアホンが鳴った。
 彼だ。
 居留守を使う気力も、追い返す体力もなく、僕は椅子にもたれ掛かったまま、遠隔操作でロックを解除する。
 入ってきた彼は、どこか悪いのではないかというくらい辛そうな顔をして、真っ直ぐ僕の方に寄ってきた。
「お前が泣いている気がしたんだ」
 そういった彼の方が泣きそうな顔をしている。
 泣くわけないじゃないですか、と言うと、唇を戦慄かせぎゅっと胸に僕を抱え込み、抱きしめる。
「頼むから、一人で苦しんでくれるな。お前が苦悶していると俺の心も痛いんだ。力になれないことは分かっている。お前は俺を頼ってなんかいないことも…。 だが俺だけはお前の苦しみを少しは共有出来るはずだ。お前は俺の前で取り繕う必要もない。だからせめて、俺のいる所で泣いてくれ」
 あなたが居るから苦しいのに、あなたの前で泣けるはずなんてないでしょう。そう思ったが、その腕の力強さと暖かさ、鼻を擽る彼の香りに抗えず、僕はいつ の間にか彼の胸に顔を埋めて号泣していた。なけなしのプライドが彼の体に手を回すことを許さなかったが、彼が何も言わないのを良いことに、生まれたての赤 子のように、いつまでも泣き続けていた。

 その日はじめて、二人して僕の部屋に居ながら、僕は彼を抱かなかった。


***


 上への報告には、撃つ前までの会話は正確に記した。その後、彼が男の申し出を拒否したところ、武器を取り出されたので危険を察知した僕がやむなく撃ち殺 したということにした。どうせ断るつもりだったしあいつも武器を持っていたのだからあながち嘘ではないとしれっとした顔で彼は言った。思いがけず厚顔な人 だ。
 危険を察知したにしては銃殺、しかも30発もの弾を打ち込んだのはやりすぎという気がしたが、初めは手足の自由を奪おうとしたが見たことのない未来兵器を取り出され、気が 動転したのと用心をしたのだと言い張ることにした。通じるかどうかは知らないが、彼がそれで良いと言うのなら僕は従うまでだ。軍歴も上官の扱いも階級も、 彼の方が上だった。

 それ以来僕はどうも彼との距離を掴みあぐんでいる。出会ったばかりの頃より更に。
 公的な部分では問題ない。彼は益々彼で、もう6ヶ月のブランクを感じさせない。僕もそんな彼に対して苦もなく参謀総長の仮面を付け接することが出来る。
 問題はプライベートだ。
 僕は、彼を抱けなくなってしまった。
 勃たなくなったわけではない。その証拠に自慰はする。でも彼を抱きたいとは思わなくなった。
 あの夜、泣きじゃくる僕を彼は、あの人とは違う顔であやした。僕を包み込み宥めてくれた。あの人ならそうはしない。いや、多分しない。あの人の前で僕は 泣くことはなかったから、瀕死の彼にすがったあれが最初で最後だったから、実際はどうかは知らない。ただ、僕が身の上をうち明けた時、殊更事務的に告げた のにあの人は、僕の目を同じ高さで見て「もう少し俺を頼ってくれよ」と言った。あの時と同じように僕と対等な立場で、一緒に嘆いてくれる気がする。
 でもその違いが気に入らないというわけではない。
 厄介なことに、心地が良いのだ。
 彼の気遣いが、腕が、案ずる微笑みが気持ち良い。あの人と混同しているわけではない。むしろはっきりと違いを意識して、それでいて甘美なのだ。ただ不味 いことに、だのに僕は二人を明確に区別できていない。
 6ヶ月しか一緒にいなかったあの人、恋に落ちて想いを告げて3ヶ月しか付き合えずしかも最後までは許されなかった恋人、僕はあの人の一挙手一投足を注視して いたけれど、それでもあの人のことが全て分かっていたわけではない。自分事にはいつも不安そうでも、広い心を持っていたあの人、もしかしたらもっと包容力のあ る人だったのかもしれない。そう、今の彼のように   
 …つまり僕は彼を、あの人の未来系と見てしまっているのだ。彼の振る舞いは、あの人との付き合いが深くなればやがては見せてくれたあの人の内面の一つではないかと思ってしまっているのだ。
 これは裏切りだ。あの人に対する背信だ。
 全く別の人を愛したのならともかく。
 人の心の柔軟性は知っている。だからこそあの人を愛したのだし、亡き人への変わらぬ思慕を抱えたまま新しい恋をする ことだってできる。生きるということはそういうことだ。
 また、あの人の代用品として扱うならまだしも。
 人格を無視した言い種だが裏切りにはならない。あの人を求めてこその行為だからだ。
 でもあの人ではない人を、別人としてでなくあの人のように愛するのはあってはいけないことだ。
 …愛?愛だって?
 僕は彼を愛しているのか?あの人のコピーを?代用品としててなく?
 そんなバカな。



「これからお前の部屋に行って良いか?」
「…すいません、今日はちょっと…」
 僕が彼を誘わなくなった代わり、彼は時々僕の部屋に来たがるようになった。断ればそれ以上踏み込んでは来ないが、懲りずに何度でも聞いてくる。
 どういうつもりなのだろう。
 僕の部屋に入るということは抱かれるということだと認識しているはずだ。抱かれたがっているというのか。性欲の処理?それとも僕を慰める気でいる?
 あれ以来、僕は一度も彼を部屋に入れていない。彼の部屋にも行っていない。
 彼と向き合うのが怖かった。自分の気持ちと、これ以上深く対面するのが恐ろしかったのだ。

 僕の心の混乱が収まらないうち、新たな石が投げ込まれる。いや、戻って来る。
 涼宮閣下が、二人の幕僚と中隊を引きつれ、3ヶ月に及んだ遠征から帰還する。
 僕はいっそ彼女に期待した。
 彼女であれば、半端な混濁は許さずどんな異物でも完全に融和するまで撹拌してくれるだろう。絡まりきった僕と彼の位置を、有るべき様  彼女が望むよう な  に戻してくれるに違いない。
 ああでも彼女は、彼が3ヶ月前に分かれた人と違うということに気が付くだろうか。気付いたら、どうするだろうか。世界は、宇宙はどうなるのだろう。
 …などと表層的な心配はしてみたが、ただの逃避だ。もっと大きな憂いの前で、そんなことを気に止める隙はない。今の僕にとって世界など、この世の行く末などは余りに些末なことだった。




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