14.もう一人の未来人


「明日の午後はお前、オフだったよな。空けられるか?」
「ええ、もちろん。あなたからお誘いがあるとは珍しい。僕の部屋で良いですか?」
「俺はオフじゃない。視察に付き合えと言っているんだ」
 あからさまに嫌な顔をする。任務中ならともかく、情事の後のピロトークでこれくらいの軽口は許されるだろうに。
「で、どちらまで?」
 早々に着込んだシャツの裾を弄びつつ何気に聞いたが返ってきた答えに全身が凍りついた。
「F地区だ」
「…それは…」
「俺が事故に巻き込まれた場所だ」
 閃光。鉄の焦げる嫌な臭い。
「…な、んの、為に…です…?」
 耳を劈く爆発音。僕を突き飛ばした腕。あか。流れる血。飛び散る肉片。
「行かない理由の方が考え付かんだろう。一度は確認しておくべき場所だ。事後処理は済んで安全だと聞いているが」
「…」
 あたたかい液体。広がるしみ。最期の、口付け。
「…古泉?何なら俺一人で…」
「いえ!…いいえ、お供いたします。僕も…、僕も、もう一度行かなければならないと思っておりましたので…」
 だのにあれ以来一度も、あの地区に足を踏み入れてはいなかったのだ   


***


 彼が自室へ帰ったあと、翌日までに僕は、こみ上げる吐き気を抑えあの事故の報告書に目を通した。この報告書を記したのは他ならぬ僕だったが、何を書いた のか良く憶えていない。
 髪を掻き毟り慟哭し、時には奇声を上げ部屋中のものを蹴散らかし、だのにディスプレイ上に現れたのは  僕が打ったのは  、無味乾燥な事務的な文面 だったのがおかしく、泣き乍ら笑った、という記憶はある。ただ、その内容は全く憶えていかなった。脳が記憶するのを拒否したからか、見覚えすらなかった。
 二度と思い出したくなかったが、彼から何か聞かれて答えられないではプライドが許さない。事故の時刻、状況、その後の処置。聞かれれば淀みなく答えよう と頭に叩き込んだ。
 ただ、最期にあの人がくれた口付けと告白は問われても秘めておくつもりでいた。


「じゃあF地区には三人で出向いたのか?」
「そうです。少ないとは言わないで下さいね。定期巡回でそれ以上の必要性を感じませんでしたし基地内の人手も不足しておりました。幕僚二人がつくのはむしろ過分 だったくらいで」
 ちょっとした戸外デートの意味もあったのだ。少なくとも僕の方には。
「軍曹も事故に居合わせたんだな?」
「はい。…ただ、すぐ救命カプセルを取りに行かせましたので、再び合流したのは…、し、少尉の心肺停止から40分後でした…」
 間に合わなかった。
 人体の損傷具合は酷く、カプセルが間に合ったとしても一般的医療では助かる見込みはなかったが、帝国であればどうにか出来たはずだ。人体の90%が人造物になったとしても死ぬことはなかっただろう。何故、巡回の時カプセルを 用意していかなかったのだろう。いやせめて、F地区に設置しておけばこんなことには…。
 成人男性を楽に収容できる大きさのカプセルを持ち歩けるものではないこと、高価で精緻な医療装置でそんなそこいら中に置いておけるものではないことが分かって いても思わずにはいられない。
「医療スタッフは今…」
「ドールです。連邦が提供している医療用のアンドロイド」
 帝国外生産なので外見はどう見ても人間に間違えようがないロボットで、高度な意識活動はない。
「だからあれだけの事故だったのに三人しか知らないんだな」
「そういうことです」
 そこまで聞くと彼は口を噤む。もっと色々聞かれると思ったが、自分である程度調べたのだろう、当然僕の報告書にも目を通しているはずだ、あえて聞いては 来なかった。あまり思い出したくない僕にはありがたいことだ。
 F地区は中央ドームからランドボートで20分の森林地帯だ。例のシステムはその中央に有り森の端からは徒歩でしかたどり着けない。
 鬱蒼とした森を抜けると屋根を支柱で支えただけの、渡り廊下のような白い建物が現れる。入ろうとして足がすくんだ。あの時も同じようにこの建物は静かに 僕たちを迎え入れたのだ。
 躊躇っているとあの時と違い彼が先に中に入る。あの時、僕が先に行ったばっかりに、あの人に庇われてしまったのだ。慌てて彼を追 いかける。今度何かあれば僕がこの人を守らなければいけない。
 装置はあの事故以来停止している。送電もされていない。常にしていた作動音が今はなく、しんとした静謐が耳についた。
 爆発した装置は清掃ドールが片付けたのだろう。所々こげた周辺機器が名残を示すくらいで、惨劇を彷彿とさせるものは何処にもない。
 アイボリーの床を染めたどす黒い血溜まりは染みすら残っていない。まるで彼の死が僕の悪夢にすぎなかったとでも言うように。
 近付きすぎては周囲の異変に気付くのが遅れるから、と自分に言い訳をし、あちこち見て回る彼を一歩離れた場所で見守る。
 彼は、表情の読めないキツい目線でたっぷり時間をかけて内部を点検し、やがて大きく息を吐いて首を振った。
「…ない」
 何やら呟いているので近寄ってみる。
「事故が起こるはずがない」
 と言っていた。信じたくない気持ちは良く分かる。
「この装置はハルヒがアイディアを出して作らせたんだ」
「ええ、伺っております」
「大気と地下水から成分をろ過し濃縮して人工環境に流用するだけの単純なもので、危険な発火燃料も使っていなければ負荷のかかる運転もしていない」
「確かに。当時も、フル稼働時の70%で作動しておりました」
「こんなところで事故が起こるはずがない」
 苦渋に満ちた顔は悔恨からか。あり得ない爆発、あり得ない死。もっと慎重にメンテをしていれば…、あの日視察さえしなければ…、僕を庇わなければ…。彼 もそれを悔いているのだろうか。
「たまたま地中に有った爆発作用のある鉱石が吸入ポンプの選別をかいくぐり混入し、逆流防止弁の損傷から流れ込んだ溶解液と化学反応を起こし爆発に繋がり ました」
「そこにたまたま俺たちが通りかかって巻き込まれたってか?一体どんなレアな確率なんだ、それは!そんなバカな話があるか!こんな事故が起こるはずがな い!」
「確かに、道を歩いていたら隕石が振ってきて直撃を受けたくらいの低い確率ではありますが…。悪い偶然が重なったとしか言いようが…」
「違う!」
 ぎっ、と睨み上げられる。何かを訴えようとする必死の形相だ。
「違う、古泉、こんなところで事故が起こるはずがないんだ!分からないのか?」
「…何が言いたいのです?」
 酷い違和感を憶え、問い返す。愚かにも僕は、彼の言わんとしていることを汲み取れなかった。
 どういう意味かと尋ねようとした時、彼ではなく、別の場所から答えが返ってきた。
「作戦参謀は、事故じゃなく事件だったのだ、とおっしゃっているのですよ。幕僚総長」
 事件に居合わせた第三の人物、あの人の心肺停止を知る軍曹が、苦笑をたたえ支柱の裏から姿を現した。
「…何故君が此処に…?」
 展開が読めないでいると、彼が僕を制するようにすいと手を伸ばし前に出た。
「お前は何者だ?」
「嫌だな、直属の部下をお忘れですか?あなたの下について二年になりますが   
「正体を聞いている。反時空管理局のものか」
「こっちの方が先ですよ。こちらからすれば奴等こそ反人類開放同盟です。
 …しかいし驚きましたね。僕らのことまでご存知とは」
 人類解放同盟?どこかで聞いた、だが耳に馴染まない組織名に、僕は脳内のデータベースを必死で検索する。程なく、一つのファイルがヒットした。朝比奈み くる関連の報告書だ。その中で、彼女の所属する時空管理局に対抗する勢力としてその名があった。ではこの男は未来人?歴史を変えようとやって来た犯罪者?
 そんな組織があるのは知っていた。そもそも朝比奈みくるという未来人がこの時代にやって来たのはその犯罪者たちから涼宮さんを守る為だと聞いていた。だ が、ここ6ヶ月…いや僕がこの能力に目覚めてからこの方、彼らの介入は確認されていない。それがこんな近くに入り込んでいたと?
「お前が装置を爆発させたのか?俺を殺す為に」
「仕込んだのは確かに僕ですが、あなたを殺すつもりはありませんでした。あのタイミングで爆発したのは完全に事故です」
「…」
「本当です。あなたを殺しても僕たちに何の益もありません。逆に、未来の為にはあなたは何をさておき守らないといけない方です。少なくとも、涼宮ハルヒよ り先に死んでもらっては困ります。その点の利害は帝国とも時空管理局とも一致していますよ」
「じゃあターゲットはハルヒか?」
「そうです。閣下のご帰還までに仕込みをすませて、次の視察の際に決行するつもりだったんですけどね。計画が狂いました」
「!」
 まるで彼が悪いとでも言わんばかりの口調にかっとなり、思わず体が前に出たが、彼に止められる。
「ハルヒを殺したいのか?何故だ?お前たちはお前たちの正義があって行動していると聞いた。悪戯に歴史を改竄して喜ぶ愉快犯じゃないってな。ハルヒを殺す ことで何がしたい?」
 彼の言葉を聞いて、男の目が輝いた。話が出来る、と踏んだ目だ。
「僕たちは、帝国の、ね、技術が欲しいんですよ」
「どう繋がっている」
「作戦参謀は、僕たち…、朝比奈みくるの時代において帝国がどういう位置にあるかご存知ですか?」
「知らん。今を生きる現代人の俺がそんなことを知るはずがないだろう」
「朝比奈みくるは何も言ってないのですか?」
「朝比奈さんは不用意に俺たちに未来を背負わせようとはしない」
「…なるほど。では、朝比奈みくるに敬意を表して、最低限のことだけお教えしましょう。
 帝国は今からそう遠くない未来に消滅します。二度目の、今度こそ完全な消滅をね」
 僕たちは取り巻く環境のお陰で普通に帝国のことを口にするが、帝国は今は存在していないことになっている。約600年前、スペースエイジの統率者として 宇宙に君臨もしていた帝国が、後継として設立させた銀河連邦が帝国の後ろ盾なく機能するようになったと判断し、自らを解体した。表の歴史ではその時点で帝 国は消滅したことになっている。しかし実際は彼らは裏でその圧倒的な科学力で宇宙を支配し続けている。ただし、宇宙を統治しているわけでも君臨しているわ けでもない。いわば、超高度な科学集団として…己の技術と技法を独占する科学帝国として別次元的な存在なわけだが。
 その帝国が滅亡する?
 非現実的な話だ。
「信じられないという顔ですね。でも本当です。僕たちの時代には既に帝国は在りません。
 僕たちは表舞台から姿を消すまでの帝国を、“前期帝国”、それ以後、宇宙の支配を手放した後の帝国を、“後期帝国”と呼んでいます。彼らの絶対にして唯一の目的を、あなたたちはご存知ですか?」
「知らん。知りたくもない」
「では、触りだけ。
 後期帝国の目的は、地球人の、地球への完全回帰、地球の再生です。数々の、あの素晴らしい科学技術全てがその為だけに研究され、実用化されたのです。他 にもっと使い道がありそうなものなのに、ヤツらはその為だけにあの科学力を使ったのですよ」
 憤まんやるかたないという風に首を振る。僕の脳はこの男の言葉を記録するが咀嚼はしない。さっきからずっと、情報を耳から脳に伝える回路がショートして いるようだ。
 だが彼は分かっているらしい。それで、と先を促す。
「地球の為にだけ存在していた帝国は、地球の再生を見届けてから、今度こそ本当に消滅しました。自らです。役目は終わった、とばかりにね。それは良い、消 えるのは勝手だ。けどね、奴等は持っていた科学力、知識、技術、ノウハウ全てを道連れにしました。何の痕跡も残さず、あたかもそんなものは最初からなかっ たのだというように、ね。
 ねえ、知ってますか?僕たちは時間移動が出来る。この時代では空想ですらカバーしていない高度な装置や兵器を山ほど持っている。この時代で不治とされる いくつもの難病は既に特効薬が開発され、風邪程度の重みしかない。だのに帝国が持っている技術を、何一つ持っていない。
 主に生体分野です。
 人間のクローニング、記憶の複製に移植、有機アンドロイドと言った、ね。帝国が当たり前のように使っているこれらの技術は、奴等が消滅する時に一緒に消 えてしまい、遠い未来の僕らの時代でも未だ未開の地なんですよ。後期帝国の存在は未来でも秘匿事項ですから、一般の人間はそんなものが過去にあったとすら 知らない。末端科学者の中には『人のクローンは不可能である』とまで言うものも居る。はるか過去に、一度は確立された技術だという のにね」
「どうも分からんな。それがハルヒとどう関係する」
「遠見鏡の存在はご存知で?…そう、過去を見るモニタです。残念なことに見える範囲にバラつきがあり、帝国の本拠地があるその一帯はほぼ全時代で不可視で す。元々そういう磁場の所に立地していたのが原因らしいです。それが、帝国消滅から32年後、磁場が変化し映りがクリアになります。もしその時代まで帝国 が存在していれば、その科学技術の全容が詳らかになるくらいにね。
 もう一度申しますと、後期帝国は地球再生の為だけに在り、再生が成ったことを確認してから消滅します。
 つまり、地球の再生が遅れれば…、最期の地球人の、地球回帰があと30余年遅れれば、我々は帝国の技術を得ることが出来るのです」
「ハルヒが殺されれば地球意思は他の人間に移る、最期の地球人の生存時期が変わるって論法か?」
「おっと、そんな怖い顔をしないで下さいよ。最近ちょっと考えを改めたんですから。
 実はSOS団に入ってこの方、僕は何度か涼宮ハルヒの暗殺を試みたのですが、全て寸前のところでかわされ、成功しませんでした。今回もそうです。発火鉱 物の含有率やろ過速度、プログラムがバグるタイミングなど、綿密に計算したのにあのざまです。涼宮閣下の命は、大いなる力に守られていて暗殺は無理なので はないかと思い直しまして。それに、地球意思を別の人間に移したところでそいつが涼宮ハルヒより長生きする保障は何処にもない。
 なら、逆の方法はどうだろう、と。
 殺すのではなく増やすのでは?涼宮ハルヒに子供を生ませ、宇宙で育てさせる。そうすれば最期の地球人は一代延びる。僕もしたくもない人殺しをしなくてす む。
 …ねえ、作戦参謀、協力して下さいませんか?
 僕はあなたを殺すつもりはなかったし、生きていてくれて本当に良かったと思っています。あなたは、朝比奈みくるのように帝国の後ろ盾もなく独りでこの 時代に来た僕に優しくして下さった。感謝していますし、あなたのことは好きです。敵対したくはない。
 幸いなことに、あなたは涼宮閣下のお気に入りです。彼女の子孫を残し、宇宙で育てる協力を」
 心臓が、ぎゅっと締め付けられた。この男は彼に種馬をやれと言っているのだ。
 斜め後ろからしか見えない彼の横顔はただ静かで、僅かに哀れみを含んでいるようでもあった。
「人の心は他人の思惑でどうにかなるものじゃない」
「あなたは理性的な人でもあります。分かってもらいたい。
 僕たちは私利私欲で動いているんじゃない。人類の為に努力しているんです。
 帝国の技術があれば、未来はより良くなる。
 記憶をコピーする技術があれば、脳を損傷した怪我人を助けられる。有機アンドロイドはあらゆる人材不足が補える。未来が今悩まされている不治の病は、人 体再生技術でほぼ治るんです。
 もう一つ、僕のような、命を賭した任務に付くものにとっても意義があります。
 危険な任務に赴く際、あなたは残された家族や恋人のことを考えませんか?自分は納得ずくでも、家族は心配だ。あなたも、大切な人たちを悲しませるのは本 意ではない。そんな時、記憶を移植された自分のクローンがあれば、万一の時に使えるとは思いませんか?こっそり刷り返れば誰も悲しまなくて済む。中途で投 げ出された任務も、あなたと全く同じ意思のものが継ぐことが出来る」
 きいぃぃぃぃぃんと、盛大な耳鳴りがし、目に火花が散った。
 耳をつんざく大音量の絶叫がし、全身が痙攣を起こす。
 次の瞬間、視界に飛び込んで来たのは大量の血飛沫、飛び散る肉塊。
 驚愕に見開かれた軍曹の目がこちらを凝視し、直後にそれも吹き飛び、あかの中に消えた。
 人の形をしたものが、あっという間に血だまりと肉片に変わって行く。
 パンパンパンという破裂音が続き、ようやくそれが収まった時、何故か僕は彼に羽交い絞めにされ、床に尻餅をついていた。
 古泉!と何度も耳元で名を呼ばれる。頼む、落ち着いてくれ、もう止めろ、もう良いんだ!
 彼の声は悲鳴に近かった。何故そんなに苦しそうなのだろう。
 足元に、どす黒い液体が流れてくる。あの時と同じように、あの時と同じ場所で。でも何故だか、この血には胸を裂かれる痛みは感じなかった。





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