13 ガーディアンは地球人の夢を見る


 死なないでぇ!死んじゃいやぁ!
 恥も外聞もなく泣きじゃくった。
 あたしを置いていかないで!いなくならないでっ!
 取りすがって無茶を言った。望んで逝くわけではない人に。
 縋ったベッドには、初老の男性が横たわっていた。痩せこけ、顔は土気色。長くはないことは医師でなくとも分かった。
 男は帝国の科学者で“有希”が初めて付いた地球人だった。
 帝国に属していたが男は、自分が地球人であることも、この枕元で泣き濡れる年の割には幼い、助手として15年自分を支えてくれた内気な女性が自らを監視 するガーディアンだということも知らなかった。
 まだ人の寿命からは遠い年齢だったが、若い頃の無茶と、実験で浴びた有害物質の所為で早すぎる黄泉路に旅立とうとしていた。
 号泣し無茶を言い続ける“有希”に、男はあやすように笑いかけた。
「僕はいなくならないから」
 それを望んでいたはずなのに“有希”は「嘘!」と詰った。逝くなと言っていても、逃れ切れない定めだと、頭ではわかっていたのだ。
 嘘じゃないよと男は“有希”の頭を優しくなでた。
「体は滅びても魂は死なない。肉体から解き放たれて故郷に還るんだ。だから、寂しくはないよ」
 一瞬“有希”は驚愕のあまり泣き続けることを忘れた。
 いつの間に正体を知ったのかと驚いたがそうではないらしい。言うなれば、本能か。センチメンタリズムを持ち合わせていないリアリストだったはずなのに、 人は死ねば魂は宇宙を駆け自分のふる里に還って同化する、だから哀しんでくれるなとそう最期に“有希”に遺した。
 男はその直後に息を引き取ったので、あなたの還る場所はどこなのかと聞くことは出来なかった。

 その男のように、帝国は数多くの地球人を抱え込んでいた。特に、科学者に地球人がいた場合はあらゆる手段を使って取り込んだ。監視の意味もあったが何より彼らの力が欲しかったからだ。地球人たちの、己の願望を具現化させる能力、それを 使って帝国は自らの科学力を飛躍的に発展させていったのだ。帝国が後に絶大な科学力を身につけ、他者の追従を許さなかったのは地球人の効率的登用に因ると ころが大きい。
 今人類が恩恵を受けている科学技術の殆ど全ては地球人が基礎を作った。人類のルーツが地球なのだから当然だがそういう意味でなく、地球意思があったから、人は未来を拓けたのだという意味で。
 人が空を飛ぶ術を得たのも、宇宙に発てたのも、そこで営みを得られるようになったのも地球人が望んだからだ。星一つを殺すほどの 兵器、人工生殖にクローニングに星間ネットワーク、偉大な科学技術の殆どは、地球人が望み挑むことで生まれた。スペースエイジだけの力ではそれらは決して手に 入らなかった。人の発展は全て地球人が生んだ。その礎の上に現在の科学がありそれを基に発展し、地球意思を借りた帝国技術の統制された流出があるので 気付かれることはなかったが、スペースエイジがゼロから発展させた科学は皆無。文字通り無能であるというのが事情を知るものの間での定説だった。

 種を明かすと総帥自身も地球人だった。7つ下の妹は一家が宇宙に出てから生まれたスペースエイジだったが彼は地球で生まれ、5つになるまで都市大陸で 育った、正真正銘の地球人だった。あの大それた軍事作戦が完遂を見たのも彼に地球意思があったからで、地球人であったにも拘らず地球潰しを成しえたという ことは星もそれを容認したのだと後付の甘えた自信を持つに至った。
 ただし、彼の地球意思は既に無い。地球で生まれた最初の肉体を捨てた時に消えたらしい。 当時は肉体と能力の関連性が分からず  そもそも地球意思の存在も明らかになっていない時代だったので  延命の為にあっさりと体を捨てたことを、彼は今 でも悔やんでいる。


***


「ただ見守っているだけじゃ、いつまで経っても地球回帰なんか出来っこないと思わない?」
 高圧的に笑って“有希”の前に立ちはだかったのは、涼子という名のガーディアンだった。
 ガーディアンは基本的には単一の人格を持つ。代々の記憶  名前以外の  を継承するのは“有希”だけで、他のガーディアンたちはクローニングにより培 養液の中である程度育った人体に、ガーディアンコアと呼ばれるガーディアンの心得、必要な情報が予め記録されたメモリチップを植え付けられる。だから作ら れたなりのガーディアンには個性はない。ただ、以後におかれた環境によりある程度性格に差は出るし、遺伝子段階で改良実験をされ他と差別化が計られる場合 もある。涼子は遺伝子情報にほんの少し戦闘的な要素を書き加えられていた為か、他のどのガーディアンよりも過激だった。
 涼子が付いた地球人は、アースマーダーと呼ばれる地球人専門の殺し屋で、ある意味涼子とはベストパートナーだった。二人とも、地球人を積極的に減らすべ しという考え方は一致しており、観察に徹するはずのガーディアンの則を越え涼子は対象者に地球人の情報を流して仕事を援助していた。
 アースマーダーは帝国が作ったのだと誤解されがちだがそうではない。歴史上数十人のアースマーダーが存在し、彼らが手にかけた地球人は合計で100万人 は下らず、彼らの働きが帝国が求める地球人の回帰に大いに役立ったのだけれど、帝国は黙認しただけで、支持はしていない。アースマーダーは帝国に騙されて 同胞殺しをしたのだと言うものも居るがそれも間違っている。彼らは須らく、自らが何者でこの殺人が何を意味するのかを知っていて行動していた。知っていたか らこそ同朋殺しに手を染めたのだ。いや、地球意思という超能力については殆どのものは知らなかった。だが地球人が死んだ分だけ、地球は復興するのだということは 誰もが知っていた。
 アースマーダーの起源が愛だと言えば人はどう思うだろうか。
 自分達が地球人で、地球人は死んだら地球に還り、少しずつ星が息吹を取り戻すと知ると、少なからぬ割合で地球人は自死を選んだ。死んで、地球に還ろう、 地球を甦らせようとした。自死を選ばなかったものも、ほぼ例外なく次代を作らぬことを選んだ。自分の代でその血を終わらせ星に命を還そうとした。そしてご く一部の人間が極端に走り、アースマーダーとなった。つまり、地球の回復を自らの手で進めようとしたのだ。地球意思は地球人が死ねば星に還る。殺された地 球人の意思は宇宙の何処かに残ってしまうが、同じ地球人の手によって殺されたのであれば星に帰る。ならば、自分の手を汚してでも一刻も早く母なる星を甦ら せようではないか。
 始祖の星への愛、それが、アースマーダーの始りだったというわけだ。
 アースマーダーは初めは一人で、単独行動だったが、標的とした地球人の中に見所のあるものを見つけると仲間に引き入れ、やがては組織立った殺人集団に なっていった。
 帝国は密かにほくそえんだに違いない。
 当時地球人回帰による地球の復活は不可能とされていた。監視して自然消滅させるには数が多すぎたのだ。それが、地球人自らが数を減らしてくれた。これな らやれると思ったことだろう。アースマーダーが出て初めて、帝国は本気で地球人の回帰を求め、それに伴うガーディアン計画に着手し出したのだ。
 それでも帝国は積極的な関与は望まなかった。神として天上から成り行きを眺めていたかったのだろう。もしくは、そういった方向でも手を貸すことが更なる神 の怒りを買うことを恐れたのかもしれない。
「あなたは、動きすぎた」
 涼子の処分を命ぜられた“有希”が、あてがわれた武器を向けてそう言うと、涼子は超然と笑んだ。処分されるのは全く恐れていないようだった。
「ガーディアンとして、パートナーを残して逝くのはちょっとザンネンね」
 最後まで明るく笑っていた涼子だったが、“有希”はその中についに表情というものを見ることができなかった。
 涼子の得た情報も、後に“有希”は移植され る。だが、情報だけで感情は無視されたので、涼子が何を思って逝ったのか、“有希”には結局分からずじまいだった。
 涼子のパートナーだったアースマーダーは、物言わぬ屍となった涼子を呆然と見下ろした後、“有希”に銃を向け引き金にてをかけ     
 …その後の、その代の“有希”の記憶は存在しない。



 ガーディアンが誰に付くかは総帥が決める。“有希”はアースマーダーに付けられたことはなかったし、付いた地球人がアースマーダーになったこともなかっ た。ただ、アースマーダーの最期に立ち会ったことが一度だけある。
 その時の“有希”の対象者は、生まれつき目の見えない、足の不自由な少女で、子を成せる体ではなく監視が必要な人間にはとても思えなかった。多分、その 時のクローニングの際新規に取り入れた同期装置の実験を兼ねた“有希”自身の観察期間でもあったからだろう。
 少女は何処に行くにも車椅子が必要で、日の半分は投薬治療の為に病室から出られなかったが、いつも明るく笑っていた。雨が葉を打つ音が面白いと言っては はしゃぎ、花の香が鼻腔をくすぐったと言っては浮かれ、頬を撫でる風が心地良いと言っては見えない目を細めた。一方の“有希”はガーディアンになってから 400年を経、大概のことでは情動が目覚めなくなっていた。介助師の名目で付いていた“有希”と少女は見目も性格も対照的で、ハタから見ればそのコントラ ストが美しいコンビではあった。
 そんな二人の許にある日一人のアースマーダーがやってきた。グループに属さないそのアースマーダーはガーディアンも近づけぬ一匹狼で、たった40年で7 万人もの地球人を、その倍の数のスペースエイジの犠牲と共に、時には星一つ丸ごと潰して地球に還した稀代の殺し屋だった。そんな無慈悲な男だから、出会 い頭に問答無用に命を奪うのかと思えば違った。少女が、抵抗できる体ではないと踏んだからか、地球と地球人についてを語りだした。
 地球という星があったこと。帝国の暴虐で死星となったこと。その当時地球で生まれた人間の子孫は地球人で君も私も地球人の末裔であるということ。地球人 が死ぬ毎、地球は少しずつ蘇っているということ。自分は地球を一刻も早く復活させる為に人生を捧げているということ。
「だから、君も」
 死んでくれ。
 そう言うつもりだったのだろう。銃を上げ照準を少女の額に合わせた。が、その動作の見えない少女は無邪気に手を打ち破願した。
「じゃああたしの中に星が生きているのね!」
 突き抜けた明るい声にトリガーにかかった男の指が緩んだ。
「あたしは、あたしの人生で得たものを地球に持って還るのね!楽しかったことや嬉しかったことや感動したこと、忘れたくない思い出を全部、星に残すことが できるのね!何て素敵なのかしら!
 ねえ、おじさん、もしかして地球は動けない自分の代わりに子供たちを宇宙に送り込んだんじゃないかしら?色んなものを見聞きして私に伝えてね、って、そ う想いを託して旅立たせたんじゃないかしら?違う?」
 それを聞いた途端、男の目が見開き、ついで、みるみる顔を歪ませた。絶望と悔恨、哀惜。その表情からはいくつもの深い想いが読み取れた。
 男は再びトリガーに指をかけた。
 “有希”は反射的に二人の間に入ったが、男は銃口を少女にではなく自分のこめかみにあて、トリガーを引いた。


 あの時、何故男がいきなり自殺したのか、“有希”には理解出来なかった。何が起こったのか分からずきょとんとする病弱な少女にも聞くことは出来なかっ た。
「男には、それが一番相応しい死に場所に思えたんだろ」
 後に、彼がそう言った。
「その子の言葉で、男は自分のあやまちを知ったんだ。地球の為を思うなら生かしておかなきゃならない人間を殺し続けたんだ、ってな。自分自身も、胸を張っ て還れる生き方をしなきゃならなかったのに、身内を殺し続け、全身血まみれになっちまった。今さら悔い改めても罪は消えないし、償いきれるものでもない。 今まで人を散々殺し続けてきたんだ、日の下を大手を振って歩ける未来はない。
 けど、ただ絶望したからとか断罪だとかじゃない気がするな。
 男にとって、その少女は自分の生涯の中で一番美しいものだったんだ。一番美しいものに触れているこの瞬間の自分を、せめて持って還りたかったんだと思 う」
 俺の想像だけどな、と付け足したがその言葉は正鵠を得ている気がした。
 彼はスペースエイジだったが、人の心の襞が分かる人だった。有希の対象者の大切な人で、有希にとっても忘れていた心の温かさを思い出させてくれる、陽だ まりのような優しい人だった。


***


 ピピピ、と呼び出し音がなり、有希はスリープ状態から醒める。
 通信回線をオンにすると、闇夜すら一瞬で霧散させる明るい声が飛び込んでくる。
『海の上にオーロラが出たの!有希、予定変更よ!今日の晩御飯はお弁当を持って夜のピクニックと洒落込みましょう!30分後にロビーに集合ね!』
「わかった」
 了解の返事は届いたのか。言うだけ言って最期の地球人はプチンと通信を切った。

 守る。
 強く、思う。
 彼女も、あの人も。二人にそそぐもの全てを。
 それが、見守るしか出来なかった彼女に繋がる多くの者たちに対する、有希が出来る唯一の贖罪だった。





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