11.ガーディアン


 はにかみがちな笑顔の可愛い、内気だが愛くるしい少女だった、という。
 600年前、初めてこの世に生を受けた時は、今と顔の形も目の色も髪の長さも名前すらも違っていた。
 ただ、与えられた使命は一貫していた。
 地球人を見守ること。傍にいて観察すること。
 長門有希は、その目的で作られた最初の、そして最期のガーディアンであった。


***


『最近報告書をサボり気味ですね、古泉』
 回線が開いた途端いきなりそれか。まあ覚悟はしていたが。
「国木田長官から下りていると思いますが?」
『私はあなたからの報告書のことを言っているのよ、古泉。上から 来る、色々と化粧をされ原形を留めていない情報ではなくてね』
 声は抑えられているがドスが利いている。対面であれば僕でも足が竦むが通信モニタ越しでは怖くも何ともない。
「上から止められております」
『何ですって?』
「当面、機関へは報告書を提出しないこと、どうしてもと言うのなら検閲を受けること。機関あてのものは極秘回線も全て押さえられております。もちろん、こ の会話もです。僕としても森さんの命令に背きたくはないのですが、更なる上からのお達しであれば末端軍人が逆らえるものではありません。まったく、下っ端 だと言うのに中間管理職のような板挟みを感じておりますよ」
『軽口はおよしなさい、古泉』
 ぴしゃりとやられ首を竦める。
 モニタ越しとは言え静かなる鋼鉄の女性を怒らせたいわけがない。僕は黙って彼女の出方を待つ。
 森さんは暫く思考を巡らせていたが、やがて、不承不承と言う顔で首を振った。
『良いわ、検閲されたもので構いません。報告書を上げて下さい』
「どこまでです?」
『あなたからの報告が途絶えている三週間前から全てよ。キョン少尉がテトラで事故に巻き込まれて瀕死の重傷を負い主星で治療を受けた後帰還したとは聞い ていますが、どの程度の規模の事故か、どんな傷を受けたのか、その間あなたが何をしていたかすら、聞かされていません。通信でさえ今の今まで遮断されてい ましたしね。帝国と軍がグルになってろくでもないことを企んでいるのではありませんか』
 ご明察。とんでもなくろくでもないことを仕掛けてきました。でも多分森さんの想像は及ばないと思いますよ。
「僕たちも軍属ですが?」
『その方が互いの都合が良いから甘んじているだけです。でなければ誰が帝国などと』
 森さんの顔が硬化する。盗聴されているというのに声に含む険を隠そうともしない。…いや、盗聴されているからこそあえて露わにしているのだろう。
 彼女は、4年前涼宮さんが最期の一人となった時、各地に生まれた能力者とサポーターをまとめ上げ一組織 を整えた強者で、理知的なリーダーではあったが、いつも心の底に暗く重い炎を燻らせている。
 恋人が地球人で、帝国の所為で死んだ  帝国の介入が自死に繋がった  と聞いたことがある。本当かどうかは知らないが、「いくら巨大な力を持っていると は言え地球人も人間です。その当たり前の幸せを奪う権利は誰にもありません」と折に触れ力説しているので案外本当なのかもしれない。そして、地球人の生をコントロー ルしようとしている帝国を憎んでいる。
 愛憎というものは恐ろしい。
 我が身を振り返ってみてもそう思う。
『とにかく古泉、軍が、帝国がなにを企もうがあなたはあなたの役目を果たしなさい。あなたにしか出来ない任務を忘れないように』
「アイ、サー」
『…それから、あの帝国の人造人間には決して気を許さないように。あれは帝国の直属の監視者です。人の形をしていますが感情を持たないアンドロイドです。 それは忘れないように』
「アイ、サー」
 とりわけガーディアンを森さんは憎んでいる。ここ100年は見つかった地球人全てにガーディアンが付いていたということだから、何か恨みがあるのかもし れない。ガーディアンはもれなく女性で見目の良い少女であることも「帝国の策略」なのだそうだ。周囲を油断させ懐柔し易いようにと。
 森さんに言われて今の今まで存在を忘れていた、今は側にいない深遠な目をした少女の事を思い出す。
 釘を刺されるまでもなく、僕は彼女に何の感慨も抱いてはいなかった。



***



 長門有希を、何者であるか一言で表せと言われれば、その内に秘めたものの膨大さに反し意外にすんなりと言葉が出る。存在が特異すぎて、どの側面から特色 を述べても、それがたった一言でも彼女そのものにしか当てはまらないからだ。
 ガーディアン。
 その存在を知るものはあまりにも少ないが、知っているものであればこれ以上的確な言葉はない。彼女は、一番最初に作られたガーディアンで、600年の長 きに渡りその任にあり、今、最期の一人になろうとしている。ガーディアンは一番多い時で1000人を超えていたのでその歴史を念頭に、“ガーディアンの 冠”と呼ぶものもいる。
 帝国のアンドロイド。
 大元はある少女の遺伝子を元に作られたクローンなので、人間と同じ血肉を持ってはいたが、二代目からの彼女は元となる遺伝子に改良を加えられており、有 機体であっても人造物の要素が強い。それに、加えられた改良により得た能力の一部は人のそれを超えていた。彼女のボディはクローニングで製造され、一代の 役目が終わるとボディの寿命を待たずして次のボディに記憶を移植された。記憶は代を移っても消されることはなく蓄積され、のみならず他のガーディアンが得 た情報も一緒に植えつけられた。人でなくアンドロイドと呼ぶのが相応しいだろう。
 総帥の妹。
 彼女の一番最初のクローンは、その人の遺伝子を使って作られた。その人本人は総帥と違い寿命以上の生は望まず記憶ごと世を去ったけれど、無慈悲な兄は己 の野望の為、あるいは孤独を紛らわす対象として妹の遺伝子を使い彼女を作った。自分には欠けているある種の忍耐と優しさが、観察者には相応しいとも判断し たので。
 ミステリアスな美少女。
 彼女の正体を知らぬ者ならそれが一番しっくり来るだろう。同期生として籍を置いた士官学校時代から涼宮ハルヒの傍に居り、ハルヒの繰り出す無理難題奇行軽 挙に顔色一つ変えず付き合う無口な少女、自分事を含めて多くを語らず誰にもおもねらずさりとて孤立せず。不思議において彼女に勝るものはそう居ない。
 大喰らいの読書好き。
 彼女の正体を知りつつ、そんな愛情のこもった言い草が出来るのは、彼女の同僚で理解者たるあの青年だけだったかもしれない。

 彼女自身は自分のことをどう思っているのかは、彼女が語ろうとしないので、誰も知らない。


 ちりり、と、頭皮を素通りして脳を直に突付かれた感触がする。
 23時。定時コンタクトの打診。
 基本的に有希に拒否権はない。いつも通りに回線を開く。その日一日に有ったことを情報として帝国に伝える、それが有希の日課だった。
『妹よ、今日は何があった?』
 かつては兄だったものの声が頭に響く。
 情報の交換に言語は不要のはずなのに、それは必ず有希に問いかけることから始められた。人としての肉体を持っていた時の名残かもしれない。
 頭に埋め込まれたバイオメモリチップが数十光年離れた帝国内部の中枢生体コンピュータと交信し、前回以降追加された情報を吸い上げて行く。同時に、ソレ が得た情報も有希に流れ込んでくる。
 “同期”と呼ばれる作業だった。
 有希は帝国の核である“総帥”と情報を共有する。
 帝国を建国し、地球を潰し、宇宙移民を統制した総帥の没年は歴史に載っていない。死因もだ。ただ、人たるものの当然として既に亡いのだろう、隠していたのだろう、だとしたらそれは総帥が表舞台から姿を消したあの時期…という後の世の推測から「大体の年代」は伝わっている。狭義において彼は、確かに死んでいる。その肉体は機能を止め土に還った。だが脳は別の肉体に移植され、記憶も意志も野望も権力も全て残った。脳が劣化すると新しい脳を記憶を移植し新調し、そのうち、何かあるたびに体を変えるでは面倒、と、人工脳だけの存在、帝国の中枢コンピュータとして“生き”続けた。
 だから、実は総帥はまだ死んではいない。少なくとも本人、そして帝国、軍の人間は、ソレを総帥と見なしている。
 ついでに言うと、表の歴史では既に“帝国”も亡いことになっている。いわば、闇の存在だった。

 内にも外にも敵が多い帝国だったが、総帥は有希とだけは全ての情報を共有した。それは、総帥が有希だけ は信じているというより、有希は自分の所有物、己の一部と思っているからだった。
 500年前、肉体を放棄し、人工脳だけの存在となり手足の代わりにネットワーク上に点在させたメモリチップを通して全宇宙を把握するようになって以来、 総帥は個の概念というものが希薄になっていた。自分ではない他者を信用しない代わり、自分の範囲というものが広がりすぎ、情報の相互交換が出来る範囲であ れば自分であると認識するようになっていたのだ。
 記憶チップにより伝えられるのは情報、精々言語化もしくは文字化した感情までで、素の情動は含まれない。だが総帥は気にも留めない。自分の持たぬものを 手足が持つとは思ってもいないからだ。
『異常なし。結構なことだ。このまま大過なく回帰が成ると良いのだが。…ああ、妹よ、君の能力を疑っているわけではない。君は帝国の粋を集めた最高の ガーディアンだ。君以外に最期の一人を任せられるものはいない』
 総帥は有希のことを決して名前では呼ばない。
 有希は代が変わる度、違う体と名を手に入れていたからだ。だが有希には自分がかつてはどういう名だったかの記憶はない。600年の間、体を変えられる 度、記憶は蓄積され移し替えられていた。我が身を通り過ぎた出来事は全て憶えている。それだけでない、彼女以外のガーディアンが得た情報も一緒に埋め込ま れた。だが名前だけは毎回奪われ、新しく与えられた名で過去の全てが上書きされた。つまり、どの時代の記憶を引っ張り出しても、違う名を持っていたはずな のに、彼女は有希と呼ばれ名乗ってもいた。
 ガーディアンとして一環した存在であるべしというのが総帥の言い分だ。違う名の記憶を持てば時代ごとに自分を分断してしまうから、と。本当なら自身と同 じように名でなく役割で彼女をイニシャライズしたかったのだが、名がないと社会では不便なこと、同じ名で通しては後々歴史を探るものがいては厄介というこ とで、そのような妥協がされた。
 だから彼女が長門有希なのはここ10年ばかりのことだったが、彼女の記憶の中では600年間、彼女はずっと長門有希だった。
『しかし僅か800余年で地球人が絶えるとはな』
 その声はとても感慨深げだった。
 脳だけの存在のくせに、総帥の感情は豊かだ。800年生き続け、その間の記憶も蓄積させ続け、のみならず全宇宙から集めたあらゆる情報を飲み込んでかつ 人格を保っているのは賞賛に値する。それほど多くのデータを詰め込めば個なぞ失われそうなものなのに。
 事実、有希の方は今ではもう殆ど情動というものを持たない。
 昔は対象者たる地球人が死ぬたび泣いた。楽しいことがあれば共に笑い、何かを成し遂げれば喜び、怒れる時に声を荒げたりもした。だが、一つ一つの情感には重みが ある。重みはすなわち負荷だ。溜まりすぎると圧迫され、窒息してしまう。特に、人生を共有した対象者との死別に伴う哀しみは、元々は感受性豊かだった有希 の心を押しつぶした。穏やかな別れもあった。数は少なかったが天寿をまっとうし、しわくちゃの手で有希の指を握り微笑を浮かべて亡くなった人間もいた。気 の合わなかった者も居た。振り回され、傷つけられ、死んでくれて清々したと思ったこともあった。情が移る間もなく永別したこともある。それでも、どの別れ も重く、その度に心が裂かれた。裂かれた心は修復されず次々と刻まれ、やがて形を成さなくなった。
 そうして、彼女は、笑うことを忘れた。
 有希は自ら思考というものをしない。行動の殆どが積年の経験が生む反射に従ったものだったし、初めて経験することでも総帥の望むことをと選択していたからだ。
 下手な思考は脳に記憶される。記憶されてしまえば同期の時吸い上げられ、総帥の一部となってしまう。それを嫌っても嫌だとは思わない。…思わないように した。思うと、その感情も総帥に渡ってしまったからだ。渡ったところで総帥は有希に何をするわけではなかったが。
 ただ有希は同期の際接触を免れる記憶領域を僅かだけ持っていた。ブラックボックスと呼ばれる特殊なその記憶チップは、同期に反応せず、また生体から取り出す と劣化する。一代限りだが唯一の不可侵領域だった。数代前、このままでは総帥と同化してしまいガーディアンとしての個が保てなくなると訴え聞き入れられた 僅かな自由だった。この領域に有希は、どうしても総帥に取られたくない想いを隠し持っていた。
『もう少しで地球は蘇る。私が浄化した美しい星が。油断するな、妹よ。最期の詰めを誤るでないぞ』
 有希が一言も言葉を発しなかったことはまるで気にせず、同期が解除され、有希は再び一人になった。
 総帥が去った後、有希は椅子に座って“本”を読む。触覚を伴わず頭に直接流れ込んでくる情報でなく、手で触れ、目で文字を追うことによって得られるそれ は、有希に、生きている実感を与えた。
 一息ついて、机の上にあったケーキを手にする。昼間、ハルヒとみくると三人で作ったものだ。
 齧る。甘い味が舌に広がる。食べ物が美味いのは生きているからだと教えてくれた人が居た。それ以来有希は、食べることと生きることを同列に考えるように なっていた。
 美味しいと思う限りは私はまだ生きている。
 触覚に縋るように、有希は菓子を食べ続けた。




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