10.誓い 定時連絡のコールの後モニタに映ったキョンの顔をみてぎょっとした。 「どうしたの?!キョン、真っ青じゃないか!」 『あ…?そうか?』 「そうかじゃないよ。目は落ち窪んでいるし、面差しはやつれている。モニタ越しでも憔悴しているのがはっきり分かるよ。…何があったの?」 昨日までのキョンは普通だった。初日こそ緊張していたようだけれど、すぐに馴染んで、日に日にリラックスしていくのが見てとれていた。 6ヶ月ぶりの環境にも無理なく溶け込めそうだということで、僕は主星への帰還を決めた。こちらが最重要とは言え、他の仕事もある。しかも今回の行動は極 秘だった。いつまでも留まっているわけにはいかない。 僕が居なくても大丈夫だ 「古泉准尉と、何か?」 キョンの顔色がさっと変わる。やはりあの男が…。 彼は聡いし、重要な役も担っている。何よりこの6ヶ月分しかキョンと付き合いがない。直属ではないけれどこちらの配下だ。ある程度事情を含ませて協力 させた方が良いと踏んだのに、とんだ見込み違いだったらしい。 「何があったのか教えて。すぐ対応する」 『いや!何でもない!お前に動いてもらうようなことは何も 「キョン少尉、報告して。判断は僕がする」 強い命令口調で言うとキョンは言葉を詰まらせる。睨み続けると誤魔化すのを諦めたように体の力を抜き、一つ大きな息を吐いた。 『…本当に何でもないんだ…。 いや、うん、話はした。昨日までの報告通り、いまいちヤツの本心が読めなかったから、お前が帰る前にケリをつけようと部屋に踏み込んで問い質したんだ。 そこでヤツとぶっちゃけた話をした。それでちょっとぶちまけられすぎて、アテられたんだ。だが大丈夫だ。お陰でわだかまりはなくなった。今ちょっと気持ち の整理がつききっていないが明日からは上手くやれる。だから…』 「…どんな内容?」 『それは…、言えない』 「キョン…」 『頼む!言えないんだ。ただ本当にもう大丈夫だから。お前たちが上からあいつをどうにかしなきゃならないってのは絶対ない。保証する。だから、これ以上は 聞かないでくれ…』 「…キョン、君も軍人なら分かっていると思うけど、下官っていうのは判断しちゃいけないんだ。手足なんだよ。頭脳である上官の命令に反してはい けないし、疑問を持ってもいけない。どう処理するかの判断は僕がする。正しい判断の為にも、報告はきちんと上げてもらわないといけない。分かるだろう?」 キョンでなければここまで噛んで含めるような言い方はしない。キョンは部下である前に友人だし、分別もある。頭ごなしに命令する前に自分で立場を思い出し て欲しかった。けれどもキョンは顔を歪めて首を振った。 『それでも言えない』 「キョン!」 『言えないんだ、こればっかりはたとえお前にでも。…頼む』 「キョン、あのね…」 『どうしても、ってんなら、ラボに引っ張っていって記憶を抜きゃいい』 「…!」 静かな冷たい声でそれを言われては僕は絶句するしかない。 生きた人間から、その本人が望まないのに外科的に記憶を抜き取る技術を帝国は持っている。 そしてキョンは何年もそうされてきた。それとは知らず、ただの健康診断と称して、コピーを作る為に定期的に記憶を取り出され、己の秘密を暴かれ続けていたの だ。勿論、キョンにもコピーにもその記憶はない。ただ今になって知識として、コピーの存在を証拠として知ってしまった。 記憶のコピーには必ずしも第三者の閲覧は必要ないし、実際キョンから抜いた記憶の多くはハイド けれども、そんなことは言い訳にはならない。僕たちはキョンのプライバシーを、人権を侵害し続けていた。その負い目は消えない。 キョンのコピー作成計画は僕がまだ現職に就く前に着手され、僕自身は決済印を押していない。計画を知らされた時には後戻りできない段階まで進んでいたと は言え、黙認し、立場上仕方がなかったとは言え協力した。その為にキョンがどれだけ傷付いたかを知っている。 「キョン、僕は…」 『あの計画があったから、コピーの俺は今此処に居る。俺がこうやって生きていられるのもそれがあってこそだ。だか計画を認めちゃいない。今でも俺は許せな い。だからもし俺の記憶が欲しいなら、協力はしない。薬を嗅がせるなり何なりして、力づくで俺を連れて行くがいい』 足元が急に消失した浮遊感に襲われる。 僕が辛くなかったとでも? 友を欺き総身を剥ぐ真似をし、世界と未来の為とは言え要るかも分からない保険の為にかけがえのない友達を祭壇に捧げ平気だったと思う?キョンは僕がそう いう人間に見えるの? …言えるものではない。 その葛藤も苦しみも、キョンの受けたものに比べてあまりにも軽い。それに、これは僕の業だ。この星の下に生まれた、この時代に生きてしまった僕だけが背 負える僕の荷だ。 だから、言わない。 「………。…分かった。今回のことは君を信じる。僕は何も言わない。…古泉准尉はこのままで良いんだね?」 『…すまん、国木田。恩に着る』 「でも悪くなるようだったら必ず僕に言ってよね。…何度も言うけれど、君は、君を一番に大事にして。もう君の代わりは居ないんだから」 ありったけの思いを込めたのに、キョンは自嘲気味に笑む。 『どうだかな。帝国はもう一体くらい“キョン”のコピーを作ってるんじゃないか?』 「キョン!」 先ほどよりキた。 「君のコピーはもうない。作られていない。君はもう君だけだ。僕が作らせやしない」 『軍がどう思おうが、帝国は自分の思惑で動くだろう?』 否定はしない。帝国は目的の前では決して紳士ではないし、帝国が何かを企んでいて阻止できる力は軍にはない。それでも。 「この件に関しては請け負うよ。僕じゃなくて長門さんがね」 『長門?』 「二度とコピーは作らせないと君に伝えてくれ、と言われた。『私がさせない』ってね。 …僕の言葉ならともかく、彼女の言い分なら信じられるだろう?」 『長門が…』 キョンは驚きを隠さない。どこか感動しているようですらあった。 僕も、彼女からそう言われた時は耳を疑った。彼女がそんな保証をするだなんて。 確かに彼女であれば可能だろう。彼女はただのガーディアン、帝国の人造人間ではない。総帥に唯一意見できる人物なのだ。それでも、彼女はこれまで何百年 も監視者に徹してきた。その長門さんが動こうという。何が、誰が彼女を変えたというのか。 「長門有希が請け負った。だから、キョンのコピーは二度と作られない」 だから、君は死ぬな。 口に出さないその思いが通じたかどうか。モニタに映ったキョンはどこか遠くへ思いを馳せ、僕の言葉はうつろな目で聞いていた。 |