8.未来人


 タイムトラベル技術を持った未来人が、時を遡って過去に介入し歴史を変えようと企む、というお伽話を聞いたことがあるだろうか。歴史上の偉大な人物、例 えば、大量虐殺兵器製造の元となる理論をを発見した科学者を殺せばその理論の先にある兵器は作られることはなく多くのものが死から免れ歴史は大きく変わる、その人物の命を奪う側と守る側に分かれ、緊迫したバトルが繰り広げられるなどと言う創作 だ。
 ありがちな題材だがそれはお伽話ではなくサイエンスフィクションだろう、と、この時代の人間は言うかもしれない。
 だが、そんなことは幻想で、人間を一人や二人殺したところで未来は全く変わらないのだということを、朝比奈みくるの時代ではジュニアハイの子供でも知っ ていた。


***


 休日の時空管理局は見学の一般人で常に賑わっていた。当局は広報に力を入れており、少しでも多くの人に興味を持ってもらおうと、見学ツアーを組んだり来 局者プレゼントを渡したりと色々と工夫を凝らしていた。
 歴史を観察監視し、時として時空移動により過去に介入するを許された唯一の公的機関である時空管理局の局員は最先端の花形職種ではあったが、種々の要因 から十分な人材が確保出来ないでいた。
 時空移動の技術は未だ発展途上で優秀な科学者が要る。反対勢力に対抗する工作員も要る。過去を探る探査員、調査員、観察員、管理員…、多大な数の人員が 必要で常に人手不足の状態だった。何せ、現在は一瞬なのに過去は膨大なのだ。理屈で考えると全人類が時空管理に当たっても過去を網羅することは不可能だ。 少しでも多くの人に興味を持ってもらい、職として選んで貰わなければ局は立ち行かない。
 だが一般人の多くはタイムトラベルを未だSFの世界としかとらえていない。目に見えた恩恵を与えられていないのだから仕方有るまい。
 だから、タイムトラベルの起源、技術的なしくみに関してはあまり食いついて来ない。説明に物語性が出てくると途端に熱心に耳を傾けてくるのだ。
  で、こちらが実際に過去を覗くモニターとなっています」
 一通り退屈な説明をした後、この実視コースに入ると見学者の目が爛々と輝き出す。モニタには第二次星間戦争の最終決戦時の司令部が映っていた。中央は厳 格な様相で部下に指示を出す将軍の姿をとらえている。今から彼は、歴史上あまりに有名な片言を漏らす。一般人の食い付き所を押さえたチョイスだ。暫し解説 員も一緒に画面に見入り、一段落付いたところで口上を再開する。
「私たちはこれを遠見鏡と呼んでいます。受信側ではこのようにモニタに映る仕組みになっておりますが、送信側にカメラや機械的な何かがあるわけではありま せん。時代と場所を表す座標を入力し、こちらから覗くという形になります。…まあ、高性能な望遠鏡だと思って下さい」
「それってどの時代のどの場所でも視られるんですか?例えば、過去は人跡未踏だった場所とか」
「座標は機械的なものですので、人が居たかどうかは関係有りません。どの場所にでもセット出来ます。有名な話では、とある有翼動物についてですが、その起 源は諸説ありましたが、座標テストでたまたま合わせたその場所に誕生の瞬間が写り込んでおり明らかになった、ということがあります。土着か、異星飛来かで もめておりましたが、その映像のお陰で異星飛来が確認されました。
 ただ、座標を設定しても全てがクリアに見えるわけではありません。座標によっては靄かジャミングがかかったように、見えないところがあります。たまたま 電源が入っていなかったのか(笑)、暫くしてからお掛け直しいたしますと見えるようになる場合もありますが、遠見鏡が出来て来、一度も過去視が出来ない座 標もあります。そうですね、全座標の約7%が不可視の場所です。何年か分、まとめて見えない座標もあります。その場所で起こったことは分かっておりませ ん。
 過去見が可能になった今の時代になっても、未だに歴史が諸説ある、明らかになっていない部分というのがそういう不可視座標での出来事が9割。あとの1割は…、はい、そこのお嬢ちゃん、分かるか な?」
 案内役の次長は良く見ている。指された少女は先ほどから口元をうずうずさせて自分のささやかな博識を披露したがっていた。少女は形ばかり照れてみせて、 はっきりとした声で言った。
「そもそも史実自体がいくつかある場合です」
「そう、その通り。実は過去というものは一つではありません。いえ、基本的には一つだったのですが、未来からの介入により、分かれてしまった過去があるの です。
 タイムトラベルが可能となったあたりから、過去に干渉し歴史を変えようとする犯罪者集団が現れました。現在でこそタイムトラベル技術は我々が上を行 きますが昔は、その集団を作った中核が時空研究のシンクタンクだったこともあり少しばかりやつらの技術が先んじておりました。その為、色々な時代で過去の 改変を許してしまったのです。
 ただ怪我の功名と申しましょうか、過去に介入されたからこそ分かったことがあります。それが、過去は、未来はそう簡単には変わらないということです。
 宇宙世紀300年の頃ですが、ある星を支配し連邦に盾突き星系一つを大戦争に導いた独裁者がおりました。この男が居なければ戦争は始まらず何億という人 間が助かるはずだ、そう推断し、犯罪者組織はこの男をまだ赤ん坊の時に殺しました。確かにその時はやり過ごせました。起こるはずの戦争は起こらず、死ぬは ずだった多くの人間が生きながらえました。ところが、10年経たぬうちにその男と殆ど違わない思想を持ち行動を取る独裁者が現れ、やはり星系は戦乱へ突入 いたしました。元々の歴史から10年遅れて星間戦争が始まり、元の歴史とほぼ同じだけの数の人が死に、同じような経緯で8年遅れて戦争は終結しました。星 系は平和を取り戻し復興し、結局は元の史実と同じ歴史に収まって行きました。
 また、先の独裁者の下では生き延び、後に偉大な物理学者となった人物が、後の 独裁者の下では死にましたが、彼によって発見されるはずだったいくつもの法則は、後の何人かの物理学者によって5年の遅れなく発見され、20年後には未来 人が介入していない歴史にすっかり追いついてしまいました。
 Aという法則が発見されたのは350年か367年か、Bという学者によってかCという学者によってか、諸説あるのは実際にどちらの歴史も存在したからで す。
 つまり、人一人殺したところで、長い目で見て歴史は変わらないということです。人が歴史を作るのではなく、歴史が人を生み巻き込んでいく、その時代に合った 人間を求めるのだという説はここから出たものです。
 歴史というものを擬人化する説は行き過ぎですが、人を育むのは環境で、いくら競泳の才能がある人間でも水のない星で育てば泳げるようにならないのと同じ ように、また、資質はそれなりでも音楽家の子として生まれればひとかどの音感は育つのと同じように、世情がある種の人格を作り上げる、その人物が果たした 役割が大きければ大きいほど、逆説的に、その役割が必要だからこそ、一人を排除しても別の誰かが取って代わるたげだというのが定説となっておりま す。偉人を殺すことは人類の長い歴史を変える意味ではあまり意味がありません。
 もちろん、歴史が変わらないからと言って過去に干渉して良いものではありません。人類全体の歴史は変わらなくとも個々人の歴史は変わります。生まれてく るはずだった人がいなくなったり、その逆もあります。…とはいえ実はそれについてはまだ実証されておりません。理論的には、祖先が子を成さず殺されれば遠 く未来の子孫も居なくなってしかるべきなのですが、追跡調査はまだ出来ていません。過去が穴あき状態でしか見えていない所為と、時空管理局の人員が不足し ていて十分に調査が行えないという現状の為です。
 …また、歴史だけでなく個々人も、未来に生まれるはずだった人が違う祖先から生まれる…最終的には辻褄が合うとする学説もあります。ついえたはずの遺伝 子が、それ以前の祖先から分化したものにより補える  例えば、祖先の兄弟が代わりとなり  という説です。…まあそれは極論です」
 場合によってはここで見学者から質問が浴びせられる。過去人が未来人によって殺された時、その子孫が急に消えたりするのかとか、辻褄が合うと言うがその 事例はあるのかとか。大概は機密ですらなく、そもそも本当に真相が分かっていないので答えられない。だから、案内人によってはわざとこの話題を外すことも ある。
「その人が不当に死ぬと、歴史が影響を受けるような人物のことを、特に“ジュ”と呼びます。“樹”です。10年、未来  歴史  を変え得る人を、十年 樹、元の歴史まで戻るのに百年かかる人物を百年樹、というように。
 長い人類の歴史の中で、今まで確認された百年樹はたった68名です」
「帝国の総帥は?」
 先程の少女が手を上げて聞いてくる。歴史が好きなのだろう、この年でなかなか知っているものではない。
「ああ、彼は確認されている中では図抜けています。唯一の、千年樹です。彼が不当に殺されれば後の歴史は少なくとも千年は影響を受けると言われています。 千年どころではない、彼に代わるものは出ず、よってその後の歴史は全て塗り替えられると言う歴史家もおります。ただ取り敢えず今のところは千年樹であるという説の方が優勢で す。
 流石に千年変わると、現代にも影響は残りますが、今のところ彼に干渉される心配はありません」
「何故です?」
「総帥の生きていた時代に繋がるゲートがないからです。私たちはあの時代に手出しを出来ません。更に、総帥の出自に関わる座標の遠見鏡の映りが悪いことか ら、彼の祖先も分からず、遡って彼を生まれなかったことにすることも出来ません。現在の我々の為に、最も重要な過去の人物は不可侵です。ご安心下さい」
 茶目っ気を込めウインクし、次長は見学者たちを安心させたものだった。

 次長はあの時嘘を吐いた。総帥が最大の樹ではない、千年樹どころではない、扱い次第では未来全てが亡くなる恐れのある人物を、局は見つけてしまってい た。


***


 朝比奈みくるはベッドからのろのろと起き上がり、すぐにまたベッドの端に腰掛けた。
 昔の、そして時間軸上では未来の、夢を見ていた。駆け出しの座標観察員の頃で、下っ端には必ず課せられていた一般見学会の助手をしていた時の夢だ。
 あの頃は自分が彼女の担当として過去に、此処に、来ることなんて想像もしていなかった。
『涼宮ハルヒを、ヤツらの手から守るのです』
 そう言われはしたけれど、本来、みくるが期待されていたのは別の役割だった。
 その涼宮ハルヒは今日はDポイントの散策に出かけている。長門有希が同行しているので、めったなことは起こるまい。
 みくるも付いて行く立場にあったが、今日の活動は免除されていた。顔色が悪いから一日静養しているように、と。
 みくるは本来は病弱な質ではない。むしろこの上ない健康体だ。だのに、ひ弱だと思われている。周りの人間が彼女に輪をかけて丈夫なのと、境遇が生 むプレッシャーに耐えきれず、時々倒れてしまうからだ。
 昨日も、テトラから信じられない通信が入り、気分が悪くなって倒れてしまった。
 しっかりしなければと自分を叱咤し、普段通りに振る舞おうとしたところ、長門有希に止められた。彼女もみくると同様の情報が、ただし彼女には帝国から伝 えられており、みくるの状態を把握していた。
「でも涼宮さんが…」
「涼宮ハルヒには私が伝えておく。今のあなたの状態では通常の4割の性能しか期待出来ない」
 足手まといだと言われた気がして暗くなったが、事実なので仕方がない。
「あのっ」
 去ろうとする長門を思わず引き留める。彼女のことは苦手だったが、今、話題を共有出来るのは彼女しかいなかった。
「キ…彼が、し…死んだ、って…、本当なんですか…?」
 軍がそんな誤報を流すはずがないと分かっていても、問わずにはいられなかった。
 彼が死ぬなんて。誰よりも彼女に守られているはずの彼が…ううん、そうじゃない、そんな理屈っぽいことでない。『朝比奈さんもお気を付けて。ハルヒのこ とを頼みます』そう言って少しだけ寂しそうに笑った、あの優しい仕草がもう亡いなんて、信じたくはなかった。
 問われた少女は返していた体を戻し、みくるに向き直る。
「人は誰しも死ぬ」
「…そっ…、それはそうですけど…、でも今はそういうことじゃなく…」
「彼は死んだ。人だから死んだ」
 それだけ言い、彼女は今度こそ無表情に去って行った。
「長門さん…」
 あまりに冷徹な態度にみくるは青ざめる。(やはりアンドロイドだから?)真冬のため池に突き落とされ更に氷を上から投げ込まれた気がした。
 それは彼女なりの満干の想いがこもった言葉だったのだが、みくるはその真意を汲み取り損ね、ふらふらと自室に引っ込んだ。

 長いため息を吐き、みくるはいつも身につけているペンダントを開き、中にはめ込まれた1cm四方のフィルム状のチップに中指を当てる。指紋が認識さ れ、その中に入っていた情報が頭に流れ込んでくる。それは、みくるが未来から持ち込むことの出来た数少ない私物の一つ、6万時間分の映像情報が保存出来る 記憶装置だった。
 未来から見た遠い過去、みくるが今居る時代と、今のみくるにとっては未来である歴史部分を引き出しなぞらえ読む。
 未来は今をどう書いていたか。
 涼宮ハルヒと彼女の鍵たる人との一生については諸説ある。遠見鏡の情報にノイズが多く読みとりづらいからだ。あるいは、本当に複数の史実があるのかもし れない。
 二人は一生を共にした、いや彼は途中で離反した、結婚して子供を成した、結婚はしなかったが彼女の子の父親は彼だ、彼女自身の子は居らず皆貰いっ子だっ た。
 どの説が有力ということすらない。どれも同じくらい支持されていた。
 ただ、彼がここで死んだという歴史はない。この後も彼は日となり影となり何度も歴史に登場している。史実では彼はこんな所で死んでいない。コピーとすり 替わったという伝聞もない。多分上手く入れ替わったということだろう。今回の事件による涼宮ハルヒへの影響はない。
 そう言い聞かせつつ、みくるは別の可能性を考えずにはいられない。
 キョンくんがコピーと入れ替わった瞬間を、遠見鏡はどう映したんだろうか。涼宮さんが関わっていた部分なら、見えた範囲では、どんな場面でもすぐに思い 出せるけど、キョンくんはカバーしていなかった。どのみちこの時代は不可視領域が広くてあまり詳しいことは分からなかったと思うけど。
 特に、コピーが作ら れていた帝国内部は、あらゆる時代において全く不可視の地帯だった。
『あまり、予習はしない方が良い』
 メンバーに選ばれた時、みくるの上官は、あれこれと準備する彼女をたしなめた。
『君たちが行くことだけで過去は変わる。大勢を変えない為に君たちは行くが、過去に居ないはずの君たちが介入するだけで、未来は…その時代は遠見鏡で見た ものと違ったものになる。あまり予習しすぎると、ここはこうなるはずだったのに、と、そのことばかりにとらわれて的確な判断が出来なくなる。細心の注意を 払いつつ、大雑把に君たちは成し遂げなければならない。未来を変えない為に行動するというのは、遠見鏡で見える過去を踏襲するということでなく、結果を同 じくする為辻褄を合わせ続けるということだ』
 言われていることは分かったが、それでも、みくるは“正しい”過去を知っておかないと不安だった。
 キョンくんの入れ替わりは、元から有った過去だったのだろうか。
 みくるは考えずにはいられない。
 コピーとの入れ替わりは有ったことで、歴史では知られなかっただけなんだろうか。…それとも、あたしたちが来た所為で起こってしまった…?
 その可能性にたどり着き、みくるの背筋が冷える。涙がまた、溢れてくる。
 どうしよう…、キョンくん…あたしの所為かも…。どうしよう…。あたしは一体どうすれば…。
 上司の、先輩の、同僚の顔が次々浮かぶ。助けを求めても誰も応えてはくれない。彼女は、孤独だった。頼れる仲間も上司の指示もない。ただ一人で、自分が 属するとは違う時空で、重任を果たさなければならなかった。


***


『行ってきます』
 そう言って過去への旅に出たみくるだったが、心配する両親や弟を安心させるよう、上手く笑えた自信はない。全身を引き締め最敬礼したが目に浮かぶ不安は 払拭されてはいなかっただろう。
 帰れる保証のない、どころか行き着ける確証もない旅立ちだったのだ、当然だろう。
 朝比奈みくるは、任務を負って過去に降り立った未来人だった。
 未来から来たというと全能のように思われがちだ。だが未来でも過去でも人は人のままだ。個々人の資質にそう違いはない。それに、少なくともみくるの時代 はまだ時間遡行に関しては黎明期…試行錯誤で関わりを模索する、まだ学び初めの子供のようなものだった。
 彼女の時代において時代を遡るには、ゲートと呼ばれる時空の歪を使う。過去と現代を繋ぐ道で、これを通ってしか過去に行けない。またこのゲートは人が意 識して作れるものではなく、自然発生的に開く。一つのゲートは一つの座標、プラマイ5年,2光年にしか通じていない。つまり、行く先と場所を選べない。一 度出来たゲートは始点と終点は変わらないかわり、何度か使うと磁場が乱れ劣化し、やがて消滅する。何度でも繰り返し同じ時代に行けるわけではない。
 ゲートは最初は特殊なワープホールとして発見された。研究を進めるうち、それがタイムトラベルを可能にするものだと判明した時、善き人類はその研究を封印し た。過去に移動する手段を持ったら人は滅びかねない、と。ただ、過去を観察する受信装置の開発には力を入れ、その方面ではかなりの進化を見た。

 科学の発展というものは、時として人道を考えぬ狂人によって成されてきた。タイムトラベルもしかりである。
 時空管理局の前身である時空監察局から、当局の有り様に不満を抱いた科学者ら数名が離反し、違法とされていたタイムトラベルシステムを研究し実用化し た。彼らは、彼らの正義に則り、歴史を改善すべく、過去の改変に乗り出した。それを追う形で時空管理局もタイムトラベル技術と制度の整備に着手せざるを得 なくなったのだ。
 それが、人が過去に旅立つようになった初め。
 それから100余年が経ち、試行錯誤を繰り返し、一応の規律は生まれた。あくまで、一応だ。
 過去に通じるゲートはアトランダムで行ける場所は選べない。使いすぎては消滅する。そのお陰でいつまでも一つ時代にかまけていられない。一応、抗争に区 切りがあるとは言える。何度でも好きな時代に行けるでは、一度過去の改変を食い止めたとして、またすぐ更なる未来から同じ企ての手が伸びいたちごっこに なってしまう。そうなることは防げている。
 また過去へはゲートから直接向かえるわけではない。時空を渡るタイムボートと呼ばれる乗り物が必要なのだが、構造上このボートはそれ自体が飛ぶことは出 来ない。設備の整った施設からゲートまでワープの応用で擬似飛行し、ゲートに入るのだ。つまり、ゲートは宇宙全体に点在しているがタイムワープの始点は必 ずボートのある施設、時空管理局においてはポートタワーと呼ばれる場所だった。ゲートの入り口を巡って争わなくて良い代わり、反対勢力がゲートを通る自体 を阻止できない仕組みだった。
 この時空移動の唯一と言っていいシステムは人類解放同盟という反対勢力側の研究者が完成させたのだが、組織のやり口に疑問を持った学者が時空管理局に寝 返ったことで、敵味方で全く同じシステムを持つようになった。
 時空管理局と人類解放同盟の間には長きに渡る抗争があるのだが、それを記すには多巻ものの全集なみの分量が必要なので割愛する。
 互いの工作員が有能なので、どちらかがゲートを見つければすぐ相手に知れる。
 涼宮ハルヒの時代へのゲートは時空管理局がみつけた。ただし、不安定なゲートで、帰りのゲートが歪んでいて使えなかった。つまり、一方通行のゲートだっ た。しかも、行きのゲートも磁場が荒れていた。
 こういうゲートはたまに見つかり、見つかったとろこで危険なので使われない。こういうゲートのそばには同じ時代に通じる別の安全なゲートがみつかることが 多い。だから時空管理局はそのゲートを、他のゲートがみつかる兆しと位置づけ、使用するつもりはなかった。
 だが同盟側が先手を取ろうと見切りで使用してしまった。
 同盟とて普段はそんな危ない橋は渡らない。だが、涼宮ハルヒは何者にも勝る、何を賭してでも介在に値する人物である、と、片道しかない、それもたどり着 けるかも分からない不安定なゲートを使ったのだ。
 同盟に動かれては見過ごすわけには行かない。そのうち必ず帰りのゲートがみつかると見込み…見つけると誓い、タイムトラベルの片道切符を発行したのだ。
 朝比奈みくるはそのメンバーに選ばれた。4人のうちの、一人に。
『お前は捨て駒だ』
 出発前、メンバーの一人にそう言われた。
 眼鏡をかけた、酷薄そうなその男は時空管理局きってのエリートで、才能も実力も段違いな、対同盟戦闘のエキス パートだった。
『何故お前が選ばれたと思う?お前みたいなペーペーの役立たずが』
『それは…あたしが対象と年が近い同性で、怪しまれず近づくのに都合が良いから…』
『ふん、そう言い含められたか。だがそんなものはただの巧言だ。怪しまれないよう近付けたところで、ろくな戦闘訓練も受けていない観察員に何が出来る?
 タイムシップにはな、一番安全な航行人数とポジションってのがあるんだ。4人構成が一番安全で、その中でもポジションAが一番堅いんだ。今回のゲートよ りやや下の、不安定レベル40で4人構成のポジションAの生存確率は95%以上だ。逆に、60%の確率でポジションDはロスト。つまり、航行途中に何処か に消えてしまい目的地にたどり着けない。…お前が乗る位置だ。言っている意味が分かるか?』
 みくるはおっとりしているが愚鈍ではない。何を言われたかくらい、すぐに理解した。
『当局にしてみれば、向こうに無事に着くのは俺だけで良いんだよ。あとの三人はあわよくばの捨てゴマだ。だから、お前のような新米、居なくなっても困らな い人間が選ばれたんだ。うぬぼれるんじゃないぞ』
 それだけ言ってエリートは去って行った。後から考えるとあれは、彼なりの思いやりだったのだろう。彼はみくるに、思い直すのなら今だと忠告をしたのだ。 死にたくなければ命令を拒否し、此処に残れ、と。
 だがみくるは、捨て駒と言われて妙に納得した。彼女とて時空管理局に入るくらいだ、おちこぼれではない。高等教育までを飛び級で終了し、厳しい試験を突 破し、時空管理局に入った、ハタから見れば十分エリートだった。ただ、ここに勤めるものはそういったトップクラスの人間ばかりだったので、その中では今の ところ凡庸だった。正式配属されて一年に満たない、まだろくに仕事もこなせない新人が、こんな重要な任務に選ばれただなんて不思議だと思っていたのだ。
 ロストを見越しての人員だったのだ。それで内示の時所長が、『嫌なら断ってくれて良い』と申し訳無さそうな顔をしたのだ。普通は上からの命令を断ること なんて出来ないものなのに。あれは、危険な仕事だからだと思っていたけど、危険どころではない、生存確率の低い任務だ  しかもそれを秘密にした  から だったんだ。
 ショックを受けなかったと言えば嘘になる。当局の、みくるに求めるポジションの低さ。この若さで命を賭す旅にでなければならないこと。今までの人生、こ れからの夢、大切な人々の顔、が次々巡った。それでもみくるは拒否権を行使しなかった。
 ボートの航行には4人要る。1人でも動くけど、一番安全な人数が4人というのなら、4人にするだろう。あたしが断れば、他の誰かが選ばれてしまう。あた しが断った為に誰か他の人が危険に陥るのは嫌。…それに、今回のゲートの不安定レベルはもう少し低いはずだ。必ずロストが起こるとは限らない。あたしは ずっと運の強い子だった。ちょっと寄り道したお陰で事故に遭わなかったり、たまたま合わせた座標で感動的なうさぎさんの誕生シーンを見たりした。占い好き のおばあちゃまも、この子は100歳まで生きると言っていた。だから、大丈夫、きっとあたしは無事にたどり着ける。むしろたどり着いたあと、足手まといに ならないかの方が心配。
 半ば自分に言い聞かせ。
 死ぬのも、別の時空に放り出されるのも、ゲートの中で迷子になるのも絶対に嫌。でもあたしはこの仕事に誇りを持っているし、今回の任務の重要度は理解し ているつもり。捨て駒だってコマはコマだ。選ばれた以上は頑張ろう。
 覚悟を何重にも重ね、彼女は過去への片道切符を受け取った。
 みくるが辞退しないことを知ったエリートは、ニヒルな笑みを浮かべて肩をすくめただけだった。
 だが、皮肉なことに、ちゃんと過去にたどり着いたのは、みくるだけだった。他の三人はロスト。ボートのシールドが解け、やや乱暴に地表に投げ出されたの は、最もロストの確率が高かった、役立たずの観察員だけだった。みくるだけが無事にたどり着き、他の三人はこの時代にはたどり着けなかった。
 時間遡行が完了し、辺りには自分一人しかいないことを知ったみくるは、泣きじゃくりながら仲間を探した。着地地点が少しずれただけだと…、あるいは、自 分をからかおうとわざと出てこないだけだと、仲間の名を呼び、出てきてくれと懇願した。腕にしていた携帯端末を震える指で操作して、考え付く限りの通信、 捜査を試みた。
 3日、その場でぐずぐずしていたが、もしかしたらみんなは先に行ったのかもしれない、と儚い期待を胸に、未来人のこの時代での受け入れ先、帝国のポート 星に向かった。だがそこには更なる失望が待ち構えていただけで、他の三人の仲間はこの時代では確認されていないと止めを刺された。みくるのストレスは頂点 に達し、ただそこにきて初めて、自分の使命を思い出した。
 あたししか居ない。
 ようやくそれを認識する。
 あたしが、しないといけない。
 こちらから連絡は取れないが、未来は、彼女の時代は遠見鏡で彼女を見守っているに違いない。無様な姿は見せられないし、心の支えにもなる。ブリーフィン グで一通りの指示は受けている。やるしかない。
 それからは比較的上手くやれていたと思っていた。帝国の力を借り、士官学校に入り、彼女に近付きそれからずっと傍に居る。今のところ、彼女の周りに不穏 なものは  彼女自身が発生させているもの以外  確認されていない。
 タイムトラベルには到着に誤差が生じることがあるので、敵はまだ到着していないのかもしれない。そもそも、こちらの三人と同じように、到着すら叶わな かったのかもしれない。
 未来からの迎えを待ち焦がれつつ、みくるは次第にこの時代に馴染んでいた。
 仲間として迎えられて知った涼宮ハルヒは、“最期の一人”に相応しく、凄い人物だった。生命力と行動力に溢れた、力強い人。彼女に振り回されて泣いたこと は一度や二度ではない。それでも嫌いになることはできない、魅力的な人だった。
 そしてある意味彼女はあまりにも普通の少女でもあった。泣いて、笑って、恋をして…。ただ一人の古代種、絶対的な力を持つ人だからと言って、ただ人の幸 せが許されないわけはない。
 この時代にたどり着いて、涼宮ハルヒと出会ってから5年、行動を共にして、みくるはハルヒに対して妹に抱くような家族愛を感じていた。恐るべき力を持っ た古代種だからとか、彼女に何かあると未来が狂うからとか、そういったことは関係なく、彼女を守りたいと思っていた。
 だのに。
 彼女の、一番大切な人を守れなかった。あたしは何も出来なかった。役立たずだ、あたしは。
 未来から来たということ以外に、彼女に特出したところは何もない。彼の死に際し、何の働きかけも出来なかったことで、今更ながらにその事実を突きつけら れた。
 あたしはこれからどうすれば良いんだろう。
 対処マニュアルが頭に浮かぶ。ロストした同僚の声が聞こえる。
『今回の件は事故であり、敵対勢力の策謀ではない。我々に落ち度はない』
 そうかもしれないけど、違う。
『ま、コピーが居て良かったな。対象には影響はあるまい』
 絶対違う。そんなものじゃない。
『あいつの管轄は軍、もしくは帝国だ。やつらが守ってくれなくては困る。俺たちは同盟からの攻撃に対してのみ、注意を払えば良い。対象の精神安定?そ りゃ、例の機関の仕事だろう。俺たちに対象の夢に入り込む力なんかないからな。
 そうだな、それでも多少努力できることがあるとすれば…、対象が飽きたり絶望したりしないよう、興味を引くものを与え続ける、くらいだな』
 彼なら言う。自分の能力に自信を持っている彼ならば。力を持つものに対する不可侵性…素人判断で他人の専門領域に手出しをすべきではないと己が身を以っ て知っている彼ならば。
 そして、厳密に彼の、彼にしかできない任務を遂行することだろう。
 だがそれはみくるのやり方ではない。みくるには出来ないし、もっと別のやり方があると思う。
 けれども、ではどうすれば良いのか、今のみくるには分からなかった。何をすれば良いのか、どう動くべきか、何も分からないまま、みくるはただ出口の見え ない闇の中で蹲っていた。




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