7.古代種と地球意思


 彼の帰還二日目は立ち入り禁止にしている幕僚居住区の散策から始まった。「酸欠症の所為で6ヶ月分の記憶が曖昧だから見ておきたい」と彼が言ったのだ。
「…茶葉毎のティーポットって…、どれだけ好き勝手やらかすんだ、ハルヒは…」
「そこは朝比奈さんの管轄です」
「どうせ『お茶っ葉ごとにティーポットを替える方が味が着かなくて良いんですけど』てな感じの朝比奈さんの控えめな独り言を我らの独裁者様が耳ざとく拾っ て採用したんだろうよ」
 6ヶ月前までの記憶はあると言ってもそれからも基地は細々と変わっているらしく、その突合せだけで時間が潰れた。
 この、幕僚専用のフロアはコの字型に配置された居住区の奥手の建物の中に有り、各人のプライベートルームの他にいくつかの部屋がある。まず、ミーティン グルーム。手すきの幕僚はここで待機するのが常で、私室は眠る時くらいしか使われていない。このミーティングルームはフロア内でも一番贅沢に空間を使って いる部屋で、テーブルと各人のネットワーク端末、本棚、暇つぶし用のボードゲームに朝比奈さん用のご衣裳、ミニキッチンまでしつらえてある。先ほどの ティーポットもここに含まれる。
 そして図書室、娯楽室(卓球台,麻雀台,ビリヤード台等が設置されている)、オープンスペースの給湯室、自販機コーナーに生きた猫まで住まっている。私 室とミーティングルーム以外は普段は一応万人に開かれてはいるが、閣下以下幕僚以外使うものはまず居ない。当然だ。ドーム内にはもっと設備の整った娯楽施 設があるというのに、居住区の一番奥の、親しみはあっても近付き難い上司たちの根城に踏み込みたいとは普通は思わない。
 私室の配置は、ミーティングルームを中央に、パブリックスペースを挟んで左右で男女に分かれており、図書室の隣が長門さん、給湯室の隣が朝比奈さん、一 番奥が涼宮さんだ。各部屋にはトイレとシャワー室が付いている。軍の総務担当者が知ったらこめかみに血管を浮かべ暴露本執筆にとりかかりかねない贅沢さ だ。
 一通り見て回った後、食事をミーティングルームで取った。ほんの出来心で、彼が苦手としていた合成しいたけを出すと「嫌がらせだろう?」と渋い顔をしつ つ、それでもあてがわれた分は全て食べた。後天的な細事から生まれた不得手だったはずだ。そんなものまできっちりコピーされているのか。帝国の技術には感 心してしまう。
 食事の後は「聞きたいことがありますので」と彼の部屋に移動した。つまり、コピーに聞きたいことがあったのだ。
 彼はベッド脇のソファに座り、僕は机に備え付けられた椅子に座る。
「テストをさせてください」
「何だ、パーソナルデータのチェックか?趣味は寝ること、好きな音楽は  
「興味深いですがそれらは外でも伺えます。そうではなく、あなたがどこまで環境を把握しているのかを知りたいのです」
「環境の把握?」
「事象認識と置き換えても良いでしょうか。
 …涼宮ハルヒは、何者ですか?」
「現存する唯一の地球人だ」
 僕の意図を違えずこの上なく端的に彼は即答した。お見事。
 もっと詳しく、と促すと、彼は記憶の引き出しから言葉を整理しつつ語り出した。
「まず、“地球人”の定義だが、帝国の総帥が地球潰しをしたその時点で地球上で生まれた人間のことを指す。その時に地球上に居たかどうかは関係ない。宇宙 に既に出ていたとしても、生まれたのが地球上であれば地球人で、地球が死星となった後は、その地球人たちの血を引く子孫全てが地球人だ。片親でも地球人で あればその子らは全て地球人、そして地球人でないものは区別されスペースエイジと呼ばれる。尤も、地球人の存在自体が最高機密で、ハルヒがその最期の一人 だからな。ハルヒ以外の人間は全員スペースエイジで“地球人”を知る一部の人間以外はそんな言い方はしないけどな。自分達も起源は地球に在り地球人の末裔 であると拘る人間の中にはハルヒたちを単に地球人でなく、“古代種”と呼ぶものも居るらしいな。
 で、何の理由で地球人とその他を分けたがるかと言うと、地球人しか持たない、地球人であれば誰でも持っている力に因る。
 地球人は誰しも、“地球意思”と呼ばれるある種の超能力を持っている。“自らが望むことを具現化することができる”というオールマイティな能力だ。これ は、地球が己の子らに等しく与えた贈り物と言われ、地球人は全員が同じ力を持っていた。かつて、地球人は自分の望むことを具現化する能力を全員が持ってい た。
 但し、個々の願う力の強さによって発現する度合いは様々で、また、相反する願いを持つ人間がいればその力は打ち消し合ったので決して全てが思い通りに なったわけではなかった。…スポーツの試合で『このシュートが決まれ』と願っても相手は『そのシュートは外れろ』と思っていれば力が相殺されるってのは分 かり易い例で、『この仕事を完成させたいけど俺の力では無理だ』というような己の葛藤で成らない場合もある。あと、具体的でないと作用しないとか?『有名 になりたい』とかいう漠然としたものは叶わない。願ってないのと同じってことだろうな。
 また、地球が生きていた頃は地球自体にもその力があり、自然の調和や規律に基づいた介在があったと言われている。だから、帝国により発見されるまで、そ んな力があったことを地球人は知らず、当然使い方も知らなかった。発見された経緯は俺は聞いていない」
「最初は超能力者としてみつかったんですよ。テレパシスト、サイコキネシスト、ごく僅かですが、テレポーター。種々の、人ならぬ力を持つものが確認され、 人類は次なる進化段階に進んだかと思われました。いずれ超能力が人の持つ才能の一種として根付くのではないかと。ところが、調査を進めて行くうちにそのよ うな能力を持ったのは地球滅亡の時に地球で生まれていたものと、その子孫たちに限られると分かったのです。仮説を立てさえすれば帝国の実証能力は凄いです よ。半世紀でそれを突き止め、全宇宙に散らばった地球人を探すセンサーを作り上げてしまった」
「その力を“地球意思”と名付けたのも帝国だな。
 その力は地球が生きていた頃は一代限りのもので、地球に生まれた以上は誰にでも与えられたが宇宙に出た地球人の子にその力が引き継がれることはなかっ た。地球意思は、それを持つ人間が死んだら地球へ還った。だから、宇宙で生まれた人間は地球意思を持たない。
 だが地球が死んだ後、地球意思は親から子、子から孫へと受け継がれるようになった。継がせるべき子孫を持たなかった地球人の地球意思は、前時代と同じく その死後は地球に還る」
「いかなる死でも?」
「…いや、殺人以外の死の場合、だ。自然死でも事故死でも病死でも、そこに他意が介在していない場合は死後は星に還る。ただ、個人を特定した他意による 死、殺人の場合はたとえそれが歳月をかけた緩やかな毒殺であっても、意思は地球に還らず、その瞬間生まれた他の誰かの体に宿る。宇宙全体で毎秒何千という 子供が生まれているが、そのどれに宿るか、何か法則があるかは分かっていない。ただ、地球には還らず、地球人でもない誰かの体に地球意思が残るってわけ だ。この人間たちは本来は地球人ではないのに地球意思を持ったので、擬似地球人もしくは亜種と呼ばれ区別されたが、地球人と擬似地球人の間にどういう差が あるのかは分かっていない。
 で、殺人の場合はと言ったが例外がある。加害者が地球人であった場合は死んだ人間はちゃんと地球に還る。…『内部浄化』と言った学者が居たようだな。地 球人に殺された地球人の意思は、自然死の時と同じように地球に還る」
 その為に地球人による地球人狩りが行われた。…人類の黒歴史だ。
「スペースエイジの方針は?」
「スペースエイジというより帝国だろうが。地球人なんてのが存在するって知っているのは帝国かその関係者くらいだ」
「では、帝国の方針は?」
「地球人を…、地球意思を全て地球に還す。
 地球人にはなるべく子供を作らせないよう、作っても広めないよう、健やかに、だが速やかに還るよう、つまり、死ねと、それを見守り誘導するのが方針だ」
「帝国は地球人には何も強要しておりません。権利の制限もないし、恋愛も結婚も出産も自由です」
「鑑識タグを付けられるだろう。本人に気付かれないようにな。みつかった地球人にはガーディアンと呼ばれる監視役が付けられ行動は制限されないが干渉は受 けている。例えば、合コンに行こうとしている地球人を別の興味深いイベントに誘ったり、な。地球人はガーディアンの誘いに乗り自分の意志で合コンを取りや めるが、行けばあったはずの出会い…未来の子孫の可能性を一つ潰すというわけだ。地球人と結婚したガーディアンの例もあったな。どういうわけか、子供は出 来なかったらしいが」
「何故地球意思が地球に“還る”などという表現をするかはご存知ですか?」
「地球人が死ぬたび、死星となったはずの地球に少しずつ生命活動の兆しが見えるようになったからだ。二度と戻らないはずだった地核のマグマが復活し、大気 は徐々に雲を集めている。子供の居ない地球人が死ぬと、僅かに地球が息吹いた。地球は己の魂を地球人達に分散して避難させた、地球人が全て還った時に地球 は蘇るのだとロマンティックなことをいう輩も居るが…、どうなんだ?ハルヒが最期の一人のはずだがあと一人還ったくらいで再生するほど生き返ってはいない と聞いたが?」
「質量的にはそうだと聞きました。大気の状態も、土壌も、生き物が住めるレベルではないと。ただ彼女が最期のスイッチである可能性は否めません。彼女の意 思が還った途端復活に向けて動き出すのかもしれません。
 とにかく、涼宮さんはこの宇宙に現存する唯一の地球人…古代種です。帝国がそれを保証しました。四年前、もう一人の地球人が死に、地球意思を持つ人物は 涼宮さんだけとなり、彼女の力に反発するものはありません。涼宮さんが本当に望むことであれば全てが叶えられてしまう状態にあります。人類の滅亡を願った として、今まではそれを良しとしない地球人の地球意思による反作用から叶いませんでしたが、最期の一人となった今はそれすら彼女の意思の内です。
 幸いなことに、彼女は非常に常識的な方で、今までで一番大きな被害は架空の生物が具現化したくらいです。ご両親が事故で亡くなった時ですら、まああの時 は他に二人ほど地球人が居り反作用はありましたし、あなたがたと既に出会っていて他に安定する場所があったということがありますが、真冬の墓所に色とりど りの花を咲かせたで済ませました。…お強い方です」
「銀河系一つ消失させたアレは?」
「…ご存知でしたか…。
 まあ、あれは…、人跡未踏の場所でしたから…」
「人類に被害はなかったから良しとする、ってわけか」
 鼻を鳴らす。微かに、憤慨に近い嘲りが見えた。仕方ないじゃないですか。あんな些細なことで涼宮さんがそこまでするとは思わなかったのですから。それと も、あなたならどうにか出来ましたか?
 ここで言い争っても仕方がないのでその話にはそれ以上触れない。
「ですがあなたの身に何かあればどうされるか想像が及びません。あなたを生き返らせるかして下さればまだ平和ですが、世界を消滅させるかもしれない。涼宮 さんにはそういう危ういところもあると、僕には分かります。だから、あなたはもう死んではいけません」
 そうだ、死んではいけない人だったのだ…。
 つきり、と凍らせた心の奥が痛んだ。
「国木田にも言われた。俺だって死にたくない」
 あの人も死にたくなかっただろうに。
 間欠泉の如く吹き出しそうになる想いを必死で押さえる。話題を変えよう。
「涼宮さんに関する知識に疎漏はないようですね。では、長…」
「長門と朝比奈さんについてはお前には言わない」
「何故です?」
「俺は多分お前の知らないことを知っている。だがお前がどこまで知っていて、どこまで知らないかは分からん。お前が知らないことは俺は言うわけにはいかな い。だから、あの二人については俺はお前に何を知っているかは言わない」
 驚いて凝視するが、その顔には優越感らしきものも、心苦しさも浮かんでいない。自然体だ。
 彼は彼女たちのことを、まず上からでなく彼女ら自身から聞いた。上層部なら一介の士官学校生には伝えないことも、また上層部すら知らないことも聞いたか もしれない。僕がどこまで知っているのかもこの人は知らないだろう。迂闊なことは言えない。もっともだ。
 彼の言うことは正しい。だから、(たかがコピーのくせに)いらつくな。
「では僕のことは?」
「6ヶ月前の俺はお前を知らない」
「言い換えましょう。機関のことは?そして僕は何者だ、と、長官に入れ知恵されましたか?あなたが答えられる範囲で結構です」
「…お前の前任者は自分たちのことを“ハルヒの安眠枕だ”と言った」
「彼女がそんなことを?」
 初耳だ。彼と個人的に話したという報告は受けていない。
「国木田からはお前達はハルヒのバランサーだと聞いた。
 ハルヒに対して力を発揮する能力者と、能力者をサポートする管理者で構成された、一応は情報部の下部組織だ。『涼宮ハルヒ対策特務機関』が正式名称だっ たか?普段はS機関、もしくはただ機関とだけ言われている。任務柄情報部内部でも独立していて、横の繋がりが殆どないそうだな?
 能力者たちは全宇宙で10数人居て、大きく、2つの力を持っている。1つはハルヒとのシンクロ。ハルヒの感情の揺れ、特に負の感情に同調してあいつの不 機嫌を知る。基本的には知るだけだが中には心を繋げて感情を和らげることが出来る能力者も居るそうだな?お前の前任者もそれだと聞いた。まあ、心を繋げら れなくとも機嫌が悪いと分かれば近くに居ればすぐにあめ玉差し出して機嫌を取ることは出来るから無駄じゃないよな。
 もう1つの能力は、ハルヒのストレスの除去だ。ハルヒが眠っている間、能力者たちはハルヒの夢の中に入り、溜まったストレスを取り除く。その方法は能力 者によって違うとか?お前の前任者は逃げ出した動物を追いかけて檻に入れるってイメージだったそうだが、お前は?」
「僕は、街を壊す黒い巨人を、光の玉になって退治するというものです。全員やり方は違いますが、前任者の、しまい込むパタン、僕の、破壊するパタン、あと は、砂漠に一本ずつ花を植えて行くという、美しいもの、楽しいもので埋めていくというパタンが確認されています」
「お前達はハルヒが最期の一人になった時にいきなり目覚めた、いや、そういう力を与えられた、だったか?ハルヒが自分の能力の暴走を押さえる為に生み出し たストッパーだ。そんなもん作るくらいだったら自分で何とかすりゃ良いのによ。
 で、お前達は毎日ハルヒの夢に入るわけじゃない。ハルヒのストレスが溜まったら呼ばれる。夢で通じているので距離は関係ないが、ハルヒの機嫌を察知する 能力の方は近くにいれば対策が取れる。その為にSOS団に一人潜り込ませていたのだが、前任者の離脱により、後任としてお前が派遣された、で良いか?」
「そうです。僕は涼宮さんの心の安寧を保つ為に此処に居ます」
 恋に落ちる為に来たのではない。
「一つ、聞いて良いか?」
「何でしょう」
「能力者の中に眠らされっぱなしの人間がいるって本当か?その、24時間ハルヒの機嫌に対応出来るように」
 そんなことまで話したのか彼女は。
「…“眠り番”と呼ばれる者がいるのは確かです。ただ、一人が24時間、一生、眠りっぱなしというわけでなく、4人が交代で任務にあたっています」
「そうか…」
 あからさまにほっとした顔をする。涼宮さんの為に誰かが人生を棒に振っているのではないかと憂慮していたのだろう。お優しいことだ。
「十分です」
「何がだ?」
「あなたは僕についても僕の知らないことまで知っていました。いえ、僕があなたは知らないだろうと思っていたことまでご存知でした。テストはおしまいで す。では  
「まて、古泉、逆に聞きたい。お前は俺のことをどれだけ知っている?この6ヶ月でお前はどれだけ俺を知った?」
   !!」
 真っ直ぐな目が僕を射抜く。その眼差しは心の奥まで届きそうな、隠していても暴かれそうな強い光を放っていた。思わず目を逸らしてしまう。
 そんなことはどうでも良いでしょうとも言えず、生年や家族構成、涼宮さんとの関係など、書類が教えてくれたことを告げる。だが彼は首を横に振る。
「そんな事務的なことじゃなくてだ、この6ヶ月、俺と接してお前は俺の何を知った?」
 僕は今、懺悔室に居るのだろうか。己の罪を告白させようと、この人は?
 顔を近付けると嫌そうな顔をしつつ耳まで真っ赤にした、照れ屋の彼を知っている。
 告白して抱きしめたら遠慮がちに背中に回されたあの腕の暖かさをまだ憶えている。
 口付けた時の唇の柔らかさと舌の弾力、頬の熱さを未だに懐かしんでいる。
 僕は、彼が好きだった。それを今言えと?
「…一見して平凡ですが、芯の強さと懐の広さは国宝級だと思いましたよ。涼宮さんに本気で意見出来る唯一の、大胆な人でした。誰にでも愛されていました よ。猫にですらあの人に一番懐いていました。オスですのにね。他人を思いやる人でした。いまわの際の言葉ですら…、涼宮さんのことを頼むという依頼でし た…」
 あいつを、たのむ。
 僕への告白の後に、最期に、涼宮さんを気遣っていた。
 命の火の消える瞬間を思い出し、いたたまれなくなり立ち上がる。
「…あなたの“復帰”は三日後に設定いたします。それまでに確認したいことがあれば早めに聞いて下さい」
「…ああ」
 言いたいことは山ほど有りそうな顔で、だが彼は何一つ問わず、ただ僕を見つめていた。





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