6. 青い水と空の星


 人類の起源であった星の話をしよう。
 その星は、始祖太陽系の第3惑星で、名を、地球と言った。
 地表の7割を水で覆われた、生命に満ちた星だった。
 今は、もうない。
 物理的には存在する。公転軌道も違えず、その星は変わらず在る。ただ、在るだけだ。今では生けるものの全くない死星だった。
 地球が死星となったのは900年前。人類が宇宙にその生存領域を広げた宇宙世紀元年から200年余の頃だった。
 地球の死滅は人為による。人類の末裔たる一人の男の意図によりコアを破壊され、生物の住めぬ星となってしまったのだ。
 男は“総帥”と言った。親から与えられし名は在ったはずだが伝わっていない。
 彼は圧倒的なカリスマと統率力で宇宙に定着し始めた、未だ地球の支配下から抜け出せない人類を纏め上げ、「帝国」を作り地 球に反旗を翻した。「帝国」初期にはお飾りの皇帝が居たらしいがそれも伝わっていない。総帥は帝国そのものでなく帝国軍を率いるものだったはずだが、やがて帝国全てを掌握し た。
 総帥は初めは宇宙移植者たちの地球からの独立を目指していたらしい。
 当時の地球は一種の管理棟だった。軍事、政治の中枢が集まり、宇宙の中心、拠点でこそあったが、担う役割に比し面積が絶対的に足りず、だがそれを分散す るを潔しとせず、代わりに、他を排することで対応していた。
 つまり、一般人の居住,生活区をどんどんと減らし宇宙に移し、中枢機能を担うものだけが住まう星にしようとしていた。
 政治,軍事に携わる人間、そんな連中に鼻薬が利かせられる財閥、住処を追いやられても地球を離れたがらないもしくは離れられるだけの経済力がない貧困層が地球の構成員だった。
 そんな地球政府に対して宇宙移民側の不満は多く、支配者、非支配者の関係でなく、対等のもの同士としての関係を求めた。今や資源の多くは宇宙から出ている、人口も地上より宇宙に在るものの方が多い、当然だろう、と。
 だが選民思想の強い地上の支配者たちは全く聞く耳を持たず、交渉は決裂し、細かな衝突、誤解、意地の張り合い等、紆余曲折を経て軍事衝突に至った。
 地球政府側の態度に、宇宙移民たちは腹を立て、多くのものが人的被害を少なくして目的を達せられる総帥の作戦に賛同した。あくまで、当時は。
 後に人類最大の暴虐として歴史に名を残す地球冷却化作戦はそのような背景の下、人類の進化を正す為の聖戦として敢行された。

 総帥が地球潰しを強行した理由は確とは伝わっていない。
 一般には、地球に住まう一部の人間による独裁から人類を解放する、が一の理由とされている。最も正当性がある理由だったが、それだけではあるまいと人 々は勘ぐった。その為だけに星一つ、しかも人類の始祖たる星を潰すにはあまりに軽く、理性的すぎると思われたからだ。
 だから、色々な憶測が飛び交った。
 昔、地球政府に恋人を殺されたその恨みからだとか、自らが人類を独裁せんと企んでいたからだとか、脅しのつもりだったのに計画が漏れ引っ込みがつかなく なったからだとか。
 一番ロマンチックな説は、彼は地球を愛しすぎており、これ以上の人類による汚染と腐敗を見過ごせず、地上より人を排することで浄化を目 論んだのだ、というものだ。あまりに文学的過ぎるので重視されていなかったが。
 理由は一つではなく、数々の思惑や愛憎が入り交じってのことだというのが後の歴史家の間での定説となっている。
 とにかく、総帥は地球を死星にした。
 洋上から地中にマントルを冷やす爆弾を打ち込み、生命活動の源を絶った。
 それに先立つ戦闘で地球上の6分の1の人口が失われたがその作戦においての直接の死者は、爆弾を身を挺して止めに行った数十人の軍人のみだった。つま り、地球の人口は丸々生き残ったというわけだ。
 放射能汚染などであれば、死は容赦のない悪魔だったが、ただ地表を冷やすだけのこの爆弾では地球が完全に生き物の住めぬ地になるまでは時間的猶予があった。総帥は人々を見殺しにする気はなく、宇宙に出よと救いの手を差し伸べた。地球脱出の為の宇 宙船を用意し、入植地の斡旋もした。
 だが、全人口の3分の1もの人間が宇宙に出るのを拒み、地球と運命を共にすることを選んだ。
 コアの死んだ地球は内に熱を貯める事はできず、まず、地中で暮らす生き物が死滅した。次に地中に根ざす植物が死に、大気が薄まり出した。大気が薄まると 地上にも熱を貯めることができなくなり、日照がそのまま気温に影響した。夜凍った水は昼に蒸発し、数週間で海すら干上がった。地上に生きる動物も次々と死 に絶えたが、ある意味、人間が一番しぶとかった。敵を裂く牙も身を守る棘も持たぬくせに、種族を上げて築き蓄積した科学力で作ったシェルターや太陽光発電 装置などを駆使し、不自然な生にしがみついた。なまじ、そうやって生きることが出来たのが災いした。人は、眼前にある生命の危機から逃げる本能は辛うじて 残っていたが、漫然とした滅びに対する危機には疎かった。どれだけ環境が悪化しようが、命の繁殖を拒むように子供が生まれなくなり人の寿命も短くなろう が、地球と運命を共にするというロマンチシズムに縛られ、死した星から離れたがらない人間は多かった。
 初めのうちこそ帝国は、半ば無理矢理にでも人を宇宙に脱出させようとしたが、強固な反発に会い、やがて諦めた。地球にしがみ付きたいなら勝手にしろ、そ の代わり帝国は一切援助はしない、独自の政府も許さない、と、地球を厳戒監視下に置き、地上でおとなしくしている限りは好きにさせた。空の航行どころか通 信さえも許さなかったが、「宇宙に出たい」という救助依頼だけは受け付けた。
 初めのうち地上に残った人々は、地核が冷えたところで生活に支障はないとタカを括っていた。ドームもシェルターもある、酸素はなくなっても居住区を定め れば大気調整装置で事足りる、エネルギーは太陽光発電でまかなえる、政治的孤立が何だ、我々は地球人として独自の世界を作り上げる、そう、鎖国した島国さ ながらに。少人数で、ささやかでもこの星に根づいて生きて行ける。大幅に減った人口では殆どの産業が立ち行かなくなったが、太古に還り、自分たちの手で、 必要最低限の食物を育て生きていけると楽観していた。
 …朽ちた土壌の上では何も育たず、人智ごときでどうなるものではないことに気付かなかった。気付いた時には後の祭りで、地上で蹲る人々は、帝国に反発す る気力もおもねる余裕もなく、ただ殉教者的ロマンチシズムに縋り死ぬために生きていくだけだった。
 帝国が地球潰しを敢行してからたった78年後、地球人口の3分の1を道連れにし、地球は生きとし生けるものの全くない、完全な死の星となった。
 それを確認した帝国は、地上から人工の建造物を全て焼き払った。
 かつて、大気と水に覆われた青い水と空の星はもうない。
 残ったのは、くすんだこげ茶の岩肌に覆われた、冷えた土くれの塊だった。




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