4.彼でない、同じひと


 同日、21時28分。僕はテトラのセントラルドーム居住エリアにある彼の私室に足を踏み入れた。あのコピーも一緒だ。国木田長官は経過観察の為一週間程 度留まるとのことだったがテトラに降りる気はないらしい。衛星軌道上の軍艦の中で待機している。他言は無用とのこと。
 コピーの着陸は秘密裏に敢行された。基地の連中には訓練と嘯き対機密搬入モードを敷き、人っ子一人居ない、モニタもオフにされたシークレットルートを通 りここまで辿り着いた。そのルートは二重三重のロックがかかっており閣下か四人の幕僚の生体認証によってしか解除できないようになっていたが、コピーはそ れを悉く開けた。彼の虹彩パタンと指紋、パスワードの組み合わせでしか開かないこの部屋のロックもあっさり解除した。
「半年前から変わっていなかったからな。じゃなきゃマスターモードを使わなきゃならんところだった」
 あれは面倒だから使わずに済んで良かったと彼と同じ仕草で肩を竦める。彼じゃないくせに。
 部屋に一歩入った途端、激しい嘔吐感に見舞われる。
 この部屋にはあれ以来誰も入っていない。つまり、彼が生きていた頃のままの様相がそのまま残っている。
 彼は几帳面な性格だったから、散らかってはいない。服はハンガーに吊るされ書類のたぐいも目に付く範囲には見当たらない。
 デスクの上にコーヒーカップが1つ。彼が気に入っていた白磁のマグだった。吸い寄せられるようにそれに近付き10日前は液体だった黒いシミが内側にこび り付いているのを見て立ちくらみを起こす。
「おい、どうした、古泉、大丈夫か?!」
 深層に沈みかけた意識がその声で引き上げられる。これの前で無様な姿を晒すわけにはいかない。絶対に。
「古泉?」
「何でもありませんよ。構わないで下さい」
「しかし…」
「大丈夫だと言っているでしょう!…それより、任務です」
 声が荒れるのを止められない。そんな顔で僕を見るな。彼と同じ顔で、あたかも僕を案じているような顔をするな。
 五感全てに幾重にもフィルタを貼り、ことさら事務的に携帯端末を指差す。
「君にまずしてもらいたいのはこれだ」
「プライベート端末だな」
「そうだ。スタンドアロンでどのネットワークにも繋がっていない。ここには未提出の作戦や草稿段階の報告書が入っているはずだ。君はまずそれをサルベージ し、全てメモリチップに写し僕に渡してもらいたい」
「完成していないものを見られるのはいたたまれんのだがな」
「全て、だ。取捨選択は無用。この6ヶ月の記憶のない君にファイルの質の判断をする資格はない。また、この6ヶ月に作成したであろうファイルは君の関与す るものではないから、閲覧を拒否する権利は君にはない。軍により支給された端末が死後何者の手に渡るものか、まさか了解していないとは言わないだろう な?」
「………」
 何か言いたげな顔をしていたが僕は取り合わない。諦めてコピーは携帯端末に向かった。
 コピーと目を合わせたくなく、端末を操作する後ろに回る。
 どうしてもこれを認めきれず、「あなた」と呼ぶことすらできない。
『古泉、あなたの任務は…』
 分かっています。
『私を殺し己を律し、世界の為に行動しなければなりません』
 ええ、ええ、分かっています。この人造物を彼と思わなければいけないことも、彼として扱わなければならないことも、それが出来なければ排除されるのは僕 の方だということも。
 案外僕は不測の事態というものに弱いのかもしれない。今まで乗り越えてきたと思っていたトラブルは僕の想像力と被害妄想的先読みの性格からある程度予想してきたもの で、だから平然と対処できたのかもしれない。頭では納得できるこの措置を、未だ受け入れられずにいるのだから。
『そんなしげしげと見るなよ』
『どうしてです?減るものではないでしょう?』
『頭に穴が開いて減る機がするんだよ!お前のそのねちっこい目には!』
 真っ赤に染まったあの愛らしいうなじを、このイミテーションは持っていない。
 …それにしても良く出来ている。後天的なもののはずなのに、後れ毛に隠れた黒子まで再現されていた。
 見ているのが後頭部だからか、声を伴っていないからか、はたまた、彼を思い偲んだことにより差異が明確になった為か、少し落ち着くことができた。
 そうだ、古泉一樹、冷静になれ。お前のやり口を思い出せ。
 いついかなる場合もまず情報を収集せよ。動くのは、それを分析した後だ。お前は情報兵だ。戦うのはアレの中だけで良い。
 アイ・サー。肉弾戦に向かないのは自分でも分かっている。
「君はいつ作られた?」
「生まれか?古泉と同じ年だぞ。第6太陽系のノース・ハイ。開拓星で、オヤジは   
「コピーとして作られた時を聞いている!」
「俺は俺だよ、古泉」
 …あくまでこの茶番に付き合えと?ばかばかしいごっこ遊びに?
「…君をあの人として扱う必要性も重要度も理解している。ただだからこそ“君と”話す必要がある。
 彼のコピーについても知る必要はあると思うが?どんな時でも例外なく君はあの人として振る舞い、僕は君をあの人として扱わなければならないというの か?」
 違うくせに。
 ふつと湧き上がるどす黒い感情を抑えて問う。コピーはふむと肩を揺すって僕を振り向いた。こっちを向くな!
「それもそうだ。じゃうこうしよう。この部屋にいる間だけは俺は自分がコピーであることを思い出す。お前も俺をコピーとして扱ってくれて良い。その代わ り、この部屋を一歩出たらたとえどんな人目のない場所でも、また俺が居ない所でも俺をオリジナルとして扱え。俺がコピーであることを忘れろ。俺がお前の記 憶からずれた行動を取ろうがだ。『その所作はオリジナルとは違う』ではなく、『今の振る舞いはいつもの君らしくなかった』だ。分かったか」
 時として涼宮さんより容赦のない物言い。彼もよくそういう口をきいた。
  了解。ではもう一度聞く。君はいつ作られた?」
「国木田によると四年前だそうだ」
「四年前というと…」
「士官学校の二年目だな。長門と朝比奈さんとの付き合いも二年目で、既に一士官候補生涼宮ハルヒ閣下の下SOS団は結成の憂き目に遭っていた」
 そして彼女が最期の一人になった頃でもある。
「七夕事件の?」
「後だ」
「あの辺からあの人の重要度は衆目にも明らかになっていましたからね。
 しかしたった四年でここまで出来るのか、今のクローン技術は」
「二年ありゃ30代までは可能だそうだ。肉体の成長だけならこのクラスで半年でいける。ただ記憶を植え付ける時にその記憶が生まれた環境を擬似的に作り出 さなければならない。ドリームシステムを使うから実在時間の4分の1から10分の1で十分だが俺の場合は慎重を期し3分の1かけた部分もある」
「…随分詳しいじゃないか。君は科学者だったか?」
 たかがコピーのはずだ。
「国木田が教えてくれた」
「では断定口調の割には信憑性は無いな。あの人は自分の都合の良いように平気で嘘を吐く。君にそう教え込ませた方が良いと思えばいくらでも捏造するだろ う。正確さを判断する知識も経験もない、そもそも末端軍人にそこまで詳しく機密をばらすものですかね。おとぎ話以上の価値は無さそうな情報ですね」
「確かに、その通りだ。だがそれが気に入らないというのなら俺はお前に何も言うことはない。俺の記憶はオリジナルのもので、実際は培養液で眠っていたとい うのにその記憶の方こそない。目覚めさせられてから、今後の為にと植え付けられたオリジナルにはない知識は国木田の弁とレポートによる。それが正しいか 誤っているかの判断を下せる専門知識は持ち合わせていない。だがそういう情報でも良いからお前は俺…コピーについて聞きたいと思ったんだが、違ったか?信 憑性が低いうわさ話でも扱いようによっては立派な情報になるだろうに。国木田からの受け売りでは信用ならんと言うのなら、俺はお前に何一つ話せることはな いよ」
「………」
 正論だ。
 彼は厳密な意味で何も知らない。いや、コピー技術については帝国の研究担当者でもない限り、誰も正確には知らない。僕にしても、帝国や、我らの油断のな らない同僚について表の為政者でも知らないことを数多く知っているが、その殆どは上から教えられたことで、己が目で、耳で直に得たことは僅かだ。
 “帝国”の存在すら人類の殆どは既に歴史の教科書の上だけのものと思っている。これほど強大な科学力と支配力を持っているのに表面的には「宇宙連邦の基礎を作った組織で、600年前に消滅した」ということになっている。僕も、長いことそれを疑いもしなかった。自分の身 に突然宿った能力が無ければ大規模なペテンに遭っているのかと思うほど信じるのが難しい、荒唐無稽で、かつ、証拠を目の当たりにすることはまずないものば かりだった。
 そもそも情報、知識の多くはそういうあやふやなものなのに、このコピーの言うことには一々突っかかりたくなる。たった四年前に作られ、10日前に初めて外気に触れ た未成熟な人造物が知識深いということに嫉妬に似た子供じみた苛立ちを感じるのだろう。
 冷静になれ、古泉一樹。これは、リムーバブルディスクだ。国木田長官の秘匿している情報を伝える為のボイスレコーダーだ。あますところなく吸い上げるの だ。
 感情を抑え、次なる質問を口にしようとした時、腕の携帯端末のランプが点滅した。中央管制室からの無視できない類の呼び出しだった。
「…1時間前後、席を外します。サルベージを続けたまえ。内部のチェックは不要。全てコピーするように」
 ぶっきらぼうな口調で命ずると彼は、やれやれと口には出さずに態度で示し、「了解」と「とっとと行け」の意味を込めて手をひらひらと振った。

 だめだ、まったくなっていない。自分を見失っている。
 先程までの己の態度を思い出しあまりの無様さに自己嫌悪に陥る。
 威圧的でぞんざいな口調になったかと思えば丁寧語が混ざる。突き放すのと距離を置くのとでは意味合いが違うのに、一緒くたにしている。
 冷静に考えろ、古泉一樹、はじめからだ。感情を滅し理性で断じろ。
 まず、コピーの存在。今回の上層部の方針。これらは、正しい。
 彼に何かあった時の為にスペアを作っておきたいと言う気持ちは分かる。ある意味、一番亡くしてはならない人物だからだ。倫理や法は脇に置き、その技術が あるなら作るだろう。そして彼が死んだとなれば使う。彼の死が涼宮さんに与える打撃が大きいと言うのなら死そのものをなかったことにするのが一番だ。僕が 長官の立場でも迷わずそうする。そして長官も多分迷わなかっただろう。10日前…、まだ遺体が郵送中の報告段階で、すでにアレを蘇生させたというのだか ら。主星からここに来るまでかかった時間は逡巡が生んだものでなく、単なる微調整だろう。下手をすると長官は彼の死を誰にも告げていないかもしれない。
   では彼の弔いはされていないのか  
 そしてコピー自身の罪。(一瞬頭に浮かんだ冷たい思い付きは取り敢えず脇に置いた。)
 人間の複製を作るだなどという所行は倫理的には許されるものではない。ただその咎は製造主にあるのであってコピーにはない。
『彼は確かに人造物だけどね』
 コピーへの嫌悪を隠せない僕に国木田長官は触れれば切れるような鋭い口調で釘を刺した。
『アンドロイドじゃない。有機体だ。血も肉もあれば心もある。培養液の中で育ち擬似記憶しか持っていないけれど、人間なんだ。モノ扱いすることは人権を侵 害していることだと自覚して欲しい。君の数々の暴言に無反応だけど、心がないからじゃない。その逆だ。君の気持ちが分かるからこそあえて沈黙しているん だ。許しているんだよ、君を。…キョンは優しいからね』
 そうだ、あのコピーに罪はない。むしろ被害者だ。存在自体が罪であるとも言えるがそれにしても諸悪の根元は創造者だ。
 あれに、罪はない。
 命令通り、そして僕の理性が示す通り、あれを彼として扱おう。僕の愛した彼でなく、涼宮さんのお気に入り、世界の鍵でSOS団の作戦参謀、そして軍人と しては少尉、僕より階級は上だ。
 彼を、愛したことは忘れてしまおう。
 忘れて、配属された当初の心構えを思い出し、あの人に惹かれる前の僕に戻ろう。
 彼は、死んだ。僕の想いもその時、一緒に逝ったのだ。

 一通りの用を済ませ部屋に戻ると彼はコーヒーを飲みつつくつろいでいた。携帯端末は閉じられている。
「一つだけ開けないフォルダがあった」
 僕を見るとメモリチップを差し出しつつ言う。
「開けない?あなたのフォルダでしょう?ロックがかかっていてもマスター認証でどうにでもなるでしょうに」
 端末のデータのロックは普通、個体情報単位で成される。複数の生体認証の組み合わせで、権限を持つ人間でなければ解除されないかわり、間違いなくその個 体本人であると確認されれば解除されるようになっている。他人に権限を分譲する場合やアクセスの利便を考慮して、パスワード等の二次的に発行した仮キーを 使うのが一般的だがそれを紛失したり使用停止になった場合でもマスター認証で解除出来るはずだ。彼が、彼ならば。
「マスター認証よりパスワードが上位キーになっていた。普通はあり得んのだがな。一応思い付く限りのパスワードは入れてみたが全て弾かれた。お手上げだ よ。
 それに、『このファイルは個人的なもので俺以外の者が見ても意味がないものだ。俺にしか意味のない、他人が見ても面白いことは一つもない。開こうと思っ てくれるな』という注意書きがあった。俺の性格からして本当に益体もないものが入っていると思う。無理に開けなくて良いだろう」
「そんな…。そういうものの中にこそ大事な…そう、何か人には言えない想いとか…」
「だったら余計暴いてやるな。恥をしのんで言うが、一番確率が高いのは朝比奈さんのコスプレ写真コレクションだ。男の哀しい性として何も言わず葬ってや れ」
 何を言う。それこそ見てみたい。いや、朝比奈みくるの写真ではなく、6ヶ月前の彼ならそういう類のものを入れたに違いないフォルダが、ここ数ヶ月で何で 上書きされたのかを。彼が何を思っていたのか。結局僕に愛を告げたのは死ぬと分かってやっと一回きり。何故その時まで言ってくれなかったのか、出し惜しん だのか。体を許してくれなかったわけも。
 そのものずはりが記されているとは思えない。でもたった6ヶ月の付き合いで分かりきれなかった彼の本質というものがそこから垣間見られるかもしれな い…。
「解析プログラムを走らせれば…」
「パスワードは2字から3万字以内の自然言語だ。連邦のマザコンを稼働させても下手すりゃ10年かかる」
「………」
「とりあえずこいつはロックがかかったままコピーした。解除する気があるなら勝手に試せ」
「…あなた、何か細工していないでしょうね?」
「不味いものをみつけて再ロックしたり削除したりか?してねーよ。でもそう言われると思ったからキーロガー走らせておいたからそれも解析してみろ。あ、端 末ごと持っていってくれるなよ。俺にもこれですることがある」
 抜け目のないことだ。
「あなたが何かしたとは思えませんが、取り敢えずお預かりしておきます」
 端末を起動させキーボードのログファイルを取り出す。時刻は一応10日前にしておく。
「お前、それは新手の嫌がらせか?」
「はい?」
「言葉遣いだよ。さっきまで『君』だったろうが」
「…ああ…、いやがらせではありません、すいません。元々この口調があなたに対してのものです。先程までは失礼いたしました。僕の適応力の低さからあなた に不愉快な思いをさせてしまいまして」
「いや、それは構わんが…、その口調が本来俺に対してしていたものでさっきまでのが言い間違いだって?
 …お前よっぽど俺の前で無理していたんだな…」
「!」
 無理なんかしていない。むしろ、彼の前でだけ僕は飾らない自分をさらけ出せていた。人らしく、心というものを感じることができた。
「…そうでもありませんでしたよ。一糸纏わず世に出る人間が、裸で過ごすより服を纏う方が安心で安全であるのと同等に、僕はそのように作った自分で他人に 接する方が楽でしたから」
 この人に言ってやる必要はない。この人は彼ではないのだから。
 いつの間にか時計が深夜を指していたのを口実に、僕は彼の部屋を後にした。



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