3.コピー


 ドアから現れた男は、彼と同じ顔をしていた。服装も彼に宛われた制服。階級証も同じ。手足のバランス、肉の付き方、瞳の色、全てが彼と酷似していた。
 酷似してはいた。
「…それは…っ、誰、です?」
 過呼吸に陥りぐらつきそうな体を叱咤し、長官に問う。長官は手で彼に似た男を招き、その二の腕を掴み横に並ばせた。
「キョン少尉だ」
「嘘だっ!」
 思わず怒鳴る。彼は死んだ。そいつは彼ではない。何故そんな分かり易い嘘を吐く。
「あれ?キョンに見えない?どこからどう見てもキョンだよね?」
「何をバカな…、彼のわけがない」
「“帝国”の秘技で蘇生させたんだ。嘘から出た実、図らずも君は部下に機密をバラしたことになったね。君に口を噤んでもらいたいのはこのことで………。… 信じてないね」
「当たり前です。死亡後の蘇生は人の超えられない一線です。翼無き身で空が飛べないのと同等に、肉体から離れた魂を引き戻す腕は人類は持っておりません。
 それでなくとも、それ…その人は彼とは違う」
「あ、違いが分かるんだ?凄いな、古泉準尉」
 あっさりと、あっけらかんと嘘を認めた。ではこの男は何だ。
「替え玉、ですか?良く似た人を探して?」
「広義では替え玉だね。彼の身代わりを演じてもらうつもりだ。でもタダの替え玉じゃないよ。キョンとは遺伝子配列も指紋の形も虹彩も一致している」
「…クローン…?」
「スペシャルの、ね。記憶も生まれてから6ヶ月前までは移してある。年次更新だったから、残念ながらここ6ヶ月の記憶はない。丁度君が涼宮大尉の指揮下に 配属される頃からだね。だからこのキョン少尉は君とは初対面だ」
 コピー。
 なんてことだ。これは、彼のスペアだ。
 理論上可能なのは知っていた。
 人の細胞から同じ塩基配列の人間を作るクローンと、記憶の吸い上げと移植の併せ技だ。
 クローニングでは遺伝的な要素は同じ人間が出来る。ただ、大人の細胞を使ってもまず出来るのは赤子で、記憶は写ることはなく、どんなに似た環境で育てようが 同じ人間にはならない。一卵性の双子のように、同じ顔をしていても違う人格を持つ。クローニングで顔も記憶も同じ人間が出来るというのは幻想だ。
 もう一つ、記憶の転写という技術がある。一般には知られていないが、人の脳からその人間の記憶  深層に埋め込まれた本人でも意識していないものも含め て  を写し、別の人間の脳に植え付ける。専ら、洗脳や記憶の改竄の為に使われている“帝国”の秘術の一つだ。こちらも一人の記憶を丸ごと植え付ければ転 写元と同じ記憶を持つ人間が出来るかと言えばそうではなく、元から持っていた記憶や性格の影響を受ける。殆ど上書きは可能なのだが一部はやはり生来のものとミッ クスされ、元々の記憶にエレメントが加わる。例えば、「子供の頃人魂を見て怖くて泣いた」という記憶をオカルト好きの人間に植え付けると「でも神秘的で綺 麗だったな」という感情が付加さけてしまうというように。
 元の記憶と全く同じ記憶を持たせたいと思えば、写した先の脳が真っ新で、元の記憶保持者と同じ性質を持っている必要がある。
 つまり、クローニングで作った赤子を外界に触れさせぬまま成長促進剤入りの培養液に浸し少しずつ記憶を植え付けていけば、全く同じ人間…その人間のコ ピーが出来るというわけだ。ただし、理論上は。恐ろしく手間と時間と金がかかるので、闇市場ですら流通していない存在だ。
 それを、彼で作ったということか。
 何故?そんなことは分かり切っている。彼女に何かあったら不味いからだ。彼女自身に何かがあることはあり得ないし、よし有るとして彼女自身に降りかかる 運命であれば看過して構わないからだ。問題は、彼女が何より拠り所としている彼だ。彼は彼女と違い特殊な能力は持っていない。彼女に守られている限りは大 過はないとは思うが、もし彼女が目を離した隙に何かあったらどうする?それを避ける為の予防策としてコピーは作られ、そして日の目を見ることになった…。
 それを踏まえて眼前に立つ物体をあらためて見る。
 醜悪だ。
 何て醜悪な。吐き気がする。
 彼と同じ顔をしている。体形も表情も変わらない。声も多分一緒だろう。だが決定的に違う。何かと問われれば曖昧な答えになってしまうが、醸し出す雰囲気 とでも言おうか。一瞬たりとも本人が生き返ったのだと騙されなかった、彼とは別の何かだと直感させた違いがある。
 そっくりであればあるほど不快だ。これは彼ではない。彼ではないのに彼に酷似している。
 許せないと思った。
 彼は唯一であった、無二の存在だったのだ。彼以外に彼は居ない。彼だけが彼で、誰ぞかが肩代わりできるものではない。
 役割としてなら可能だろう。宇宙軍第2師団所属の少尉という役割、SOS団の作戦参謀という役割。あるいは、涼宮ハルヒのお気に入りという役割ですら代 替可能だろう。
 だが彼そのものの代わりは居ない。在り得ない。彼で在れるのはただ彼だけなのだ。
 生涯かけ作り上げてきたその個体を、人造すること、できると思うこと、してしまったこと、全てがグロテスクだった。
「で、古泉准尉、キョンはこのままテトラに帰還してもらう。ただここ6ヶ月の記憶がないので、まるきりそのままというわけにはいかない。各レコーダーの記録か ら、何日に何があったかという把握は可能だ。実際それはすでに済ませてある。でもキョンが私的に関わった事や何を思ったかまでは知りようがない。だから、 多少の策が必要となる。
 概要はこうだ。キョン少尉は呼び出された主星で事故に遭い、酸素欠乏症にかかる。命に別状はなかったが、記憶障害が発症。ここ6ヶ月の記憶が一部曖昧で ある、と。
 どんな事故でどのような処置が取られたかは細かに捏造済みなので後でファイルを確認しておいて貰いたい。“キョンの死亡”を知っている部下にはそのよう に処理したのだと言い含め、それ以外のものにはその公式発表を伝えてもらいたい。涼宮さんには僕が伝える。事故を聞いて飛んで帰って貰われたら困るから、 帰還ギリギリまで教えないので、そっちの残留組にも言い含めておいて。自分の居ない時に勝手をされたと怒るかもしれないけど、死んだより100倍はマシだ しそこはコピーがフォローする。深刻な事態にはならないと思うよ。
 …で、君にはコピーのサポートをしてもらいたい。
 このコピーは6ヶ月前のキョンそのものだけど、培養カプセルから出されたのは10日前だからね。コピーをオリジナルと摩り替えたという前例もない。これ が初めてだ。理論上はコピーはオリジナルと代わらない経験と意志をもち、オリジナルが選択する範囲内での行動を選択し、オリジナルが歩むはずだった未来を 選ぶ。その誤差は人がタイムリープし再び同じ条件で分岐点に立たされた場合に取る選択の範囲内だ。
 ただ何分初めての経験で、どんな不測の事態が起こるとも限らない。でも我々には失敗は許されない。この入れ替わりを  キョンの死を  涼宮さんに気取 られてはならないんだ。絶対に。
 だから君にはコピーがキョンで在るべく、傍らでフォローしてもらいたいんだ。
 そういう意味では涼宮さんが長期不在のこの時期に事件が起こったのは不幸中の幸いということかもしれないね。
 …尤も…」
 尤も、涼宮さんがいればキョンが死んだはずはなかったけど。
 長官が口にせず飲み込んだ言葉は僕にはしっかり聞こえていた。
 首を振り腕の携帯端末を確認する。
「宇宙標準時×年×月○日、16時47分。現時刻を持って、本作戦を開始する」
 迂闊にも僕は、その意味するところを正確に取り損ねた。
「これを作戦参謀と扱えと言うのですか?」
「キョン少尉だ、古泉准尉。
 君がキョンを作戦参謀と呼ぶことは軍規に反するが黙認する。
 君は自分が何者であるか、分かっているか?」
「………」
 何を言われたか脳が理解しないうち、それが一歩歩み出た。
「よろしく頼む。古泉准尉」
 やはり声も同じだった。彼と同じなのに決定的に何かが違う。違う、これは彼ではない。
「…彼は僕をそう呼ばなかった。呼び捨てで『古泉』もしくは、改まった場所では『幕僚総長』と…」
「ハルヒの考えそうなネーミングだな。…ったく。
 で、幕僚総長は俺のことを『彼』と呼んでいたのか?」
 ハンマーで頭を殴られた気がした。
 先ほどの号令でゲームが始まっていたのだ。
 この彼に酷似した彼でない人造物を彼として扱わなければならないという、おぞましいゲームが。
 足元に虚無が広がり吸い込まれ行く感覚を憶えつつ、差し出された手を殆ど反射的に握った。
 ハンドグローブ越しの乾いた感触は、彼とコピーとの違いを見せ付けるように、とても空虚に感じた。





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