2.作戦参謀の死 彼の名は“キョン”。 本名ではないし彼自身そう呼ばれるのを嫌っていたので、あえて僕はその名を呼ばない。 ただ軍では親が付けた本名でなく、登録された名で全てが処理される。これは宇宙軍創設以前からの慣わしで、軍内での呼び名どころか公式記録も全てその名 に統一される。歴史上の英雄でも登録名しか知られず、本名は不明ということはままあった。 彼の名は閣下が付けた。閣下自身が与えた名でなく、彼の親族がつけたあだ名を閣下が採用したということらしい。その経緯を話す時彼はいつも顔を最大限に 歪めてため息を吐いた。だから僕は深く踏み込んで聞いたことはない。 涼宮ハルヒ閣下とは幼馴染で、一時期彼の転居により離れたものの、士官学校で再会して以来ずっと行動を共にしているということだった。 涼宮“閣下”というが軍から下賜された彼女の身分は大尉だった。佐官ですらない。自身でそう名乗っているだけだ。尤も、彼女の年齢から考えれば大尉です ら異例の出世だったが。僕の与えられた幕僚総長、彼の作戦参謀も軍規に則らないこのSOS団だけの呼び名であり身分だった。SOS団ですら閣下が決めた勝 手な呼称だったが、内部のみならず軍も政府もそれを黙認している。 SOS団は正式には宇宙軍第2師団所属C6特務隊という。任務は、未開地域の調査探索、それに伴う辺境警備といったところか。軍内部では比較的任務に幅 がある部隊だった。 辺境警備というが、防備が必要な敵はいない。それはこの隊に限ったことでなく、宇宙軍全体に言えた。今現在、宇宙に人類以外の知的生命 体はなく、宇宙連合の下全ての星系が同盟関係にある。もちろん、多少の対立、地域を限定した戦闘はあるが、宇宙軍が出向くような大規模なものはここ100 年はなく、軍とはいえ戦闘活動に従事することはまずない。我が隊の任務が一番の花形ではないかというほど、世界は平穏だった。それはより大いなる力が統制した結果であったが、民間人はおろか、軍人や政治家でもごく一部を除いて知るものはいない。 僕がこのSOS団の一員となったのは半年前。前任者の離脱により本部から補充された。末端の構成員として目立たぬよう行動せよとのことで、僕もそのつも りだったのだが何故だか閣下に気に入られ、あっという間に幕僚総長を拝命するに至った。 そこで僕は閣下の腹心として彼に出会った。幕僚は三人。うち彼だけがただ人だった。ただ人でありながらその地位に在ることが、彼の稀有さを表していた。 僕は当初彼とも誰とも一線を画し影の任務を遂行していた。他の二人の幕僚には僕の正体はばれていたので、そちらから話が行くよりは…と、彼にも大まかな ことは話した。任務を易く遂行する為にも必要なことだった。彼はそれで僕との距離を決め、絶妙な間隔で僕をサポートしてくれたりもした。 僕は元々人としての情緒が欠陥している人間で、彼の気遣いも激昂も労わりも、当初は何一つ理解できなかったが、やがて彼に惹かれてていった。 …客観的に言おう。古泉一樹は彼を愛した。初めて人の愛を知り、情を憶えた。 それまで知識としてしか知らなかった熱情や情念といった感情を覚えた。 彼の微笑にも顰めつらにも呆れ顔にも心踊り、触れることに喜びを感じた。 古泉一樹は彼に思いのたけをぶつけた。涼宮閣下の大切な人だと頭では分かっていても、だからどうした、と、それを理解する心は持ち合わせていなかった。 彼は驚き、逡巡したが、まんざらでもないようだった。 口付けは許された。掻き抱くことも。最後の一線は越えていなかったが、それも時間の問題に思えた。 古泉一樹は彼を愛していた。血を流し続ける彼を見、身も世もなく泣き叫び、この命亡くしても構わないから彼を助けてとあらゆる神に祈った。 それが、10日前だ。 たった10日前だというのに、僕のこの冷静さは何だ。 彼は死んだ。この世から居なくなった。あの微笑も顰めつらも二度と見ることはできないし、眠たげでいてよく通る耳に心地よい声も聞くことは出来ない。 …それが? 古泉一樹は彼を愛していた。狂おしいまでに、己が全てを賭しても構わないというほど。…だがそれも彼在ってこそだ。もう居ないものに情は持ち続けられな い。思い出は映画の1シーンのように鮮明に心に残っているけれど、それをそのまま今の自分に結びつけることは出来ない。 自分の事を歪な人間だと思う。あそこまで愛した人を、こうも簡単に客観視出来るだなんて。 それでも、これが僕だ。今も、これからも。 微かなビープ音が鳴り、入電を告げる。 発信は情報局副局長。涼宮ハルヒ絡みの責任者 『×日16時、衛星軌道上に到着。17時に艦まで来られたし。』 ようやく来たか。 事件から10日、最重要事項のはずなのに音沙汰なしだったが、ここに来てようやく方針が決まったらしい。入電で済まさず責任者自らがお出ましとは、よほ ど込み入った結論が出たのだろう。 さて、どうします? 星間を縫い渡りこちらに向かう若き参謀に心で問う。 涼宮さんの大切な人が死んでしまった。しかも、彼女が留守の間に。彼女の嘆きと暴走は想像するに易く恐ろしい。 でも僕はもうどうでも良い。自分が死のうが生きようが、世界が滅びようが改変されようが、もう僕は気にしない、一介の観察者だ。だがあなたたちは違う。 世界を生かすために最後の子どもを御さなければならない。 彼は死んだ。いくつもの希望と共に、大いなる絶望を残して。 さあどうする。 彼は、死んだ。 指定された時間に寸刻遅れず室の前に立つと、まだ来訪を告げてもいないのにドアが開いた。 「ご足労痛み入る。古泉准尉」 部下に対し軍人らしからぬ丁寧な口調を寄越す童顔の指揮官は階級に相応しく見目に騙されてはいけないかなりのくせ者だった。敬礼すると「楽にして」と言 われ、命令通り体の力は抜くが気は抜かない。油断すると鋭い牙が襲ってくる。 「G−142星の様子はどう?」 「異常ありません。国木田長官」 「涼宮大尉が居ないと随分静かだろうね」 「人員の8割が不在ですので」 意図的にはぐらかした会話に上官は苦笑する。子供のような笑顔だった。 「君との腹芸は結構楽しいんだけどね、今回はあまり時間がないんだ。本題に入ろう。 10日前の空調設備の暴発にキョン少尉が巻き込まれた。その場で心肺停止、40分後医療カプセルに収容されるも2日後、連邦医局により死亡が確認され た。…ここまでは良いね?」 「………」 何が“良い”のか分からないが、事実ではあるので無言で頷く。長官の口調は事務的ではあったが、その場に居ながら助けられなかったことを責められている 気がしたのは後ろめたさが感じさせる錯覚だろうか。あるいは、悔恨。 「君も知っての通り、彼は涼宮大尉にとってかけがえのない人物だった。彼の死を知れば涼宮大尉は暴走するだろうね。宇宙の崩壊の可能性が予想し得る上位に 来る。何らかの手を打たなければならない。 さて、古泉準尉、君はこれからどうすれば良いと思う?」 それを今僕に聞くか。何故聞く。一介の末端兵に。僕を試しているのか、テストのつもりか。どうせ既に対策は決定されているだろうに。それとも、未だに意 見が割れて方針が決定していないとでも? 「隠すか、晒すかでまた方法は変わって来ますね。隠すのであれば急な命令で遠方に召還され、暫くは会えない状態になった、とか。音声と映像だけなら合成でどうとでもなり ますから、遠い異郷で生存していることにするか」 「それで彼女が納得するとでも?」 まさか。大人しく帰りを待つ彼女ではない。 「“帝国”の力を使えませんか?」 「どの方向で?」 「記憶操作を。彼女の記憶から彼を、完全に無くすことは無理でも『配属先は違えど志同じくする心の支えとなる同胞』という風にすり替えることは?」 「常人相手になら可能だね。でも過去の事例からして彼女達は記憶操作を受け付けない。個体差があるので絶対とは言えないけど、試みて失敗すれば取り返しの つかないことになる。僕ならその企画書に印は押さないね。それに“帝国”も彼女に関してはガーディアンが居る以上、直接の介在は行わない方針だ。あちらの力はア テに出来ないと思ってもらいたい」 どこより巨大な力を持っているというのに、そもそもこの事態も大元を辿れば彼らの所為だというのに一切関知しないという。良いご身分だ。 「ではいっそのこと彼女に全てをうち明けたらどうですか?案外丸く収まるかもしれませんよ。時間を戻して彼が死ななかったことにするとか、死んだ彼を生き 返らせるとか」 「死人を生き返らせることは彼女らにも出来ない。…確認されていない」 「分かりませんよ、何たって涼宮さんは最期の一人なんですら。今までの誰よりも強い力をお持ちのはずだ」 「持てし力はともかく、彼女は常識的な人間だ。まだ世界を滅亡させるか改変させる方が納得出来る。 …ただ、そういう意味ではなく、彼女に全てを包み隠さず伝えれば良いという意見もある。彼の死を彼女は受け入れるだろうというものだ」 「ほう?」 「ここ最近、彼と涼宮さんの関係は少しぎこちなかったよね?」 「………」 「三ヶ月ほど前から意見の食い違いが目立っていた。それまでも二人は一枚岩とはいかなかったけれど最終的には意見のすり合わせが出来ていて次に遺恨を残さ なかった。それが、どうしてもかみ合わないことが徐々に増え、二ヶ月前、ついに衝突した。そしてその半月後、彼女は彼を置いて辺境探索に出かけた。今まで なかったことだ。 君が残ったのは基地管理の必要性からで、他意はないけれど、彼が外されたのはそのまま涼宮さんの心変わりを意味するものだという見方をするものも少なく ない。涼宮さんの中で彼の重要度は低くなっている。ここで死を知らされても案外平気なのではないかという意見がある」 「そんな…っ」 「うん、僕もそうは思わない。むしろ未だに大事な存在だからこそ涼宮さんは彼と距離を置き冷静になって互いの関係を見直そうと思ったのだろう。もっと言う なら最近どうもおかしい彼に、これを期に正気に戻ってもらいたいと言うのだと思う。心離れから彼を同行させなかったわけではない。 彼女に彼の死を知らせることは、その大事な瞬間に彼の側に居なかった、彼を置いて行ったが為にそんな目に遭わせてしまったという悔恨を深くするに他なら ない。絶対、採用出来ない」 その口調の静かさは一貫している。呼び名が部下に対してでなく友人へのそれに変わっていなければ 「では僕に案はありません。一体どうなさるおつもりですか」 声に苛立ちが含まれないよう気を使う。こんなところで出口の見えない雑談をしている暇はないというのに何のつもりだ、この人は。 「方針は既に決定している」 「では…」 「その前に確認だ、古泉准尉。君の最重要任務は現状維持、涼宮大尉の心の平定、世界の穏便な存続で良いかい?」 「もちろんです」 既にそんなものはどうでも良いと言えず。そしてこの人を目の前にすると未だにそれが自分の信条だと思えてしまう。 「彼の死を知っているのはそちら側では誰?」 「心肺停止を確認した部下が一人おります。ですが、主星の先端医療により蘇生したと告げたら信じました。死亡を知っているのは私だけであります」 「最重要機密、君に守れる?」 「私はいつでも自分の任務に忠実です」 「君の直近の上司にも口を噤んでもらわなければならない。僕と君の間には“機関”があるし、君はまずそちらの上司に報告をすることになっている。けど今回 の件はそちらに話が行ってもらったら困るんだ。聞けないのなら君を排除するしかなくなる。君の前任者のように、ね。どう?」 「…私は機関に所属してはおりますが、機関はそもそも情報局の下部組織です。命令系統が異なっているのならともかく、上部からの命令は優先させます」 さらりと何やら不穏なことを言われたが聞き流す。 望みもせず備わった能力の為に機関に拾い上げられ士官学校にも入らず叩き上げの情報部員として訓練され た僕は確かに宇宙軍というより機関に対する同朋意識が強い。そうは言っても軍人の基本は押さえているつもりだし、機関にそこまで義理立てする愛着もな い。 長官の念押しは僕の軍人としての資質に疑問を呈しているようにも思えて不快だった。 そんな思いが通じているのかいないのか…、長官は少女のような顔で微笑み頷いた。 「そう言ってもらえると有り難いな。これからの計画には君の協力は欠かせないからね。 …キョン、入って」 長官は最後の言葉を奥室に続くドアに向かって言った。 声を合図にドアが開き、良く見知った、全く知らない男が姿を現した |