1.辺境惑星テトラ



 基地のドームが位置する赤道上は星の中で最も環境が安定し、かつ異なった特色を持つ地帯に囲まれた、観測に適した場所でもあった。
 宇宙港、軍事基地、居住区、この星で人がまかなう全ての施設が集まったセントラルドームは軍団二個中隊が駐屯しているだけだというのに他の辺境警備星と比してあらゆる施設が充実しスペースもふんだんだった。
 僕が以前駐屯していた軍事惑星は軍人の数はここの十倍。民間人も多数居たというのに中心ドームの広さはこことほぼ同じだった。しかもその殆どが軍用施設で、民間の施設は軍を機能させる為に必要最低限のものしかなかった。軍人にとって殆ど唯一と言って良い慰安施設たる酒場は、時間に関係なく酔っ払った荒くれどもで一杯だった。それは下級兵の集まる安酒場でも、士官向けの高級バーでも同じだった。
 大概において軍事惑星というものは居住星にするには十分な資源がないか、軍事資源だけは豊富だという観点から選ばれる。水や食糧どころではない、星によっては酸素ですら貴重品で、その供給配分は軍の中でも重要な任務の一つになっていた。
 そんな場所だから自然の草花というものはみかけない。実験用以外の動物は小鳥一羽、ネズミ一匹生息していない。あらゆる場所に人の手が入り、手を入れたからには使い倒そうと人がひしめき合っていた。
 あの星の環境は同規模の軍事星に比べて劣悪だったということだったが、最悪ではなかった。もっと過酷な環境の星は数多くあるし、あれよりマシな星はあっても居住星並に整った星は一つとしてない。
 ただこの星を除いては。
 辺境惑星テトラ。
 中央政府の書類では惑星種別と連番を組み合わせたG−142星と記載されているが、その“無粋な”ネーミングを嫌い、彼女が名付けた。彼女が“支配した”4番目の惑星という意味で。
 直径わずか3千キロの一介の辺境警備星だというのにこの惑星は下手な居住星よりよほど住環境に恵まれていた。
 酸素濃度30%の贅沢な大気設定のドーム内には食堂,遊技場,図書館といった娯楽遊興施設は言うに及ばず自然公園や地下水から引いた真水の噴水まである。その周囲には種類こそ少ないが野生の小動物や虫が生息し、小さな生態系を作り上げていた。
 さらに、この星は有酸素星だった。有害大気も今のところ観測されていない。ドームは人間生活を快適にする為の家のようなもので、多くの新興惑星のようにドーム外に出ることが即、死に繋がることもない。規模の小さな星なのに、火山帯,湿地帯,砂漠に荒れ野にジャングルにと変化に富んでいる。居住星としてもランクB、即移植可という恵まれた稀な星だ。
 ただ、この星が何故居住可能なのか、星として元々その性質を備えていたのか、はたまた最初に発見し降り立ったのが彼女であったから居住可能星となったのかが判明しないうちは、連邦はこの星を居住星として軍から取り上げることは出来なかった。


***


 七個小隊が留守の基地内は、いっそ清々しいまでに閑散としている。基地の、そしてこの星全体のトップたる閣下は居ない。留守を預かる幕僚も10日前から僕一人だ。フルの時で200人がひしめく  しかも内約一名で600人分の存在感はある人がいる  スペースに25人しか居ないのだから当然だ。だが、ドームの運用に必要な最低の人員は2名  幕僚が二手に分かれても機能するようにだそうだ  、しかも平時だ。少なすぎるということはない。
 …平時…。そう、平時なのだ、今は。
「しかし平和ですねー」
 僕の思考を読んだかのように、セキュリティシステムの定時点検を終えた整備兵が話しかけてきた。
 この男は、10日前の凶事を知らない。
「退屈ですか?」
 心の奥にふつと涌いた苦々しさに蓋をし、下官に対してでも崩さぬ丁寧口調で問いかける。謙っているわけではない。諜報官吏としての手管の一つだ。あの人には一度たりとも通じたことはなかったけれど、他の者には概ね有効だった。人当たりの良い気の良い上司だと、常人は言わずとも済む本音を洩らす。
「はは、確かにこう何事もないと気は緩みがちになりますけどね、仕事はたくさん有りますから。閣下が戻られたら次から次へと新しいことを言われてルーチンの仕事は疎かになりがちなんで、今のうちに細かい修理とか点検とかやっときますよ」
「鬼の居ぬ間に…ですか?」
「鬼ってこたありませんが…、閣下はこういう地味な作業はお嫌いですから。こういうとこにも手を入れておかないと基地は立ち行かないんですがね。
 で、閣下はご予定通り?」
「ええ。D3星系で予想していた高山と有機生命体を見つけられたとかで、標本採集と調査の真っ最中とのことです。トラブルもないようですし、このままだとご帰還は予定通り1ヶ月と16日後になりますね」
「うわっ、もう半分いきましたか!…間に合うかなぁ…」
「もう少し期間が欲しいところ、ですか?」
「いやー、でもやっぱり閣下がいらっしゃらないと火が消えたようで寂しいですよ。無茶言われて腹を立てることはありますが、やっぱりテトラには閣下が居て下さらないと。
 幕僚総長もお寂しいのではありませんか?作戦参謀も主星に赴かれて10日になりますから」
「…そうですね…」
 一瞬、顔が強張った。だが目の前の整備兵は自分の振った話題の大きさに気付いていないらしい。では私は武器庫の方に…と無邪気に笑い去って行った。
 不意打ちの言葉に少々ぐら付いたが大丈夫。すぐに立て直せた。この程度のことで揺らげるほど僕は、情の厚い人間ではない。

 あたしが居ない間は古泉君がここの責任者よ!任せたわよ!
 そう笑って手を振り出発した人。
 あなたの一番大切な人を守れなかったと知ったら、あなたは一体どうするだろう。
 彼女から直々に鍵を手渡された中央制御室のパネルを事務的に眺める。入電をチェックするが、見るべきものは彼女からの定期連絡だけだった。
 主星から120光年、民間の高速艇ではたった10日、軍用の最速ワープ艇なら3日の距離しか離れていないというのに、この星は主星から忘れ去られたかのようにあらゆる喧騒から遠い。実際は彼女のお陰でどこよりも注目されている場所なのだが、ラボアニマルよろしく遠巻きに隔離されている。この星は  いや、この星系は、巨大な箱庭なのだ。もしくは、おもちゃ箱。
 他に気を散らさせぬよう、興味を拡大させぬよう遊具を取り揃えられた彼女専用のこの箱庭は、彼女が生きている限り存在する。いや、維持させなければならない。彼女の成長に合わせて大きくなることはあっても、壁を崩させてはいけないのだ。決して。

 来訪者を告げるインタフォンが鳴った。
 カメラアイは作戦参謀付きの軍曹の不安げな顔を映し出していた。その下士官は本来ならこの時間はシステム制御室に居るはずで、ここに居て良い男ではなかったが、用件は見当が付く。事件から10日、緘口令を敷かれ、委細は一切告げられず、軍人とあらば珍しい事ではないとはいえ、事態が事態だ。そろそろ心労も限界なのだろう。彼は、とても部下に愛されていたから。
 ドアロックを解除し男を招き入れる。本来この部屋には閣下以下幕僚以外の出入りは許されていなかったが、人の目のある所で話して他の団員に見られては不味い。
「どうされました?」
 分かっていても水を向ける。古泉幕僚総長はいつも後手を見せかけなければならない。
 切れ者そうな顔に似合わぬ小動物的怯えを浮かべ、暫し躊躇し男は思い切って口を開いた。
「あの、作戦参謀はその後…」
「ああ、はい、あなたには申し忘れておりましたね、すいません。ただ今主星にて治療中。蘇生に成功し、傷はかなり深いですが、一命は取りとめたということです」
「本当ですか?」
 安堵より疑惑が先行している。当然だろう。
「本当ですよ。嘘を言って何になります?…確かにあの時、作戦参謀は心肺停止状態でした。あの状態から助かったとはにわかに信じられないかもしれません。ただ、最近の蘇生術の進歩は目覚しいものがあります。…ここだけの話ですが、一般には非公開の先端医療というものが存在します。詳しくは申し上げられませんが、心肺停止後6時間以内に救命カプセルに収容すれば蘇生は87%成功するところまできています。作戦参謀はそれを受けられたのですよ。非常に高度な設備を要する技術で、まだ民間で実用可能な段階ではなく、A級の機密事項です。誰もが恩恵を受けられるわけではない、そんな技術があるとも知られていないものですが、我らの作戦参謀は享受を許されました。…あの方自身にはそれほどの価値がないと見なす人も在りますが、宇宙軍になくてはならないかの閣下、あの方を御せる唯一の人ですからね。
 大丈夫。作戦参謀には最高にして最新の治療が施されました。安心して下さい」
 よくもまあここまでのでまかせがすらすらと出てくるものだと我ながら感心する。これほどの大法螺を吹いて胸を張っていられるのは狂人か新興宗教の教祖くらいのものだろう。よって目の前の下士官は信じた。古泉幕僚総長の誠実で人当たりが良い仮面は破られていない。僕ほどの人がそんなつき通せるはずもない嘘を吐くはずがない、と。不安を完全に払拭した明るい顔で安堵のため息を吐く。
「…よかった…。…本当によかった…。あの状態からまさか助かるなんて…。いやぁ、作戦参謀は本当に運がお強い…。はは、助かったんですか、そうですか…」
 安心したあまりテンションが上がり、饒舌になっている。普段は上官の前では余計な言動をしない男なのに、半分泣いた、半分笑った奇妙な顔で何度も頷く。
「しかし医療の進歩というのは凄いものですね。オレ…いや私が士官学校で齧った時代は心肺停止後の蘇生は長くても10分以内でないと無理とされていたんですが。そうですか、助かりましたか、…よかった…」
「…復帰までは時間がかかりますが」
「ええ!それはもう!ですが命があれば十分でしょう。多くは望みませんし、私どももサポートさせていただきます」
「そうですね。…それで、ですね。事態はいくつもの機密と禁忌を含み現在も進行中です。あの事件は闇に葬られ、なかったことになる予定です。作戦参謀は他のものに伝えてあるように急な召集で閣下にすら秘密で主星に赴かれた。帰還が遅れることと隠しようのない怪我に関してはどのように取り繕うかは現時点では未定です。ですから、あの事件の事は他言無用、最高機密扱いです。これは、現在のテトラの責任者からの命令だと思って下さい」
 …回りくどい。命令だ、で良いではないか。何故そう言えないのか。顔面に張り付いて取れない仮面を歪め、笑みを浮かべると、目の前の軍曹は「もちろんですとも!」と力強く請け負う。
 よかった、と助かったんですか、を繰り返し、本当に嬉しそうに涙ぐみ、一礼して男が退室するのを待ち、僕は酷く脱力し、椅子に沈み込んだ。
 馬鹿な男だ。
 心肺停止の上、体内の血液の70%を失った状態、しかも有酸素環境で、蘇生が成るわけがないではないか。医学はそこまで進歩していない。
 いや、蘇生医療だけが何故か進歩しない。
 人類の技術というものは、あらゆる分野で進歩してきた。生命工学の分野でもしかり。
 遺伝子分野で言うなら、倫理的な面から許されていないだけで、ヒトのクローン技術はとっくの昔に確立している。再生医学の発達は、脳の一部を除く全ての臓器の人造を可能にした。理論的には、そして一部の闇組織では脳移植による人体のすげ替えも可能だ。更には人の記憶を取り出し別の脳に植えつける技術まである。以上は全て民間には知られていない機密ではあったが確かに在る。
 ただし、それらは全て生きている状態であれば、だ。生きていてこその記憶、生きていてこその脳だった。
 一旦死んだ人間は生き返らない。まるでそこが神が定めた一線であるかのように、この定説は千年の昔から変わらない。
 死ぬ直前にでもコールドスリープが成れば医療設備の整った場所まで運搬し助けることが出来る。かの地で最先端の治療が受けられれば100%助かるだろう。
 ただ、それも生きていてこそだ。
 心肺停止後一時間も後に救命カプセルに収容されたところでどうしようもならない。
 彼は、間違いなく死んだ。




次へ