※40代のおっさん古キョンです

不惑



 夕飯の食卓にはいつものメニューより少し豪華な料理が三品、それと、普段であれば決してこの場には呼ばれないホールのケーキが大きな蝋燭四本を従え居座っていた。
 何事にもTPOは存在する。ケーキなんてものはお八つ時か食後に嗜好飲料を伴い並べられるものであって、通常は夕餉の席に乱入するものではない。ばーちゃんが昔話で「子供の頃は年に一回も食べられなかった」と言っていたほどには俺たちの世代では特別な存在ではなくなったが、それでも、非日常のハレの食い物だ。食事という日常に同席させるものではない。
 ただそれがハレの日であれば話は別だ。その日を寿ぎ、いつもと違った特別な色で彩る為のアイテムとして登場する。
 例えば、クリスマス。例えば、誕生日。
 今日は俺の、40歳の誕生日だった。

 風呂場からパシャンという水音が聞こえる。古泉が泡だらけにした体にかけ湯をしている音だ。この後サアァァァという頭を洗うシャワーの音が聞こえ、暫く湯に浸かる無音状態が続く。どんな手順で風呂に入るのか、上がるまでにあと何分か、同居も15年を越えるとすっかり把握しちまっている。多分古泉の方もそうなのだろう。
「出会ってから、約四半世紀か」
 わざと口に出してみる。言葉にすると重くのしかかってくるかと思っていたが、意外にその言葉は放たれた途端千々に霧散しあっさりと空気に溶けた。
「とうとう40か」
 こちらは澱のように一部心に沈んだが、やはり大半は空に消えた。
 案外、なんてことないんだな。
 古泉と出会ったばかりの頃、16の俺は40なんて想像も付かない彼方なる年齢に思えた。宇宙人や未来人よりよほど遠い、未知の、畏怖の対象だった。そりゃ周囲に40を過ぎた人間はごろごろ居る。40どころか50,60…、ひーばーちゃんに至っては90を越えている。だから40男というものが存在するのは知ってはいたし、俺も余程の不幸に見舞われない限りそうなると分かっていた。だが俺自身が40になった姿というのは想像出来ていなかった。
 いや、想像はしていた。
 俺は良くも悪くも平凡な男だから、平凡な人生を送るだろう、大した信念も持たず、学力だけで選んだ大学に入り、時々はサボったりバイトしたりしつつ4年間だらだらと「楽しかったけど何があったかよく思い出せない」学生生活を終え、適当な会社に就職し、どういう経緯があるかは想像はつかんが20代後半か30代で結婚して、子供は二人ほど出来て…、40の頃にはその子供達は生意気盛りだろうか、すっかり口うるさくなった妻がちょっと苦手で仕事帰りに小遣いをやりくりした安酒を飲むのが楽しみな、しょぼくれた中年…つまり、当時の俺の親父みたいになるものだと思っていた。
 夢らしい夢もないそのビジョンは、だが身の内に浸透していたので揺るぎは無く、ハルヒに振り回されて平凡とは言えない日々を送るようになっても、古泉一樹というイレギュラーな恋人が出来ても変わらなかった。

 古泉とは、高二の頃から関係を持つようになった。
 合意だったし、想いはあったが、未だにあれが恋愛だったのかは確とは言えない。
 幼いが情も欲も伴った、それは確かに愛だったけれども、まだ誰ぞかが決めた枠の中でだけ生きていた。
 16の終わりに互いに向き合い、17になった日に初めて身ごと古泉を受け入れた。愛していると言い合ったし、互いの体は自分自身より多く触れ合った。休日ともなれば一日中まぐわったし、後ろめたさを感じつつも部室で、太陽の下で、人気のなくなった教室で求め合った。ただれたカップルだよなぁと思い、常識外な関係だと思ったが、振り替えると、当時の俺達は与えられた境界の中から一歩も外に出てはいない子供だった。
「こんな関係、高校のうちだけだ」
「ええ。ですから、今を楽しみましょう」
 俺も古泉も、卒業したら終わるものだと思っていた。
 誰に言われたわけでも、決まりがあったわけでもないのに、それが世の理だと、たかだか10代の頭で悟った気になっていた。
 卒業式の日に、最後に盛大にセックスをし、それでお別れ。友情は続くが恋人は止める、青い時代の過ちってやつだ、と、決めてかかっていた。
 感傷的にはなったが悲愴にはならなかった。
 無理矢理、とか、断腸の思いで、とかでもない。ただそうするものだと思っていたのだ。
 だってそうだろう?男同士でこんなこと続けて何になる?古泉とは結婚も出来ないし、子供を作ることだって出来ない。こんな関係は幼稚で無意味だ。
 こんな、非生産的、反社会的なことをしていられるのは高校までだ。大学生ともなれば社会人予備軍で、地に足をつけた生き方をしないといけない。
 古泉も同じような社会通念の持ち主で、だから俺達の関係は、大学進学を期に一旦は自然消滅をした。
 別れには涙は無く、むしろ穏やかな微笑みがあった。思い出は、甘すぎる菓子を水も飲まずに食べた後のように暫くはねっとりと口の中に残っていたが、それもやがて薄れた。
 俺は地元の大学、古泉は東北の大学に進んだこともあり、会う機会はめっきり減り、時に疼く熱を処理する時に思い出を掘り起こす以外は、俺の中から、恋人、古泉一樹の姿は消えていた。
 後に犯された熱病から思うと、あれは恋愛ではなく真似事、ままごとをしていたに過ぎなかったのだろう。

 カタンと戸が軋む音がする。
 古泉が風呂場から脱衣所に移ったのだ。バスタオルで隅々を拭いて、今日はこの後食事をするので部屋着に着替える。行為をひかえていて効率化の為に素っ裸で出てくる時より5分ほど余分にかかる。

 古泉言うところの“二度目の恋”に落ちたのは、大学四年の春だった。
 明確に、どういうきっかけがあったのかは憶えていない。
 ただ、大学の最終学年にして俺は、ようやく、大学生はそう大人ではなく、社会性もあるわけではないということを悟った。
 そう思うと、もう子供じゃないからと納得づくでしまい込んだ過去の色々なものが惜しくなり、“バカな子供時代”と封印が貼られた箱を開けた。
 その中に古泉も居た。
「もう俺じゃ勃たないか?」
 そう言って口付けた古泉の手の甲の、ほのかに舌を付く酸味が、深く埋めすぎて芽を出す事がかなわなかった恋の種を、鋭く刺激した。

 ヨリが戻ってからも俺は、こんな関係長続きはすまいと思っていた。高校の時とは違い、積極的に終わりにする気はなかったが、こんなの学生のうちだけだ、卒業したら終わるのだと思っていた。予想に反し社会人になっても続いたが、そのうち互いの生活の違いから疎遠になるに違いないと思っていた。
 だがやはりそうはならず、一年後には俺達は一緒に住むようになった。
 思いがけず、寝室を同じくした言い訳が利かない同棲で、生活習慣が違う割には肌に合ったが、それでも長くは続くまいと、まだ疑っていた。続いていいはずがない、と。
 こんな関係、精々25まで…よもや30になっても続いてはおるまい。って、もう35かよ!でもまさか大台まではなぁ、と、ずるずる延びていつの間にかとうとう40だ。なんてこったい。
 なんだかなぁ。
 知らず、脱力する。
 この関係に、ではない。40という年齢が、思っていたものと違っていたことにだ。
 人は、年を取れば何かを成さなければならないと思っていた。大きいことでなくて良い、当たり前の、人間なら誰でも出来る社会貢献をしなければならないのだと。
 子供のように周りを見ず我を通したりせず、社会に溶け込む為何かを諦めなければならないのだと。
 10代の頃は40なんて、人生の下り坂で、余生で、それまで培ってきたものを切り崩すか守るかだけの年だと思っていた。
 スポットライトが当たる時は過ぎ、若者に場所をあけ、己は裏方に回らなければならないのだと言い聞かせていた。
 だが、違った。
 人の立ち位置というのは一つではない。10代には10代の場所、40には40の場所、当然80には80の場所があるのだろう。それらは、位相空間のように重なってはいるが同一ではない。
 だから、年齢を理由に何かを手放す必要は全くないのだ。
 …いや確かに、俺はこの年を区切りに、あることを一つ諦めた。ようやく吹っ切ったと言い換えても良い。だが。

 40になっても、俺はちっとも変わらない。
 そりゃ、顔に皴は増えたし髪には白髪も混ざり出した。昔ほどは体力はないし、あちこちガタがきはじめている。
 また、若い頃のように未来は無限に分岐してはおらず、かつては飛び越えられたハードルも今では遥か上空だ。
 諦めなければならないこと、腹を括らんといかんこと、見る事すら許されない夢も、ある。
 それでも、面前に広がる路は見切れるほどには短くはなく、選択肢がないほど少なくはない。進む俺の気力も体力も衰えてはいない。
 良く考えたらそうだよな。平均寿命まで生きられるとすれば、今まで生きた歳月に近いだけ、まだ時間はあるんだもんな。
 俺を育ててくれた社会に対して何も生まずにこの年まで何をしていたんだと思う悩むことはあった。これからも悩み続けるだろう。それでも。

「やあ、美味しそうですね。この年になるとそう甘いものも欲しくなくなりますが、たまにはホールケーキも良いですよね」
 柔らかい湯気を纏いつつ、古泉が居間に入ってきた。
 屈託なく笑う時目元に浮かぶ皺までチャームポイントになるのだと、最近になって知った。
 生クリームが及ぼす疲労への作用を述べつつ、椅子に腰を落ち着ける古泉を片手で制する。
「ローソクを吹き消す前に、一つ言っておきたい事がある」
「何でしょう?」
 目尻が穏やかに下がる。10代、20代のガキが作ることは出来ない、悠然とした笑顔だった。
「俺は、ハルヒの事が好きだった」
 ぴくっと古泉の片眉が上がり真面目な顔になる。俺は、俺の気持ちが過たず伝わるように、まっすぐに古泉の目を見た。
「異性としてだ。お前達が何かと言えば俺達をくっつけようとしていたあの頃から萌芽はあったと思う。意地になって否定していたお陰で長いこと気が付かなかったがな。
 お前に惚れなきゃ、多分俺は仕方がないと言いつつハルヒに乞われるままにあいつに着いてまわってフォローして…、そのうち自然にくっついていたと思う。
 ただ、その気持ちを自覚したのは、ハルヒとはもう絶対そうなることはないと思ったからで、つまり、終わってから初めて、そういう想いが有ったことを知ったんだ。今更戻れやしない。俺達は違う路を歩き出してしまっていた。もうどう転んでもハルヒと一緒になることはない。だから本当は一生誰にも言うつもりはなかった」
「…いつです?その気持ちに気が付いたのは」
「5年くらい前かな」
 10年ぶりの高校時代のクラス同窓会で、親となった何人もの同級生を見て、ああそうか、と気が付いた。あの当時、確かに、俺の隣で明るく笑うハルヒと、その子供がいる未来はあったのだろう、と。
 だがそれも過去の話だ。
 古泉に出会った。
 惚れられて、惚れた。
 古泉を、選んだ。その時点でハルヒと歩く未来は消えた。
 ただ、もう亡い未来でも、言ってしまうと古泉のことだ、身を引くなんてことは今更ないとして、「あの時僕が告白しなければ」だの、「まだ涼宮さんのことを?」などと鬱陶しく思い悩むに違いないと思ったので、あえて黙っていた。
「では何故今になって告白する気になったのです?」
 当然の疑問だよな。今さらだ。俺だってついこの間まではそんなつもりはなかったさ。
「…不惑だからかな」
「どういう意味ですか」
 こっからの人生、古泉と生きて行こうと腹を括った。惰性ででなく積極的に、離れそうになってもそのまま見送ることはせず、追いかける。ひびが入ったら修復する。お前を、俺の人生の一部にする。
 もう迷わない。他の人生はすっぱり捨てた。
 だから言ったのだと渾身の告白をしたというのに古泉ときたら、きょとん、とした顔をした。したあと、破顔した。
「今頃ですか?あなた、相変わらず往生際が悪いですね!僕はもうとうに、10年以上前、それこそヨリを戻した時から覚悟を決めていたというのに!」
 明るく笑い飛ばされるという思ってもいなかった反応に絶句する。
 泣くとか詰るとかはなくとも、深刻そうな、あるいは忸怩とした顔をするかと思っていた。
「涼宮さんへの気持ちも、僕も長門さんも朝比奈さんも、あなたと涼宮さん以外はみなさん気が付いていましたよ。願望や妄想でなくね。何度も言ったじゃないですか。
 むしろ僕はようやく認めたかとほっとしましたよ!
 だって気付かないままだと本当に気が付いた時、僕は捨てられるんじゃないかと不安でしたから。幸か不幸か、今涼宮さんはあなたを受け入れられる境遇にありますし、思い立った時のあなたの行動力は追跡不可の瞬発力がありますから。
 …でも、涼宮さんへの想いを認めた上で僕を選んで下さったのなら安心です。あなたが離れることはない」
 一つ肩の荷が降りましたよとけたけたと笑った。その笑顔に他意は見えなかったが、溜め込んでいたのだろう、反動で軽い繰状態になっているようだった。
 笑い止めぬ古泉を、思わず、珍獣に遭った目でまじと見る。こんないかれた状態の古泉は初めて見た気がする。
 40にもなったらバカ笑いなんかしないものだと思っていた。
 40にもなったらがっついたセックスもせず、そもそも性欲なんぞとうになく、パートナーに情はあっても飢えなどなくなっているのだと。
 一通り笑い倒した後、古泉はふと真面目な面持ちをして顔を近づける。
「ねえ、好きです」
「…俺も、好きだ」
 熱っぽく見つめ合って愛を語るだなどと。
 儀式のように口付ける。舌が戯れに口内を一巡りし、去って行った。
 40にもなって、こんなキス一つで心が昂ぶるなんて思ってもいなかった。
「…その年にならないと分からない事ってあるよな…」
 何の生産性もなくとも何一つ社会に貢献しなくとも惚れているというだけで求めても構わないのだと、後戻り出来ない年になってようやく吹っ切った俺を、数ヶ月早く惑わぬものとなった古泉は微笑みとともに迎えた。
「それが分かる年になったということです。…ようこそ、不惑に」






一応、 「ダンボールいっぱいの・・・」の後の話なんですが…、…なんか、何書きたかったのか分からなくなってしまいました。今まで書いた中で一番分からない話だ…。ざかっと読み飛ばして下さい。
あ、誕生日は特にいつ頃とか特定して書いていませんので。個人的には、キョンは5月辺りの爽やかな季節、古泉は6月とか11月とか、割合鬱陶しい季節が似合うと思います(笑)。←ってあれ?キョンのが年上?