ダンボールいっぱいの・・・




「…まだ、ですか?」
 自分でも嫌になるくらい恨みがましい声になった。穏やかに、さり気なく問うはずだったのに。浅ましいと思うが止められない。僕はもう十分待ったではないか。
 彼もそのことは承知している。多少は後ろめたいのだろう、目を軽く泳がせ伏せ目がちに「も少し待て」と切れの悪い小声で返した。
「では、いつ頃になりますか?大体で結構ですから教えて下さい」
 なるべく穏やかに問ったのに、返ってきたのは「いつ頃ってもなぁ…」という煮え切らない言葉で、僕は情けなくて涙が出そうになる。仕事が忙しいわけでもない、家庭に事情があわけでもない、しがらみはなく行動力はある、だというのにずるずると先延ばしをするというのは、気持ちに問題があるとしか思えない。そんなに嫌ですか、気が進みませんか、だったら何故OKしたのです、きっぱり断ってくれれば良かったのに。ふつふつと、押さえていた不満が臓腑を食い破り顔を出す。
 混雑していないとは言え休日の真昼のレストランで声を荒げるということは出来なかったが、だからこそ、低く念のこもった声で、思いのたけをぶつけた。
「部屋を決めて僕が引っ越してからもう3週間ですよ!?な・ん・でっ、宿替えに3週間もかかるのですか!あなた、本当に僕と一緒に暮らす気があるんですか!?」
「あるに決まってるだろうが!」
 間髪入れず返され、ほんの少しだけ気分が上向く。俺の気持ちを疑うのかよと言われれば首を横に振る。分かっている。この人は僕のことがちゃんと好きで、僕がこの人を想うのと同様にこの人は僕のことを想ってくれている。それはもう心配していない。僕の方がより好きすぎる、この人は僕のことなんか、家の飼い猫と同程度くらいにしか好きじゃないなどとはもう思ってはいない。
 けど、じゃあ何故とっとと越して来てくれないのですか。そりゃルームシェアを申し出たのは僕ですけど、あなたも賛成して、二人で不動産屋を回って決めたじゃないですか。一体何が不満なのですか、あなたは!



 大学を出て就職2年目の春、一年の研修期間が終わり僕の正式配属先が決まったのを期に、僕達は一緒に暮らすことにした。人にはルームシェアと耳障りの良い言葉で説明はするけれども、同居ではなく同棲だ。同居と同棲という言葉の違いが示す二人の関係については今は詳しくは語らない。ただ、お察しの通りだとだけ申し上げておく。
 僕達が人目を憚るただならぬ関係に陥ったのは高校二年の夏だった。涼宮さんの力が第二段階に入り、周囲のパワーバランスが崩れた事が、その遠因。
 ただ、その関係は今までずっと継続していたわけではない。高校卒業を期に夫々の理性的判断から僕たちは一旦は関係を清算した。自然消滅ではないが、お互いに割り切った、修羅場を伴わない関係の白紙化だったので、それで双方が気まずくなるということはなく、友人としての交友は続いた。ただ、僕は東北の大学に、彼は地元の私大にと進路が別れたことから、実際に会う頻度は年に数回とがくんと減った。
 大学4年の春にひょんなことからヨリが戻り、まあそれについても詳しくは今後に譲るとして、そうなってしまっては一日たりとも離れていたくない僕は、地元を離れる気がない彼に合わせ就職先を絞り込み、就活にかこつけウィークリィマンションを借り、週の殆どをこちらで過ごした。
 そうやって決まった会社は、流石に彼と同じとはいかなかったが、仕事帰りに待ち合わせをして食事を出来るくらいの理想的なところだった。地元密着型の巨大メーカーで、新入社員は全員まる1年寮生活をし、各方面の現場研修に明け暮れる。寮の部屋は今時二人部屋で、広さこそ八畳あったけれども、男二人が生活するには少々狭かった。
 週末の外泊はOKで門限も有って無きが如しだったけれども、恋人と過ごす時間は十分には取れず、反動、というわけではないが、一年の義務寮生活期間を終えた僕は、寮をとっとと出る事にし、ついでに、彼にルームシェアを提案した。
 二人暮しの方が食費や光熱費は浮きますし、家賃も安くて済みます、と同居の利点を整然と並べ立てた僕に彼は「それ、実家暮らしの俺にメリットある?」と憮然と返した。それはそうですが、あなた、24歳にもなって親がかりというのはどうかと思いますけど、と、更に言い募ったのにまだ首を縦に振らない。
 しまいには切れて、就職してお互い会う時間もそうそう取れなくなったのに、あなたそれでも平気なんですか!僕のこと好きじゃないんですか?好きな人と一緒にいたい、暮らしたいとは思わないのですか!とやけばちに怒鳴ったところ、彼はぶすったれた表情のまま、顔をやや赤らめて「最初にそれを言えよ、アホが」と口を尖らせた。
 まだ僕は彼の扱いが分かっていないらしい。
 そんなこんなで多少のごたごたは有った後、彼は僕との同棲…同居に合意し、二人して不動産屋を巡り、互いの通勤に都合が良い場所に2LKDの部屋を借りたのが3週間と3日前。その次の日には僕は引っ越したというのに、彼は2,3の生活必需品を移しただけで「頻繁に泊まりに行く友人の家に置いておくもの」以外は何一つ運び入れていない。
 仕事が忙しくて準備をしている暇がないのかと思えば、二日とあけず部屋にやってきて、週末ともなれば泊まって行くのでそういうわけではないらしい。セックスは頻繁だし彼から誘うこともある。仕事のトラブルで疲れて帰った時には何も言わず暖かいスープを作ってくれて、膝枕の上で頭を撫でてくれた、そんな時に言い知れぬ愛情を感じる。
 …話がずれたが、僕が嫌で同居を先延ばしにしているわけではないのだろうということだ。だのに彼はなかなか引越して来ようとしない。「日程が決まれば手伝いますので教えて下さい」と何度も水を向けたのに言葉を濁して誤魔化されてしまう。
 もしかして彼は、僕と暮らしたくないのだろうか。一旦は承諾したものの、考えるにつれ嫌になってきたのだろうか。こうやってたまに会い、関係をし、次の約束をして分かれる、そんな距離で居たいのだろうか。
 …だとすれば、その彼の気持ちは良く分かる。
 僕は、決して共同生活のパートナーとして向いているとはいえない人間だ。
 家事は嫌いではないが下手だし、整理整頓は苦手だし、好きな人にはとことんくっついていたいのでパーソナルスペースを尊重することが出来ない。
 たまに会って過ごすくらいには良いかもしれないが、一緒に暮らせば彼の負担が増えることは目に見えている。僕が彼の立場なら、こんな面倒な男とは暮らしたくはない。
 彼もそうで、だから僕との生活を先送りしているのだろうか。
 愛人には良いけれど、正妻には不向きな人間というのは確かにいる。僕もきっとそのタイプなのだ。そう思うと本気で寂しくなってきた。

「あー、もう!泣くなよ!」
「…泣いてませんよ」
「泣きそうな顔してんだよ!」
「だって、あなたが…、一度は了承してくれたのに…、僕は楽しみにして、ずっと待って…っ」
「だから泣くなって!お前はちっとも悪くないんだ!俺が悪い、全部俺の所為なんだってば!」
「…どういう、ことです?」
 こぼれそうになる涙を必死にこらえて見上げると、彼はバツの悪そうな顔をして、頭を掻いた。
「古泉、今から俺ン家来い」
「え?」
「見せたいものがある。…何で俺が引越しに時間がかかっているか、その元凶だ」
 そう言って彼は腹を括ったとばかりに大きなため息を吐いた。



 彼の部屋に入って真っ先に目に入った巨大な影が、一体何なのか一瞬僕は分からなかった。
 それは堆く積み上げられた段ボール箱だった。側面には「本1」だの「SOS関連」だの書きなぐられているのでこれが引越し荷物なのだろう。部屋を圧迫するそれらに反し、本棚は閑散としており、準備はしていたのだと漠然と思った。
「…えと?」
「A3サイズの段ボール箱、30個分ある」
「はあ」
「俺の持ち物だ。言っておくが、これだけじゃないぞ。中味は本だの雑誌だのCDだの、所謂ソフト的なもので、この他に机だのオーディオだの本棚だのと言った大物が控えている。こんなもの、全部持って行けないだろうが」
「全部必要なものではないでしょう?置いて行けば良いじゃないですか」
「今の生活には必要ない。だが、思い入れがあったり思い出が詰まっていたりで捨てがたいものばかりだ。出来れば保管しておきたいのだが、おふくろに『家を出るなら私物は全部持って行ってね。帰ってきた時の為に最低限の生活必需品は取っておいてあげるけど、趣味のものは見つけ次第捨てるわよ』と言われた。言ったからには絶対捨てる。あの人はそういう人だ。横暴だと抗議して、せめて少しは見逃してくれと懇願したところ、収納ケース1つ分は置いておいて良いと譲歩してくれた。だがそれだけだ。後は家を出る時にどうしても運び出さなければならん」
 段ボールの脇に、1つだけプラスチックの衣装ケースが置いてある。あれがこの家に残すことを許された彼の私物なのだろう。赤ん坊の風呂にならなりそうなくらいの結構な大きさだったが、積み上げられた荷物と比べるとあまりに儚い。
「荷造りするまでここまでこの部屋に物があるなんて思いもしなかったさ…。俺はコレクターでもマニアでもないしお前と違って片付けられない男でもないからそんなに持ち物が多い質だとは思わなかったんだが…、24年分ともなると馬鹿に出来ない量になるもんなんだな…」
 あれだよ、ネックは本だよ、と、今日だけで何度目かのため息を吐く。
 本は買うものとは思っていないし図書館でタダで読めるなら越したことはないと思っている、だが欲しい本を見かけたら買うことを躊躇わない、面白かった本はとっておきたい。それ以上に問題は雑誌だ、中坊の時に買っていたオカルト雑誌が段ボール箱4箱分有って荷物を圧迫しているが、この手のものは図書館でも長期保存はしていないから手放すと二度と手に入らないと思うと捨てるに捨てられない。当時みたいな狂的興奮はないが、今読み返すと、特に近未来の予言なんかバカバカしくて面白いんだぜ?小中高時代の教科書やノートは捨てたが大学のものは今の仕事に繋がっているので捨てられない。SOS団関係の小物がまた数が多い。プリントした写真だけで箱1つ埋めたって一体どんな嬉しがりなんだよ、ハルヒは!
 とうとうと品目を、解説文付きで挙げて行くので口を挟む暇もない。
 つまり、彼が引越しを渋っているのは、新居に納まりきらない荷物があるのに絞りきれず、置いていくわけにも行かず、思案していたから、ということか。
 あらためて、積み上げられた段ボール箱を見る。
 壮観、の一言。
 よくもまぁこの部屋にこれだけの量が収まっていたものだ。ダンボール箱は部屋の半分以上を占拠しており、これが一部屋から出たものとは容易には信じられなかった。
 彼の部屋はいつ来ても適度に整頓されていたので分からなかったが、実に見事に収納されていたというわけだ。
 部屋の広さだけで言うなら、この部屋は八畳、新居は六畳と、少々狭い。向こうには押入れがあるが、こちらでも物置に退避してあった荷物もあるらしく、大したアドバンテージにはならない。確かに、新居には勝ちすぎる量だろう。
 一方、僕はと言えば、部屋は彼が毎回文句を言うほど散らかってはいたけれども、殆どがゴミ、さらに収納下手が招いた結果の汚部屋だったので、実は持ち物は少ない。引越しの度に物を捨て、身軽な生活を心がけたお陰もあるだろう、家具を除くと段ボール箱3箱分もなかった。彼の10分の1だ。
「…だから、お前と暮らすのが嫌だったんじゃない。…ただ、この荷物の問題をどうにか解決しないと進めないんだって」
 俺だって早くお前と暮らしたいよ。
 やけくそめいた口調で、顔を赤らめて言うものだから、僕のテンションは一気に上昇した。
 なんだ、そんなことか。
「何がおかしい」
 くすりと笑ったのを聞きとがめられる。
「いえ、そういう他愛ない理由で良かったと思いまして。てっきり僕は、僕の生活態度が許容できず、恋人の距離ならともかく一緒に暮らすのは嫌なのかなと落ち込んでいたものですから」
「確かにお前の生活態度は褒められたものじゃないが、昔に比べればすこーーーしくらいはまともになっている。100言って1改善される程度だがな。一緒に暮らせばもっときっちり指導してやれる。それは面倒はないさ。…ただ、な、…その、しょっちゅうお前の部屋の惨状にダメ出ししている身のくせしてこんだけの荷物だろ?ちょっとは負い目が、さ…」
 プライドから言い出せなかったというわけだ。存外、彼も可愛らしい。
「あなたの場合は整頓上手から量が増え続けたということでしょう?必要なものを苦なくたくさん抱え込めているというわけです。僕のように、だらしなさが高じてゴミをためこみ、要らないものでも放置しておいたとでは物持ちの意味合いが違いますよ」
 あなたはその、そんなところでも発揮される懐の深さを誇って下さい、と言うと、お前は胸を張ることじゃないだろうと彼は呆れた。呆れつつも笑った。僕に打ち明けたことで胸の支えが取れたようだった。
「…って、バラしたところで何の解決にもなっていないんだけどな。…どうするよ、この荷物」
 やっぱ諦めて昔の雑誌とかは捨てるしかないかなーと呟いているが、このチャンスを逃す手はない。
「折角今まで保管しておいたものを捨ててしまうのは勿体無いですよ。あなたの成長した証しとしても、全部取っておくべきだと思います。
 …それに関しては、僕に良いアイディアがあります」
「何だ?」
「ルームシェアする部屋の割り当てですが、LDK部分は共同スペースで、他2部屋を一つずつ私室に、ということでしたよね?」
「そういうことにしていたな」
「それを少々変更いたしませんか?一部屋を本棚や収納ボックスを置いた、ウォークインクローゼットも兼ねた収納部屋に、もう一部屋を二人の寝室にです。リビングは十分な広さがありますし、寛いだりちょっとした仕事をしたりはそちらで可能です。また、今までの経験上寝室は特に分ける必要はないと思われます。僕に関しては、独りになれる私室は特に必要ありませんし、そうですね、万一喧嘩などして顔をつき合わせているのが苦痛であればその時だけは僕が収納部屋にこもりますよ。…如何です?」
 そうすれば、荷物は全部持って行ける。6畳を一間使えばこれくらいの荷物は十分収納可能だ。すぐにも引越し出来る。断腸の思いで取捨選択をしなくても良いし、僕としても、同じ家に居ながらにして顔が見えない寂しさを味わわなくてすむ。万々歳ではないか。
 ルームシェアに際して部屋を夫々に用意するを当然と2間ある物件を探したのは彼だ。親しき仲だからこそプライバシーは尊重しなければならないと。僕にしてみればそんなもの。彼あっての僕、彼が居てこその空間に自分だけの場所は不要で、いっそ四畳一間で良いとすら思っていた。ああ、トイレは共同でも風呂は必要だ。諸々のバリエーションの為に。
 自分が言い出したことを覆すのに抵抗があってか、私室のない不便を想像してか、はたまた物理的障壁を無くした僕の予想される暴挙を危ぶんでか、彼は暫し逡巡してみせたが、どうにも捨て難かったのだろう、山と詰まれた段ボール箱を一瞥し、吹っ切るように頷いた。
「…まあ、暫くはそれで様子を見よう」
 彼のその決心を号砲に、僕たちの共同生活は、ようやく幕を開けだのだった。


 あれだけあった彼の荷物が、いざ持ち込んでみれば、収納上手の彼の手際もあって意外にコンパクトに収まってしまい、「これなら私室を分けられるなぁ」などと呟かれたものだから、必死にそれを阻止すべく、要りもしない文学全集等、貯金をはたいて嵩張るものを買い漁り、今まで僅かだった僕の私物を一気に増やすハメになったのだが、それはまた、後日の話。









部屋の改装の為、プチ引越しをし、8畳一間を片付けるのに40箱からの荷物が出、3週間潰してヤんなった時に思い付いた話。散らかすのは古泉だけど、荷物の多いのはキョンだと思う、ということで。
でも昔からの荷物を捨てられないのは性格にもよりますが、20代までかな〜。だんだん、古いものに対する思い入れは薄れてくるし。りぼんの附録とか、アニメージュの附録とか、とうとう捨てましたよ。

ちなみに、キョンが家に置くことを許された収納ボックスの中には、捨てるに捨てられない、でも同棲先には持って行きたくない、古泉が寄越した手紙やら二人の思い出の品やらが入っています。