九月のうつつ・後編 古泉は既にベンチに座っていて思いつめた顔で前方を凝視していた。 綺麗な顔をしているよなとあらためて思う。 造形もさることながら醸し出す雰囲気が良い。表層に張り付いている笑い仮面はとりたてて褒めるところはないが、その下に垣間見える背負ってきたものの重さを練りこんだ真摯な何かにたまらなく引かれる。…って良く言うよな、こいつとの付き合いは大して長くないし(例の繰り返しはノーカンだ)、現実では深くもないってのに。惚れた欲目ってやつかね。ん?惚れたからそういう風に思えるのか?そう思ったから惚れたんでなく? 俺としては古泉の顔を眺めてあれこれ考えるのは飽きないし結構楽しいのだが、この時間はちょっと不自然じゃないか? 古泉は俺を呼びつけておいて、俺がちゃんと来たのを知っている。だが中々こちらを見ず、緊張した面持ちで硬直している。 「古泉?」 訝って声をかけると、ようやく古泉は立ち上がり俺を正面から見すえた。 こいつの、こんなに思いつめた顔を見るのは初めてだ。俺もつられて緊張する。 向けられた眼差しは、今まで見たことがないプライベートなにおいのするものだった。正確には現実には見たことがない、だな。夢の中では何度かある。 切羽詰った、思いつめた熱い視線だ。眉を八の字に歪め、頬を引きつらせ、形の良い唇を更に形良く開き、告白をした。 『好きです』 それはとても耳に心地良い甘い声で、入り込んだ耳の穴から脳髄まで溶けてしまうんじゃないかと思わせる…って、今、何かえらく鮮明に聞こえなかったか? 「僕はあなたが好きです」 何とあれ、目の前のハンサムが、夢想でなく実際にそう口にしていた。 「何だ、そりゃ」 思わず、間抜けな言葉が口をついて出る。 俺の返事が想定外だったのか、古泉は一瞬怯んで体を引く。だがすぐ体勢を立て直すと、誤解の余地のない言葉ではっきり告げた。 「僕はあなたに恋愛感情を持っていると言っているのです」 半ばやけばちの告白に、俺の頭はショートする。古泉が俺を好きだって?そんな馬鹿な。どこをどうしたらそんな感情が沸くってんだ?自分のことは棚に上げるが、5月からこっち、俺に腹を立てこそすれ、惚れるシチュエーションなどなかったぞ。 惚れた相手に、しかもかなりムリ目の同性に告白されるなんぞハルヒや未来人や宇宙人の存在よりよほどの怪異だ。こんな現実、あるはずがない。 「…これは、夢か?」 いつの間にか眠ってしまって、例の夢を見ているんじゃないだろうな。 途端に古泉の顔が曇った。 「やはり嫌でしたか?僕の告白をあなたは夢にしてしまいたいと?」 どうやら俺の狼狽を誤解したらしい。俺は慌ててフォローを試みる。 「違う…っ!」 「違う?どう違うのです?」 古泉は酷く傷付いた顔をしている。今にも消えてしまいそうな顔だ。そんな顔をするな。そんなつもりじゃない、夢にしたいわけでなく、むしろ…。 「俺は…、これが俺の見ている都合の良い夢じゃないかって思ったんだ」 「え?」 「常識的に考えてあり得んだろう、お前が俺を好きだなんて。けど俺はずっとそうなれば良いなと思っていた、だからこれは夢じゃないか、って…」 「…え、…ということは…」 その続きを俺たちは口にしなかった。しなくても見りゃ分かるだろ。自分でも分かる、俺の顔は晩夏の日差しによるものでない熱で真っ赤だったし、古泉も似たようなもので、肌が白い分、余計に映えて見えた。 ここ最近の意味不明な挙動は告白を控えたいたたまれなさだと分かれば腑に落ちる。 こいつ、俺のことが好きなんだ…、俺たちは両思いだったんだ。一体いつからだよ、全然気付かなかったぞ、こんちくしょう。 脳みそはなにやら目まぐるしく動いているが、体は瞼すら動かない。瞬き一つせず俺は古泉を見つめていた。古泉も同じで微動だにしない。 随分長い間、俺たちは硬直して見詰め合っていた。先に正気に戻ったのは古泉だった。 「あ、あのっ」 「あ?」 「ここでこうしていても何ですから、僕の家に行きませんか?」 「あ…、お、おう」 その意味するところを深く考えず、促されるまま古泉の後を付いて行った。 間が持たないのか古泉は、道すがら、いつもの雄弁さからはかけ離れた不器用な口調で、ぽつぽつと告白に至るまでの経緯を吐露した。 いつの間にか好きになっていたこと。受け入れられるはずのない秘めておくべき想いだと諦め、告白する気は最初はなかったこと。それが、例の夏の気が遠くなる繰り返しを経験して物事を帰結させることの重要さを痛感し、告白しようと思い直したこと。俺の日々の態度に背中を押された(つまり俺の古泉に対する恋慕がおぼろげにではあってもばれていたわけだ)こと。拒絶されるにしても最悪の事態にはなるまいと思いつつも踏ん切りがつかず、新学期に入ってからずっと機会を伺っていたこと、いざとなったら決心が揺らいで中々口に出来なかったこと等等。 古泉はつっかえつつも止め処なく話すので、また、照れ隠しにか俺の方を見ないで喋るので、俺は口を挟めずにいた。恥ずかしいからそれ以上言うなという思いと、もっと何か喋って、ともすれば何処かに飛んでいってしまいそうな浮ついた心を留めてくれという気持ちがせめぎあっている。 そうこうしているうちに古泉の家についた。大学生が一人暮らしに選びそうな二階建てのアパートで、間取りは1DK。適度に散らかって生活臭がした部屋だった。 「何か…、意外だな」 「この部屋ですか?どういったものを想像されてました?」 「いや、もっとこう…、広々としたロビーがあるセキュリティがしっかりしているデザイナーズマンションみたいなところかと思っていた」 想像というより夢の中で出てきた古泉の部屋がそんな感じだったんだ。 「涼宮さんが僕に対して思い描きそうなイメージですね」 …ハルヒのイメージか…、そう言われればそうかもしれん。あいつと感性が同じというのは少々気に入らんが。別に俺はハルヒが望む古泉を好きになったわけじゃない。多分な。夢で見た小洒落たモデルルームのような部屋より小さいちゃぶ台にノートや筆箱が乗っかっていて、部屋の隅には乱雑に畳んだ洗濯物があるこの部屋の方が俺の思う古泉に合っている。 物見高く部屋を見回していると、横から古泉の手が伸びてきて俺の顎をつかんだ。 いつの間にか古泉は俺の横に立ちもう片方の手を腰に回してきた。 「…こっ…!」 名前を言い切らぬうちに唇を塞がれた。初めから舌を差し込まれ半ばパニックに陥る。夢の中では行くとこまで行っちまった俺たちで、それこそディープキスなぞ挨拶くらいにしか感じない、舌を入れないキスなんぞキスじゃねーだろうという境地まで行き着いているが、現実では初キスだ。 初めてのキスはデートの後、満天の星空と月明かりの下で…などという乙女な夢は持っていないが告白したその日にディープキスというのは急ぎすぎという気がするがどうか。 口は喘ぎを漏らす隙すらないほどみっちり塞がれているので体で抵抗しようとするのだが、動けない。夢で何度も味わった、だが実際は初めての口内を蹂躙するぬめった舌の感覚に全身が麻痺していた。痺れていたのだ。 こんなに熱くて、柔らかくて、激しいものだったのか?夢精するほど感じていたはずだったのに、実際の感覚は夢を遥かに凌駕した。あまりに奥まで舌を差し込まれすぎて歯がぶつかり合い鼻の先が頬に埋まる。息が苦しい。 戸惑っているうちにシャツがはだけられ、古泉の骨ばった手が俺の肌にじかに触れてきた。 「ちょっ、ま…待てっ、古泉!」 流石にそれは不味い! 「何で止めるんです?」 「何でって…、今日告白されたばかりでお前」 「嫌ですか?」 「…嫌なんじゃなく…」 そんな悩ましい目で見るな!物事には順序ってもんがあるだろう!告白したその日になし崩し的にってのはどうかと思うぜ。急がば回れと先達も言っているだろうに。 「あなたを思い続けていた時間を考えると決して性急ではありませんよ。好きだと自覚してから程なく、僕はあなたを抱く妄想をするようになりました。夢の中で毎晩、あなたの服を脱がせ そこまで言われて正気でいられるわけがない。俺だって毎夜とは言わなくとも週に2,3回は古泉に抱かれる夢を見ていた。2ヶ月近く我慢していた。 抱かれるのが嫌なんじゃない、だが…。 いつの間にか上半身の着衣は床に落ちていた。手と舌であちこちまさぐる古泉を何とか引き剥がす。 「分かった、分かったからっ、その前にシャワーを貸せっ!」 逃げも隠れもしない、ただほんの少し準備させてくれ、炎天下で一日歩き回った体を惚れた相手の初めてに捧げたくはなかった。と、いうのに古泉はあっさりきっぱり首を横に振った。 「嫌です」 「…なっ…!」 「においも味も、そのままで僕に下さい。シャワーなんかで流さないで。 妄想の中、僕は何度もあなたを抱いた。でもどこに口付けても鼻を埋めても微かな体臭すらしませんでした。それがどれほど虚しいことか分かりますか?どうか、五感であなたを感じさせて下さい」 情欲を抑えもしない熱く潤んだ目で見つめられ、抵抗できるほどの理性も羞恥も持ち合わせていない。何かに吸い取られるように体から力が抜けて行くのが分かった。 べた付く肌に自分の鼻腔にすら汗の臭いが届く体で抱かれることに迷いがないわけはない。それでも、そうまでして欲しがられたことに興奮もした。 ままよ、どうにでもなれと四肢を投げ出す。後で後悔しても俺は知らん。 服を脱ぎ抱きしめてくる古泉の体はやはり汗の臭いがしたが、何故か甘ったるく鼻をくすぐった。これが惚れた効果だというのなら古泉にもその魔法が効いていることを祈ろう。 さっきの言葉を裏付けるように、古泉は臭いの強そうなとこばかりを執拗に攻め立てた。何が面白いんだか、まっ平らな胸をまさぐりつつ脇に鼻を埋めて深呼吸をし舌で舐め上げ甘噛みをする。 下半身の茂みに顔を寄せ、排泄の役目もするその器官を口に含まれ全身に電流が走る。夢では何度も経験した行為だったが、実際にされてみると強すぎる快感に頭が朦朧としてきた。 「あ…っ、そこ強…っ!やめ…っ」 我が事ながらぞっとする切ない声で、止めてくれと切れ切れの声で懇願しても言葉通りには取れまいと思っていると、案の定で、古泉は離すどころかよりいっそう強く腰を押さえつけてきた。 そりゃそうだ、俺のはしたない息子はすっかり勃ち上がっちまってるんだもんな。今止められても困る。火のついた体は収まりそうもない。 流石にケツの穴に唇を寄せられ舌を差し入れられた時は本気で抵抗したが 古泉はとにかくしつこかった。 絶倫とか、ましてや遅…などという不名誉な性質ではなく、一つ一つの動作に時間をかけたのだ。手と鼻と舌とでまるで何かを確かめるように俺の体中を辿ったのだ。 舌で嘗め回された後、長い指が更に奥を探ろうと差し入れられた時、初心者のくせに殆ど痛みはなかった。それどころか内壁を引っかくむず痒い感覚にしっかり感じてしまった。これはかなり恥ずかしいことでなかろうか。こんないやらしい体は本意ではなく、「お前、慣れてね?」と責任を古泉に押し付けると「いっぱい妄想しましたから」と笑われた。この変態、と返しかけたが妄想なら俺も負けちゃいない。何度夢で古泉に抱かれただろう。そのお陰で慣れているのだとしたらこの痴態の責任は俺にもあるということだ。 古泉の先端がいよいよ俺の中に入ってこようと宛がわれた時、初めての時に感じて良いはずの恐怖はなく、期待に体が震え、自然と四肢の力が抜けた。古泉が少しずつ体を埋めていくのに合わせて呼吸をし、挿入を助けた。夢で何度も抱かれているうちに憶えた呼吸で、初めてのヤツがするもんじゃねーだろ!と突っ込みを入れつつも、わざと呼吸を止めたり締め付けたりして「初めて」のフリをする とにかく俺は肉体的にも精神的にもいろいろ摂取過多に陥り終わったと同時に眠るように意識を飛ばしていた。 30分ほど経って目を覚ました時、まず目に入ったのは俺を見下ろす古泉の面妖な顔だった。いや、容姿は相変わらず思わず見惚れるようなハンサムだったがな、表情が複雑だった。これ以上なく幸せそうにも見えるし、酷く後悔しているようにも思える。泣きそうで苦しそうなのに喜び一杯にも見える。 「こいず…」 「すみません」 何を謝る?告白から一足飛びに抱いたことか?それはまあ、共同責任だろう。言うのも恥ずかしいが俺だって抱かれたかったさ。ただちょっとモラル的にどうかと思っただけで。 「好きになってしまって、すみません」 「はぁ?」 「僕が好きになってしまったから、あなたは僕を…。僕が好きにならなければあなたは、こんなことにはならなかったのに…」 何だそりゃ? 「俺はお前を好きなんだ。さっき言っただろうが。何を聞いている?お前に告白させる前から好きで、だからお前に言われて夢かと思って驚いたんだって」 「ですが…」 古泉は言おうか言うまいか苦悩している風だった。口を何度か開閉させ、眉を寄せて俯く。 「僕は…、僕は、その、あなたに暗示をかけていたんです」 部室で転寝している耳元に「あなたは古泉一樹が好きになる」とでも囁いたのか。 「そうではありません。具体的なことは、その、言えません。ただ僕は、あなたを好きになったと自覚してから、僕を好きになってくれるようにとずっと…」 顔を近づけたりウインクしたり息を吹きかけたりだの、あれか? 「いえ、もっとその…」 「なんだか知らないが、好きになったら相手に振り向いてもらおうとアプローチをかけるのは自然なことだろうが。自分の血を混ぜたチョコレートを食わせるとか、俺の髪を抜いて人形に仕込むとか、実害がありそうなものなら困るがな、態度や言葉で婉曲に伝えようとするのは普通だろう。 それに、なんだよ『すいません』って。お前、俺を見くびってないか?いくら暗示をかけられてもその気のない人間に効くかよ。催眠術だって嫌がっている人間はかからないって言うじゃないか。 俺は安っぽい暗示にはかからん。よしかかったとして、それは元からそういう気持ちがあったからだ。俺はお前がす…、好きだ。お前独りの問題じゃないだろうに」 決死の告白をしたというのに、目の前の男の顔は晴れない。超能力者じゃないんだから …いや、違うか、自信家なんじゃない、その逆だ。こいつは自分に自信がないんだ。俺に好かれる自信がない。逆なら分かるがこの容姿も頭脳も兼ねそろえた男が好かれるのに自信がないってどういうことだろうね。男同士って枷はあるが、それだって、ノンケの男が惚れちまうほど良い男だってのによ。 そういやこいつ、自分を根暗で疑り深い人間だって言ってたよな。…ん?ありゃ夢の中でだったか? そんなこいつの性格を、鬱陶しいと思うより可愛いと感じてしまう自分がいる。恋は盲目なんて使い古された格言だが、使われるだけの実績があるってことだろう。 「俺はお前が好きだよ。信じられないか?」 「あなたの気持ちを疑っているのだはありません。でも…」 「お前は俺を好きか?」 「好きです。そう何度も言いました」 何だ、その憮然とした顔は。俺の言葉は素直に受け止められないくせに、自分の言うことは真実だと言い張るんだな。とんだ頑固者だ。 「俺をどうしたいんだ?」 「…っ。…したいことは…、さっきしました」 セックスか。それだけか? 「俺はお前と恋人同士になりたい。いや、なったと思っている。お前はどうだ?」 何か俺、凄い恥ずかしい台詞を言っていないか?だがここで照れていてはいけない。何故だか俺は今、妹に何かを言い聞かせる時の兄の気分になっていた。先ほどまで俺を貪欲に求めてきた雄雄しい姿はなりを潜め、古泉はそれほど儚く小さく見えた。 うちのリアル妹は俺の言うことなんぞろくに聞かないがこいつは大人しく耳を傾けるしちゃんと考えている。 「僕も、そうなりたいと思いますし、今となってはあなたを手放すつもりはありません」 自分の欲求には素直なんだな、こいつ。 「じゃあ、とりあえずはそれで良いだろう。お前は俺を好きだし、俺も、お前が信じようが信じまいがお前を好きだ。疑いたいだけ疑え。信じられるまで言い続けてやるし、俺もお前から離れる気はない」 「…僕は呆れるほど疑り深いんです」 「良いさ。10年でも20年でもかけて信じさせてやる。お前、その前に俺を飽きるなよ」 「それは請け負います」 即答かよ!本当にお前ってやつは…、やっぱ自信家だよな。 苦笑すると古泉も笑った。 ひとしきり笑って、少し軽口も出て…、そのうちどういうわけだかまた怪しい雰囲気になって2ラウンド目に突入してしまったのはまた別の話だ。 晴れて恋人同士になった俺たちは、ハルヒたちの目を盗みつつ、暇さえあればくっつき合っている。 想いが通じ合ってからは例の夢はとんと見なくなった。 いや、夢自体は時々見るのだが、必ずSOS団全員で古泉だけと怪しい雰囲気になることはない。たまに軽いキスをすることはあるが、決まってそこまでだ。 「この続きは現実に会った時にいたしましょう」 悪戯っぽくウインクを寄越す古泉の言葉には全く同感だった。 −終− とりあえずこれで終わりー。 これ、思いついた時は「ヤるだけ三部作」と銘打っていたのですが、えっちにしてもストーリィにしても温いですね。まあこれが身の丈ということで(泣)。 |