七月の夢・後編 「どうしましたか、古泉、何か悩みでも?」 油断して吐いたため息を森さんに聞きとがめられる。 僕が提案したSOS団夏合宿企画を話し合う為の機関のグループ会議の終わった後のことだった。 孤島とメイドと執事、それから殺人事件の仕込みを話し合った。 「悩みなどありませんよ」 「あら、そう?」 目ざとい彼女は勿論それでは納得しない。そのまま白を切ることも考えたが、下手にかわすといつまでも目を付けられてしまう。 「…森さん、嘘も言い続けていると本当になるということはあるのでしょうかね」 「嘘?」 「ええ。当初は相手を騙す為に口にした偽りの気持ちだったのに、言っているうちに本気になってしまうということです」 「言葉には口にしたことを本当にする力があると言いますからね、十分に在り得ます」 言霊、か…。 「で?」 「…僕にとってSOS団も涼宮ハルヒのお守りも任務でした。「謎の転校生・古泉一樹」というのが僕に与えられた役です。百貨店の販売員並みにサービス精神に溢れるにこやかな態度と、大物俳優の付き人以上の滅私奉公が必要な、「仕事」なんですよ。 僕はSOS団の中ではいつも笑顔で礼儀正しい好青年ということになっていますけど、それは彼女に合わせて作られた姿で、森さんもご存知のように本当はかなりいい加減でひねくれた性格をしています。涼宮さんのイメージを保つために日々尽力していますが本当はパリっとした綿シャツよりユニクロのフリースの方が好きです。朝ドライヤーが手放せない髪型にするくらいなら似合わなくとも五分刈りが良いです。出不精で、外に出るより家にいて万年床に寝転びつつ本を読んでいる方が心が安らぎます。こんな畏まった口調も本来の僕のものではないんですよ。 はっきり言ってやってらんねーぜ、って感じ?」 「古泉」 「だと言うのに嫌でも僕は笑っていないといけない。冗談じゃないと思いつつ賛意を表さなければならないし、つまらないとため息を吐きたいのに楽しいと言わなければならない。 居もしないツチノコ探して楽しいわけないじゃん?ヤれもしない女の子とつるんでいても面白いわけないじゃん。なーにが不思議探索だってーの、毎回毎回貴重な休日に付き合わされる身にもなれって、ばっかばかしい」 「古泉っ!」 「…楽しいわけ、ないんですけどねー…」 「…古泉?」 ふー、と、遠慮なく大きな息を吐き、くたり、とテーブルに突っ伏した。 「…最近、楽しいんですよ…」 「………」 「僕の性格からして楽しいわけがないのに、楽しいんです。意味のない集団、意味のない探索、他愛ない会話に行事に企画、そんなものが楽しくて仕方がない…」 「楽しいなら良いじゃない。任務でも何でも楽しいに越したことはないわ」 森さんの声が優しくなり顔に微笑みが広がる。 「本当に楽しいんでしょうかね?」 「楽しいんじゃないの?」 「言っているうちに自己暗示をかけてしまったのではないかと訝っているんですよ。楽しくないのに楽しい気になっている。自分に騙されているのでは?と」 「難儀な子ね」 森さんは面白そうに笑った。 「暗示というのはかかる側にも資質がいるのよ。あなたみたいに猜疑心が強い子がそんな簡単にかかるものじゃないでしょう。そう感じたのならあなたは間違いなく楽しいのよ。 それに、言葉にしたということは気付いていなくとも心の何処かでその気持ちはあるものなのよ」 「思ってもいない言葉でも?」 「本当に思ってもいないことは口に出せないものよ」 頭と、心と、言葉、一番鈍感なのは存外頭だと言う。処理能力が高すぎて、全てを受け入れていたらパンクしてしまう、心の深層はあえて見過ごしているのだと。口にして初めて気付く思いなんていくらでもある、と。 「あなたは楽しいのよ、古泉。それで良いのよ」 「…楽しいんですか…」 複雑な思いを抱え考え込む僕に森さんはしたり顔で優しく頷いた。 普段は年不相応に大人びた子供の他愛ない悩みを微笑ましく感じているという風情だ。子ども扱いされたことをやや忌々しく感じつつも、これ以上話を広げさせたくはなかったので「もう少し考えてみます」と言い別れた。どうやら上手く誤魔化せたようだ。 森さんに言ったことはまるきり嘘というわけではない。ただ、そもそものパーツが違うのだ。 義務感しか感じていなかったSOS団活動が楽しく思えるようになっていたのは事実。でもそのことについては悩んではいない。僕は快楽に忠実な質なので、例えまやかしがかった集団活動であれ一旦楽しいと思ってから団の活動には積極的だった。 悩んでいるのは彼のことだ。 あれから立て続けに二度、涼宮さんの夢に呼ばれた。細部は違えどいずれも海を舞台にした夏合宿の夢で、よほど涼宮さんはみんなで海に行きたいのだと思わせた。 一度は宴会の夢。未成年だというのにしこたまアルコールを摂取し、酔って全員がハイになった。二回目は一転して孤島で、人が一人また一人と消えて行く、ホラーかミステリのような夢だった。解決する前に目覚めたのでどんな落ちだったのか分からない。これは是非合宿に組み込んで解決編をするべきだろう。 シチュエーションは二度とも違っていたというのに二度とも僕は彼を抱いた。前の時を引きずってか、彼はすっかり秘密の恋人気取りだったし、僕も否定はしなかった。だからと言って抱く必要はどこにもなかった。短い夢の中、そうそう時間はなかったのだから。 ただ最初の時、最後の最後でバタバタし、きちんと終われなかったのが心残りと言えば心残りで、どうにか隙を作って彼を誘った。一度はトイレに行った彼を追いかけ個室で立ったままでだ。 「おま…、やめ…っ!」 「好きです…」 彼の抗議は全てその言葉で封じた。 夢の中で、一体僕は何度その言葉を口にしただろう。 初めは彼に対する暗示と口封じの為の言葉だったというのに、いつしか僕にも降りしきり、胸を埋め尽くしていた。 好きだ、好き、好き、僕は、彼が好きだ。 初めは真っ赤な嘘のはずだったその言葉は、何度も言い続けるうちに、今では揺るぎ無い真実として居座ってしまっていた。 森さんに相談したのはこれだ。 偽りの気持ちだったのに何度も言ううち本当になってしまっていた。 対する森さんのアドバイスは、本当の悩みに沿って言い換えると、僕は元々彼が好きという気持ちを持っていて、だからその言葉を口にして、そして口にしたことからその気持ちを頭が理解した、ということ。 僕は、彼が好き。 そんなバカな、と、理性の一角が抗議する。 あんな何の取り柄もない人(でもこれだけ個性的な人たちに囲まれてありのままでいられるというのはとても強靱な精神を持っているということではないか)。 容姿は平凡だし(目がとても澄んでいるし、媚びたところがないのも良い)、無責任な言動で涼宮さんを怒らせ迷惑ばかりかけて(あんな強烈な人相手に怯まないなんて凄い)、第一男じゃないか(それが?)。 …ああ、ダメだ、恋は何て役立たずなんだ。いや、恋の前には他の全てが役立たずなのか。何をどう考えても全て彼の美点にすり替えてしまう。 『それで良いのよ』 ちっとも良くない。 目頭が熱くなってきた。 僕と彼が恋人同士なのは涼宮さんの夢の中でだけだ。現実の僕と彼はただの友人同士…下手をするとそれ以下の存在だ。僕がそう思っていたように。 夢の中での不埒な関係を彼は憶えているのかいないのか。顔を近付けると嫌な顔をして離れようとする。それは以前からだが最近はより大げさな気がする。それが夢を憶えていての行為か、いない上での行為かは分からないけれど少なくとも本当の彼は僕を好きではない。 涙が零れた。 僕は彼が好きだ。夢でも現実でも。 彼も僕が好き。ただし、夢の中でだけ。 涼宮さんの夢の中でだけ、僕たちは仮初めの恋人同士だった。 ぽろぽろと涙は留まることを知らない。 夢の中でしか想い合えないなんて何て虚しい。 それでも、夢の中だけでも彼と抱き合いたい。その想いがまた、虚しさを深くした。 −「8月の夢」に続く(予定)− 2シーンほどざっくり削ったら短くなってしまった(笑)。次は10月の半ばまでには…。 |