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2:夢を喰らう獏 10年目のことだった。 僕たちが、涼宮さんから力を与えられてきっかり10年。僕たちの力は、鍋の底に突然穴が開き水がこぼれるように、僕たちの体の中から流れ落ちて行った。イメージとしては漏斗に入れた細かい砂粒だ。さらさらと音を立て見る間に減っていく形無き至宝を、僕は、僕たちはなすすべなくただ呆然と眺めているだけだった。 僕たちの力はなくなったけれども、大元の涼宮さんの力は厳密な意味では健在だった。 “厳密な意味では”。 涼宮さんの力は消えていない。けれども、彼女の意志でその力を使うことは出来なくなった。強いられたわけでも、仕組まれたわけでもない。彼女自身がそう決めた。 涼宮さんの力を譲り受けたのは大いなる存在の一派だった。情報統合思念体の一派であるとも、分派であるとも、その全てであるとも全く別のものであるとも言えるその存在は、涼宮さんのものであった力を正しく使うかもしれないし使わないかもしれない。在り方が人の理解を超越しすぎていて、ただ人たる僕たちのみならず、はるか高次元に在る朝比奈さんたち未来人でも判断出来ないということだった。 ともあれ、涼宮さんの力は涼宮さんの意志で正式に移譲された。ただその力はまだ涼宮さんと細い糸で繋がっており、いつ何時、某国の独裁者並の横暴で返還を強行されるか分からない、ということだった。 涼宮さんの力がどうあれ、僕たちの力は戻らない…少なくとも同じ有り様で戻ってくることはないだろうと、僕たちはなんとなく分かっていたのだけれど。 ただの男の子に戻ってしまったのですよと冗談ごかして報告すると、いつもの独特の皮肉めいた口調で切り返して欲しかったのに、彼は優しく笑った。 「おつかれさん」 しみ入る声で労われ、不覚にも涙ぐみそうになり、続いてぽんぽんと優しく頭を叩かれ、笑ってしまった。 「あなたたちはやっぱり似ていますね」 「俺と誰が?」 「涼宮さんですよ。…ああ、そう嫌そうな顔をしないで。力が体から抜けきる最後の時に、涼宮さんの意識が僕たちに触れて行かれたのです。今のあなたのように優しく頭を撫でて「お疲れさま」と労りの言葉をかけてくださいました」 「勝手なヤツだな」 さらに顔を歪めるいつもの彼に安心する。この人の、どんな顔も仕草も好きだったけれども、イレギュラーな態度に出られてしまっては僕もまた揺らいでしまう。多少のときめきなら潤いとなっても気持ちが不安定な今、過度の刺激を与えられては心に余計な風穴が空き折角今まで苦労して閉じ込めていたものが溢れてしまう。それは断固として避けたかった。 「でも僕たちは嬉しかったですよ。持っていたものが奪われるのは確かに消失感を伴う悲劇です。ですが達成感はあります。僕たちは見事世界を守り通せたのだという。誰に知られなくともかまわない、僕たちは間違いなく成し遂げたのだということは僕たち自身が分かっています。それでも涼宮さんの言葉は誰に与えられるより確とした証です。ヒーローになれる舞台を失ったことは残念に思わないと言えば嘘になりますが、それも力からの解放、今の平和があってこそです。ゴールを約束されない戦いを強いられ続けたとしたらそちらの方がよほどの悲劇で、能力者たちの神経は遠からぬうちに侵されていたことでしょう。涼宮さんは僕たちに解放と誇りをくださいました」 そもそもの根源は涼宮さんなのだと指摘されれば確かにその通りだけれども、力の発現は涼宮さんの意図ではなくそれに伴う閉鎖空間及び能力者たちの誕生は拙いとは言え当時の彼女の精一杯の対策だった。どうして責められよう。 一時は神と奉った少女に、そして今では姉のごとく愛しいかけがえのない友に真っ直ぐな謝意を向けられ嬉しくないほど僕はひねく者ではない。 「おめでたいやつだ」とせせら笑ったがただの偽悪だ。彼は僕たちのことを誰よりも良く分かっている。 あの力は涼宮さんにとって金塊だったのだろうか、ただの重石だったのだろうか。力を手放した直後、涼宮さんは渡欧を決めた。足枷が外れたから飛んだのだと言う人もいたが、実際は逆で、飛ぶと決めたから手放したのだと僕は踏んでいる。 涼宮さんは最後まで、少なくとも顕在的には自分の力について何も知らないままだった。 壮行会の翌日、偶然、街中で涼宮さんに会った。昨日の今日で少し照れ臭かったがお互い用事は済んでいたのでお茶でも飲みましょうと近くのカフェに腰を落ち着けた。 涼宮さんの力がなくなったからと言って、僕の涼宮さんに対する態度は変わらなかった。もう世界の崩壊を恐れて彼女の機嫌を損ねないよう従う必要はなくなっても、長年染み着いた下僕体質はそう簡単には抜けるものではなく、涼宮さん自身も出会った頃に比べて随分と常識的になったこともあって相変わらずのイエスマンだった。 「確かにイエスマンだけどな」 彼は面白そうに顔をにやつかせた。 「昔と違ってお前、結構コントロールしているぜ。Aという案が出されても『流石です涼宮さん。ですがここはもう一声工夫してBは如何でしょう?』てな具合にハルヒの暴走をハルヒが気に入る範囲で俺たちにも都合が良いように修正しているだろう?昔はどんな無茶振りもそのまま受け入れて身動き取れなくなったりストレス溜めていたりもしたのにな」 成長したよなと言われて妙に嬉しくなった。 ただそれで言うなら僕だけでなく涼宮さんもだ。 昔は自分の要求を闇雲に押しつけて来るだけだったけれども、最近では僕に出来そうなことと到底無理なことを考えて要求してくれている。…少々過大評価されているきらいはあるけれども。 兎に角、昔ほど無茶はしない。大人になったなと思う。大人になったからこそ。 「出発準備は終わられましたか?」 「まあ、ぼちぼちってとこね。完璧に準備したつもりでも後から後からやることが出てきちゃって嫌になっちゃうわ」 言葉とは裏腹に全身喜色で染まっていた。 未知なるものへの期待を胸一杯に抱いた涼宮さんはいつに増して輝いていた。新天地に対する不安はまるでない、その、己の歩みと決断に一陣の迷いもない様は、ただひたすら眩しかった。 昨日みんなで騒いだ反動か、気詰まりでない沈黙がしばしば訪れる。涼宮さんは残り少ない日本での日々を五感全てで取り込もうとしているようだった。 「良い街よね、此処」 やおら呟く。口元には彼女にしては珍しい柔らかい穏やかな笑みが広がっていた。 「昔は嫌いだったんだけどね。ううん、本当に嫌いだったわけじゃないの。ただあの頃は世界の大きさに比べて自分を取り巻く環境、行動半径の狭さに絶望して、自分の未熟さから外に出られないのをこの街に縛り付けられていると勘違いして…うん、勘違いだと本当は気付いていても気付かないふりをして、八つ当たりしていただけなのよね。 本当は好きよ。観光の目玉となるような名所はないし世界に誇れる特産もないけど、適度に都会で適度に田舎で、人情もあったりなかったりで。一言で言えば中庸なんだけどね、だからこそ自分が行動することでいくらでも変えることが出来る柔軟性があるわけよね。涼宮ハルヒ伝説の第一歩にするには相応しい街だったと思うわ」 最後の一言には僅かばかりの照れがあった。己を俯瞰することが出来るようになり過去のあれやこれやを思い出し、色々と思うことがあるのだろう。 「古泉くん、あたしね、この街を何度も壊したことがあの」 不意打ちを食らい、表情を取り繕えなかった。まさか涼宮さん、全てを分かっていて僕たちに隠していたのでは…と怪しんだのがまともに顔に出たのだろう。涼宮さんは苦笑いをし手を振った。 「違う違う。本当に器物破損したりしたわけじゃないわよ?夢の中でね、壊したの。地上数十メートルの怪物になってビルをなぎ倒して信号機を踏んづけたわ。生き物の居ない世界だったけどね、建物は片っ端から滅茶苦茶にしまくったの。…そういう夢、何度も見た。決まってむしゃくしゃしてイヤなことがあった日だったけどね。街を壊せば新しい何かが生まれて、その新しい環境でならあたしのこのイライラもなくなるんだって思いたかったのかもね」 心臓が早鐘のように打った。では涼宮さんは閉鎖空間とその有り様をちゃんと認識していたのだ。夢だと思って、ではあったけれども。 だとしたら、あちらの閉鎖空間も認識していたのだろうか。どう認識していたのだろうか。むくむくと好奇心が涌き上がる。 「…僕にも経験ありますよ、そういう夢。でも僕は無機質な街でなく、美しい山野を破壊しました」 「あー!私もあるわ!」 誘導尋問のようなものだったが涼宮さんはあっさり釣られた。 「とっても綺麗な色とりどりの花畑を破壊しまくるの」 「やはり嫌なことがあった日にですか?」 「…いえ、違うわね。古泉くんはどうなの?」 「僕ですか?そうですね…、嫌なことがあったら…というより信じられない良いことが起こった時に頬をつねるあの感じかもしれませんね。身の丈に合わない幸せなことがあって、幸せすぎて怖い時にそういう夢を良く見た気がします」 「古泉くんって、幸福慣れしていないのねー」 涼宮さんの気持ちをなぞってみたつもりだったが今度は外れたようだ。半ば感心したような呆れ声だった。 「あたしは…、うん、あたしも幸せなことが起こった時だったわね。でも、信じられなくてとか幸せすぎて怖いとかでなく、『この幸せにしがみついちゃいけない』と思ったからかな。ずっとこのままで居たいと思うあたしを叱りつけるイメージで壊していた気がする」 「………」 その考え方はなかった。でも良く考えてみればそれはとても涼宮さんらしい。気に入ったものを壊してまで先に進もうとするややこしい性格も、方法論として正しいかはさておき、兎に角前を見つめる性質も。 あの花畑を破壊する神人を僕は哀しい思いで眺めていた。いつもの閉鎖空間では涼宮さんの怒りが感じられたのに、この閉鎖空間は悲痛な叫びを感じる、と。 あれは僕の都合の良い勘違いだったのだろう。 「でももうあんな夢は見ないわ」 「どうしてです?」 あまりにもきっぱり告げられたので、つい問い返した。涼宮さんは手にしていたティーフロートをテーブルに置き、遠く未来を見上げた。 「何遍壊しても、何度だってよみがえるのが分かったから。いくら壊しても世界は決してなくならない。幾らでも再生するの」 「壊しても無駄だということですか?」 「違う違う。壊せないの。絶対に。だから、止めたの」 また涼宮さんは照れくさそうに笑う。 「本当は最初っから分かっていたのよね。絶対壊せないものだって。でもどこか疑っていて、もしかして本当は壊れてしまうんじゃないかしらって怯えていて、だから試したのよ、散々。…でももう良いの。もう絶対壊せないんだって納得したから。だからもう、あの夢は見ないのよ」 勝手なことを言う…と、あの異常な世界を経験し闘ってきた身として思わないでもない。壊れないと分かっていて壊そうとしていたことを知らず命がけで闘っていた僕たちの、歳月をかけたくたびれ損だったというわけか。…と、憤るべきなのかもしれない。けれども少なくとも僕は、達成感の方が強かった。涼宮さんが“分かっていた”というのならギリギリのバランスであったとして能力者達は必ず勝つ力を持っていたに違いない。その中で、涼宮さんが納得するまで戦い抜けたということは間違いなく勝利だった。能力者達はじめ機関の物語としては最高の結末ではなかろうか。 能力が無くなってあの頃を懐かしく思い出せるようになった今だから、そう、冷静に思うことが出来た。 「案外壊れないものよ」 本当にそうですねと反射的に相づちを打とうとして涼宮さんの目がまっすぐこちらを向いていて狼狽える。 「壊すつもりでぶつかっていけば良いと思うわよ、古泉くんも」 「………」 まっすぐな訳知り顔で断言され、今後こそ本当に絶句する。涼宮さんはこの上なく楽しそうに笑っている。 なんのことですか、そうとぼけてみたかったけれども、それで本当に核心をつかれたら何を口走るか分からない。引きつった微笑みで誤魔化すと、ここ数年ですっかり丸くなった涼宮さんはお優しいことに、それ以上の追求はしないでくれた。 「頑張んなさい!」 帰り際、背中を一つ叩かれた。力が強く手加減もしない涼宮さんだったけれども、僕の背中を押すには十分な力とは言えなかった。 次へ |