ターニングポイント




 朝食時の習慣で新聞のチェックをしていたところ、目に入った折込ちらしでその時期が来たことを知る。
「もう五年経ったか…」
 感慨深く呟くと、マグカップ二つ分のコーヒーを手にした古泉が俺の手元を覗き込み苦笑した。
「そんなものを見ないと思い出せないんですか。相変わらず薄情な人ですよね、あなたは」
 記念日とか気にしない質なんでな。
「それにしても拘らなさすぎですよ。スーパーの創業祭で思い出して良いことじゃないでしょう」
「丁度オープンしたてだったじゃないか。でっかいスーパーだったからお祭り騒ぎで、にぎやかな人いきれと己の心情とのギャップに戸惑ったから良く憶えているんだよ」
「にしてもねぇ。どうせなら季節の移ろいや世界情勢とリンクさせてくださればよかったのに」
「そういうの、なかったじゃないか」
 あの頃には。
 あの日から、もうじき五年が経とうとしていた。




 この先どんな人生を歩もうがあれほど大変で、慌しくも楽しかった時代はないと断言できる高校の三年を経て、様様な試行錯誤と実験ののち、人外多勢力によるハルヒの力の“最適化”が実行されたのはSOS団の五人が揃いも揃って地元の同じ大学に進学してから二年が経った頃だった。
 …そこ。「全員が同じ大学に入れるわけがないだろう、主に学力の面で」等と失礼な突っ込みをしないように。
 大学という集合体は高校とは比べ物にならないくらい規模がでかくあらゆる許容範囲が広い。その懐の広さは大学によって異なるが、俺たち…ハルヒが選んだ学び舎は偏差値において最高ランクの学部と最低ランクのそれでとは二十以上の差があったんだよ。それ以上深くは追求してくれるな。
 とにかく俺たちは同じキャンパスに集い、ただ、選んだ学部の差から少しずつ一緒に過ごす時間は減り、それでもSOS団としての課外活動及び未来人だの宇宙人だのによる干渉は日常的に行われていた。
 ハルヒは二十歳を越えたあたりからめっきり丸くなり、まあそれでもそれまで人の千倍破天荒で迷惑な女だったところが百倍になった程度なのだが、力の発現や閉鎖空間の出現は数が減り、その代わり、ひとたび発現すると治めるに一筋縄ではいかないややこしいものになっていた。あの力は一人の人間が持つものではないということが、あらゆる勢力において共通する認識となり、寄り坐しさえあれば移譲可能であると判明して来、いかにして効率良くかつ効果的に何ぞかに移すかが模索されていた。…らしい。
 「らしい」と言うのは俺には全く事前に知らされていなかったからだ。
 この件に関しては、俺達現代人は全く無力だったからだ。力が在ること、移譲可能なことは分かっても実行する力は現代の人間にはない。その人類の中でもさらに特出する力のない俺は完全に蚊帳の外で、全てが終わってから初めて、報告を受けた。
 当事者だった長門、規定事項だったという朝比奈さんは、静かにそれを受け入れた。
 朝比奈さんに至っては、それがこの時代で回収しなければならない最後のフラグだったそうで、肩の荷が下りたというほっとした表情をしていた。その数ヵ月後、朝比奈さんは未来に帰ることになるのだが、その日が近づくにつれ顔を曇らせしまいには家出の真似事までして逆にハルヒに窘められるという不安定さを露呈させていらしたが、少なくともその時は達成感と安堵で顔を輝かせていらした。
 ハルヒは…、ハルヒは、変わるはずがない。てめぇの力のことは最後まで、これっぽっちも知らなかったからな。
 ただ、たまたまかもしれんが力が消えた直後、「何だか今日はいつもより体が軽いわ。背負わされていた重荷が下ろされたような気がする」と言っていたので、あいつなりに感じるところはあったのかもしれない。
 古泉に会ったのは半日後だった。
 避けていたとか、後回しにしたとかいうわけではない。…見つからなかったのだ。
 その瞬間を人伝に知った俺と違い、あいつは自分自身で感じたはずだ。だが俺たち誰の前にも現れなかった。機関内部が混乱していて対策に追われているのだろうと勝手に推測していたのだが、後で聞くと能力者たちはこの計画を事前に知らされてはいなかったらしく、いきなり拠所を失い呆然としていたらしい。
 古泉の居場所に心当たりはありませんかと森さんから電話で問われて初めて、俺は思い付く場所に足を運んだ。携帯は当然ながら電源が入っていなかった。
 以前、偶然古泉を見つけた“独りになりたい時は此処に来る”という研究棟中ほどの踊り場脇にある貯水タンクの陰、本来は立ち入り禁止らしいが元々そんな警告はしなくとも人が寄り付くような場所ではないからか張り紙もなければ鍵すらかかっていない、広大な大学においてはそこら中に点在している“穴場”の一つだった。
 はたして、古泉はそこに居た。
 コンクリートの壁を背に足を投げ出し座し、ぼうっと空を眺めていた。
 目は虚ろだったが死んでいるのではなく風のない日の湖面みたいなもんだ。風を送ればすぐに波立つ。
「よぉ、古泉」
 声をかけると古泉は、首を傾げるようにしてゆっくりとこちらを見て目だけで挨拶を返した。
「ハルヒの力、なくなったんだってな?」
 それに伴い古泉たちの力も引き上げられたと聞いた。古泉がどういう気持ちでいるかは計れなかったが、俺を拒絶する雰囲気は感じられなかった。むしろ何となく人恋しげな気配だったので、隣に越を下ろす。
 古泉と同じようなポーズで、千切れ雲が疎らに漂う晴天を仰ぎ見る。
 俺自身もまだ気持ちの整理がついていなかった。長門や朝比奈さんや古泉のように、だからと言って己の生活、今後の人生に影響が出る当事者ではなかったが、ハルヒの力に振り回され人とは違う経験をしてきた身だ、喪失感を味わうくらいの贅沢は許されるだろう。
 これから、俺たちを取り巻く環境は大きく変わる。人がバカげた力を持たぬ世界の方が正常なのだろうが、時化しか知らぬ海を航海し続けた船にとって、凪は決して平穏とイコールではない。恐怖を伴う予感をストレートに受け入れる準備はまだ出来ておらず、わざと神経を麻痺させ、深く考えないようにしていた。
「…で?お前これからどうするんだ?」
 だからそれは、何の気なしに口をついて出た言葉だ。箒を持ったおっさんが道行く人に「おでかけですか」と問う程度の意味しかない。
 古泉は、今問われてもそこまで頭が回るか、を、小さく肩をすくめることで上品に表現した。
 どうしましょうかねぇ、と、口の中で呟いて心を空に飛ばす。
 飛ばした心を手繰りきらないまま俺を見て、消去法で回答を見出した不出来な初学生のように息を吐いた。
「付き合っちゃいましょうか、僕たち」
 非常に残念なことに、それがどういう意味か、俺にはすぐに分かった。半ばやけばちではあるが冗談などではないこともな。
 いわゆる恋人関係締結の提案だったが、古泉がその時まで俺をそういう対象として見ていたかと問われれば否と答える。俺に対して恋愛感情を持ち、だがハルヒの手前古泉自身の定めた方針   世界を安定させる為俺とハルヒをくっつけるという   に縛られ己を律してきたが、ハルヒの力が失われた今そんな遠慮は不要となり行動に至ったのだ、とはとても思えなかった。
 きっぱり、自暴自棄だ。
 人間、何らかの目標を持ち道をひた歩んでいて、その目標、心の拠所を失った時、気持ちの切り替えができずこれまでの全人生を否定された気がして喪失感から破滅の道を選び、わざと地雷を踏みに行くものがいる。古泉はそのタイプだった。
 自棄食い、自棄酒ならぬ自棄恋愛。今まで散々てめぇを振り回してきたハルヒに対する意匠返しの意味も込めその選択をした。
 ただそういう選択は概念が不在ではなし得ない。
 古泉は俺を恋愛対象として考えたことがあるというわけだ。考えるというより思いついたレベルかもしれん。とにかく、俺との恋愛関係を想像し、“その関係は在り得ない”と退けたことはあったわけだ。
 古泉がそういう想像に至ったのは多分俺の所為だ。
 俺の方が古泉に惚れていた、とかいうわけじゃないぞ。古泉のことをそういう意味で意識したことはない。いや、なかったと思っている。
 ただ、俺の、古泉を見る目はある日を境にがらりと変わっていた。
 あの日…、決して忘れることのない高二の春。ハルヒの力が移譲可能だと初めて知らされることになった衝撃的な事件が起こった。
 その過程で俺は、“敵”方の超能力者である橘京子から「機関は古泉が一から作り上げ運営している組織なのだ」という、これまたショッキングな話を聞いた。その妄言をあっさり信じたわけではなかった。むしろ、俺を混乱させる為にヤツらがでっち上げた架空の爆弾だったと判断したのだが、その発言は俺が抱いていた古泉像を大きく変えた。
 それまで俺にとって古泉は胡散臭い組織に中途半端に調教された下っ端エージェントだった。
 与えられた力ゆえ、ハルヒにも機関にもいいようにこき使われるしがない中間管理職だ。
 古泉に対する俺の評価はそう高くなかった。無責任な羨望の対象であった場所限定の超能力は、生得的なものでもなければ何らかの基準に従った選定により賜ったものでもない、完全なアトランダムで古泉自身の資質とは何ら関係がなかった。見合いの釣書になら有利に働くであろうルックスと頭の出来は男の俺にとって嫉妬の的になることはあっても何の魅力はなく、時々剥がれ落ちた仮面は心の脆さを、冗長な説明,的外れの推理,ボードゲームの弱さは、いわゆる学力はあっても本当の意味での頭の良さは持ち合わせていないと思わせた。
 それが、橘京子の爆弾発言を聞いた後は、古泉の仕草、言動、まとう雰囲気全てが計算されつくした策謀家のそれに見えるようになってしまったのだ。
 作りすぎたニヤケ面、煩すぎる推論、仮面の下から覗く本音、それら全てが強固たる意志の下創られた擬態に見えるようになった。
 そういう男に対し、未だヒーローへの憧れが抜けきれない、中二病に片足を突っ込んだままのガキが抱く気持ちと言えば「格好良い」だ。表面的には口にしないし、そう思ったことを認めたくもなかったが、確かに俺は古泉を格好良いと思うようになった。そしてその気持ちを増幅させたのが、九曜と対峙した時の言葉だ。

「地球人をあまりなめないでいただきたいですね」
 双眸に、当事者不在で話を進めようとする天上人への怒りと、この地この時代を愛し全力で保とうとする地球人の誇りを宿していた。
 はったりでも無知でもないのにあの場でそう言い切れる古泉に見惚れた。心が震えた。
 とは言えその時の俺の気持ちは愛だの恋だのというものではない。同性に対する憧れだ。少なくともその時はそう信じていた。人として古泉という男に、一目置き惚れたのだ。
 できあがっちまった今から振り返っても、気付いていない秘めた想いがあったとは思えない。だが、真空に静止するピンポン玉のように、僅かな力でも加わればどの方向にでも一直線に進む、そういう、いかようにでも成る想いがあったことは確かだ。
 軽微な外的干渉で愛情に変わるような憧憬など他人が見て区別できるものではない。ゆえに古泉は、深層意識下で俺の気持ちを誤解した。誤解したからといってどうこうするつもりはない。他人に懸想されることに慣れたあいつは、何事もなかったように無視を決め込んだ。だが、そういう感情が存在する(という誤解)に気付いてしまったのだろう。
 気付いたところで恋愛に発展させる気などどこにもない。ハルヒの手前という複雑な葛藤すらなく、純粋に、古泉にはそういう感情はなかったから、選ぶはずもなかったのだ。
 これまでの人生を否定されやけっぱちになった…でもなけりゃ、な。
 どうせ人生ひっくり返ったんだ、落ちるところまで落ちてやる、そういう目を古泉はしていた。

「本気で言ってんのかよ?」
 煮詰めた飴色の瞳をまじと見て問い返した。冗談は止せという警告ではなく、今ならまだ引き返せるぞという忠告を込めて。
 その時の古泉にとって、唯一のストッパーは俺の拒否だった。俺が突っ撥ねれば古泉はあっさりと引いたはずだ。だが俺はやはり自棄と、それと同量の好奇心から古泉の深遠を無防備に覗き込んでしまった。
 古泉はふと笑うとそのまま顔を近付けキスをした。舌こそ入れられなかったが、唇全体を舐るようなねっとりとした口付けだった。



 ハルヒの力の消滅に起因するどたばたは少なからずあったが、どれも事後処理で、かまけなければならないほどのことはなく、むしろ時間的に余裕ができた俺たちの“交際”は静かに滑り出していた。
 口付けを契約代わりに関係が始まってから一週間後、丁度古泉の誕生日にあたる日に俺は古泉の部屋を訪れ、そして、初体験を迎えた。
 付き合うとはつまりそういうことだ、と、感情より己の定めた理に則って行動する融通の利かない頑固者は、性欲でなく理路に従い俺の体に触れた。「だって、性交渉がなければ男同士の付き合いなんて友情と同じじゃないですか」と、さも当然そうに言い。
「まだ『好き』とかそういうの、なくて良いですよね?」
 服を脱がしながら念を押した。役場の出納窓口の職員が、提出書類の名前を確認するような事務的なもので、ああ、こいつ本当に俺に恋愛感情なんてこれっぽっちも持ってないんだなと再認識させられた。
 俺としても古泉対する気持ちに名前などなく、名付ける気もなく、状況に流されているだけだったので愛の言葉など囁かれても待て余したに違いないから不満はなかった。
 そんな状態でありながら、俺も古泉もその日のうちにしっかりイき、あまつさえ、多少のチャレンジ精神と苦行は伴ったが最後までいたしてしまったのだからとんだ変態だ。
 ただし、恋人と一つになれた満足感なんて甘いものは一切感じず、試行錯誤の末コトを成し遂げたスポーツ的達成感を覚えただけだったが。

 十代の恋人同士とはそういうものだという古泉の内なる定約のもと、暇さえあれば二人一緒にすごし、隙あらば、場所を考えず行動に移した。開放的をウリにする昨今の図書館でもディープな口付けを交わすのに十分な死角はあると知ったのもこの頃だ。
 そんな俺たちが、本当の意味で恋人同士になったのは…、…いつ頃だっだろうな?これと思い立つ切っ掛けはない。どちらが先に深みにハマったのかも定かではない。だが大学を卒業する頃には互いの両親に心の中で詫び、それでも己の気持ちに嘘は吐けないからと、共に生きる覚悟を決め、一緒に暮らす場所を探すのに何の躊躇いもなかった。
 俺も古泉も、だ。


「こんな日に何ですが、今日はちょっとでかけてきます」
 折角休日と重なったのに悔しいですが、と盛大なため息を吐くので笑ってしまう。
 デートか?と軽口を叩くと、たとえ冗談でも恋人から聞きたい言葉ではありませんねと本気で諌められた。
「新川さんが所用でこちらにいらっしゃるということで、急遽、元機関の有志で集まろうということになりまして」
 そりゃいい。お前、腹を割って付き合える友だちが少ないもんな。精々楽しんで来い。
「未だにあの中では僕は最年少ですから、楽しむよりおちょくられて楽しまれて終わりでしょうが」
 そうは言っても古泉の顔は懐かしい盟友に会える喜びに輝いていた。
 最年少。当時、最年少だった古泉は今でも元機関の中では最年少でいたぶられる立場だ。
 …古泉の言を信じれば、だが。
 俺の表情を読んだのだろう、古泉はすまなさそうに肩を竦める。
「何度も申しましたが、僕は本当に下っ端構成員ですよ。橘京子に何を吹き込まれたのか存じませんが機関の創始者だなんてとんでもない。機関が生まれた時、僕はまだ十三ですよ?そんな子供に一体何が出来るというのです?」
 隠し事が必要なくなるほど深い仲となった頃、ずっと胸の内に引っかかっていた疑問をぶつけた。
 こんな話を聞いたのだが真偽の程は?と。
 古泉は驚いて首を横に振った。
 嘘を吐いているようには見えなかったし、その頃には俺は古泉の薄っぺらい仮面の下くらい簡単に見抜けるようになっていたのでその言葉に裏はないと思ったが。
「橘京子は僕たち機関の創設に立ち会ってはおりません。彼女自身の体験としてそれを語ることは不可能です。誰ぞかから吹き込まれたのでしょうが一体何を根拠に、どんな意図があってか全くもって不明です。僕が機関を作っただなんてそんなすぐにバレる嘘を信じ込ませることに何の意味があるのでしょうね?」
 確かにそうだ。
 俺個人にとってはその誤情報により古泉を意識し出したという意味はあるがな。
「最初にそう伺った時は少々気が重くなりましたね。そのことであなたが僕の本質を錯覚され、今の関係に繋がったというのなら、化けの皮が剥がれて本性が知れたらあなたは幻滅して離れて行くんじゃないか…とね」
 あー、あン時おまえ、ちょっとおかしくなったもんな。きっかけはともかくハマっちまった後で見限るなんてあるかよ。俺も見くびられたもんだ。
「僕が自分に自信がなかっただけです。目一杯の虚勢を張って偉ぶっておりましたが僕は元々あなたが最初に看破したように機関の用意した仮面を着け、素の自分を隠していた底の浅い男でした。
 …機関を創設したのは、僕のような未熟な子どもではありませんでしたよ」
「会ったことがあるのか?」
 末端すぎて、僕は機関の正式な構成員全ては把握しておらず、上層部に至っては名前すら知らない人が殆どです、とかつてこぼしていたが。
「一度、森さんと話しているところを偶然。ちらりと、後姿だけでしたが、洒落たブレザーを着こなした青年実業家といった風体の男性でしたよ」
「ふうん」
 俺にとって、昨日のナイターの結果以上に興味がない。大体、てめぇで纏めた組織の構成員に姿を見せないようなトップが信頼できるものか。
「ふふ。その点は僕も仲間も同意見です。少しだけ擁護しますと、頭が空気のように、全く姿を見せなかったからこそ、僕たちは割と自由に行動できた、実働構成員全員が対等の立場として団結できた、という利点はあります。…今日みたいな集まりでも話題に上ることすらありませんね、そういえば」
「ま、楽しんでこい。新川さんたちによろしくな」
「はい。寂しいでしょうが、あまり遅くならないうちに帰りますので」
「誰が寂しがるか!」




 古泉を追い出した後、俺も出かける準備をする。どう理由を付けて一人で出ようかと思案していたので古泉の外出は好都合だった。
 秘密の外出だが疚しいことがあるわけではない。
 一週間後に控えた古泉の誕生日のプレゼントを買いに行くつもりだったのだ。
 古泉という男は何を贈っても喜ぶ。俺が古泉の為に一所懸命選んだ、その気持ちが嬉しいのだそうだ。逆の立場なら俺もそう思うので、古泉の気持ちは分かるのだがどうせなら古泉の好みに合った、俺からでなくとも使い続けてもらえるようなものを贈りたいと思うのもまた人情だろう。毎回頭を悩ませるのだが今年は既にアテがある。先だって近所のショッピングモールに買い物に行った時、古泉が物欲しそうに眺めていたジャケット、あれを贈ろうと決めていた。凝ったデザインの一点もので、少々値が張るので諦めたようだったが、古泉に似合うことは吊るしの状態でも見て取れたのでたまには良いだろうと奮発することにした。
 どうせならそれを着せて飲み会に送り出したかったが、相前後することになるので致し方あるまい。こんな鎧がなくとも古泉は十分良い男だ。
 そりゃ、普段は少々情けないところがないとは言わないが、あいつは信念を持ちそれに従ってストイックに行動している。ハルヒのイエスマンだったのも、俺たちの前で仮面を外さなかったのも、俺とハルヒをくっつけようとしたのも誰かに強いられたからとか、自己保身の為とかではない。
 事の是非はさておき、古泉自身が自分で道義をみつけ、確固たる意志を持った上での挙止だったのだ。
 古泉は常に信念を持って行動している。だから、揺るがない。咄嗟の判断に隙がないし動作が素早い。
『あまり地球人をみくびらないでいただきたい』
 未だに時折、あの時の古泉の姿が鮮明に浮かんでくる。
 あの時俺は無力だった。
 俺が何とかしてやると誓い、思いつく限りの行動はしたが、根本的には無策で、こうやって足掻いていれば誰かが助けてくれるに違いないと心の底では思っていた。
 そしてその“誰か”は、本命、長門に類する宇宙人。対抗馬、未来人。大穴という名の裏本命がハルヒ…、ハルヒの常識外れの力だったのだが現れたのはノーマークだった古泉だった。
 しかも古泉は現代の地球人と冠し現れた。限定超能力者としてでなく、だ。
 かつて見たことのない攻撃的な眼差しは、地球人・古泉のプライドを如実に現わしていた。惚れるなという方が無理だ。
 あの時俺は古泉という男に確かに惚れた。当時はまだ人として、だったがな。
 ハルヒの力の消滅がなければ、古泉が己の存在意義を見失い自棄にならなければこんな関係には至らなかっただろう。
 そして俺は今、非常に満ち足りている。陳腐な言葉で言えば幸せだ。
 この幸せが五年も続いているんだ、浮かれて月給の半分をジャケット一枚に費やすくらいおかしかないだろう。



 一週間後の古泉の誕生日、今さらサプライズもなく古泉のリクエストで少々手の込んだ料理を用意し一年の健康に感謝し今後の息災を祈念した。
「去年はにぎやかだったが」
 バカ騒ぎ好きのハルヒが酒宴の機会を見逃すはずがなく、それぞれの誕生日はバースデーパーティーという名の飲み会が開催されていた。
「出張ではいたし方ありませんよ。代わりに週末を開けていただきましたから。それに、僕としてはあなたと二人きりということに価値を感じますね」
「しょっちゅう二人きりだろうが。それより俺は大勢でわいわいする方が楽しいけどな」
 突き放してみせるが照れ隠しが入っているのを見抜いているので古泉は笑うだけだ。
「力がなくなったとは言え未だにバイタリティあふれる方ですから。彼女たちと居るとあの時代に戻った気がします」
「…メンツは足りないけどな」
 SOS団で集っても、あの頃と同じにはならない。どうしても一人欠けてしまう。どんなにしんどかった事件でも今では良い思い出だが、あの方のことだけは寂寥を伴わず思い出すことは出来なかった。今となっては二度と会うことの叶わぬ可憐な人。
「…もう一度朝比奈さんに会いたいな…」
 ふと漏れ出た本音だったが古泉はしたり顔で首を横にふる。
「ですが彼女が此処に居ないことがいつの時代にとっても“正常”なんですよ。喜びましょう」
 そういう理性的な言葉が聞きたかったわけではないのだが。野暮なヤツだ。まあ、こういうところもまた愛すべき頑固さの現われだ、聞き逃してやることにする。
「そうだ、古泉、誕生日プレゼント」
「いつもありがとうございます。お金を使っていただかなくとも裸にリボンを巻いて『プレゼントは俺だ』とでもおっしゃってくだされば…」
「バカなこと言ってねーで!ほら!」
 古泉はくすくす笑い「どうも」と軽く礼を言いスタイリシュに包装された箱を受け取った。生きたヒキガエルを渡されたとしても喜ぶだろう古泉だが、多少は予想以上に驚いてくれまいかと期待して注視していたのだが。
 ベッドで俺の服を脱がせると同程度に優雅な手つきで包装紙をはがし中を見た古泉は、一瞬はっとし何とも言えない奇妙な顔つきで考え込んでしまった。
「…古泉?」
 なんだその顔は。俺が選んだものに不服があるのか?お前が物欲しげに眺めていたものだぞ?
 もしかして一足先に同じものを手に入れ…はないか、確か一点ものだったはずだからな。値段が高すぎたのが問題か?だが物に見合った価格だったしそれに…
「いえ、違います。そうではなく、ですね」
 俺の言葉を遮り古泉は、どう話そうか思案気に手を顎に当てた。目の奥に得体の知れない何かが渦巻くのが見て取れた。
「…僕が先日そのジャケットを見ていたのは、これが欲しかったからではありません」
 じゃあ何だって見てたんだ?虫でも付いていたか?
「いえ。既視感を覚えたからです。以前見たことがあるという。そしてそれはある一つの謎の解明、その鍵となるものだったのです」
 さっぱり分からん。詳しく説明しろ。
 クエスチョンマークに囲まれ眉を顰める俺を尻目に、古泉はじわじわと上機嫌になり箱からジャケットを取り出し羽織ってみせた。
「…これ、僕のものになるんですね。…ふふ、似合いますか?」
 ああ、思ったとおりあつらえたように似合うとも。だが今はそうではなくだな。
「良いことをお教えしましょう。もしかしたらあなたにとっては妬ましいことかもしれませんが」
「何だ?」
「近い将来、僕はもう一度朝比奈さんにお会いすることになります。朝比奈さんご自身ではないかもしれませんが、未来人の誰かに。あなたはその時一緒かどうかは知れませんが、僕は会います」
「…どういうことだ?」
 さっぱり意味が分からないのに古泉は頬を紅潮させ何にか想いを馳せている。
「古泉!」
「ああ、すみません。…この間、昔話をしましたよね?機関の創始者のこと…。後姿だけ見たことがある、と。その男性の着ていた上着がこれと酷似していた…このジャケットをもう少し着慣れさせたものがまさしくそれでした」
「え?それって…」
 古泉が何を言わんとしているか、どういう結論を導き出したのか遅まきながら理解した。
 それを荒唐無稽な戯言と一蹴するには俺たちは不可思議事に慣れ、また飢えすぎていた。
 古泉を嗜める気になれず、それどころか釣られて動機が激しくなってくる。
 終始楽しそうに笑い続け、古泉はジャケットを脱ぎ天子に献上する御衣でも扱うようにうやうやしくハンガーにかけた。
「いつ、その日が来ても良いように、対策を立てておかなければいけませんね。この未来に繋げる為にも慎重に…」
 その計画の中には反対勢力への偽りの情報漏洩や下っ端構成員へのちら見せも含まれているのだろう。
 想像が膨れ上がるのを抑えきれずにいると、さっきまで俺より興奮していたくせに、古泉は嗜めるように着席を促した。
「取り合えずそれはまだ先の話です。今日は、今を楽しみましょう。あなたの手料理を戴きながら。
 過去に繋がる未来を祝して」
 気障たらしい台詞だったが、その提案には全面的に賛成だった。
 再び巡り来るだろう不条理な日々を憧憬し、俺たちはそっとグラスをかち合わせた。










誰でも思いつくでしょうが、アホらしくて書かないだろうネタでした。おそまつさま〜。