金木犀




「…あ…」
 ふいに独特の、強烈だけれども柔らかな香りに襲われ、思わず立ち止まる。
 彼も遅れて足を止め、ああ、と納得顔でやはり笑う。
「ついこの間まで、永遠に夏が続くのではないかと怯えるくらい暑かったのですがね」
「流石に10月ともなると次にバトンタッチするだろうよ。何せ、季節は4つしかないんだからな」
「どこでしょう?」
「風向きからしてあっちだと思うが…」
 場合によっちゃ10m先でも匂うからなぁ、と探り足で進む彼の後を、相づちを打ち乍ら付いていく。
 あっちかな?…いや待てこっちだ。見えぬ手がかりから出所を探る。
 高校生になってまで、そんな子供じみた探索に本気になっているわけではない。二人でこうやって、同じものに気持ちを巡らせる、その時間が楽しいのだ。
 やがて、目的のものを見つける。
「これかな?」
「ですね」
「けど、まだ全然咲いてないぞ?」
 訝り顔で口を尖らせる彼は、子供じみていて可愛らしい。
「金木犀は、花が咲いてからの方がむしろ匂わないのですよ。これくらいの、咲いているかいないかの時期に一番香ります」
「…ふーん…」
 用水脇の階段沿いに堂々と立つ大木に手を伸ばし彼は何をか思いやる。
「どうされました?」
 問うと、いや…と、何でもない風を装う。
 装っている癖に、言いたくて仕方が無い、そんな風情だ。彼がこういう仕草を見せるのは、最近ようやく覚えてきた“恋人に甘える”態度を取る時なので、僕はしつこく尋ねる。と、彼はいかにも渋々という風に頭を掻いた。
「お前とちょっと重ねて見ていた」
「僕と金木犀を…ですか?」
「満開の時より咲く前の方が匂うってところがさ。
 …お前が俺に告白する前は、お前は俺のことを好きなんだって嫌ってほど匂っていたのに、最近はそれほど感じないからな」
 想いももう盛りを過ぎたってことかな。
 飲み込まれた心の声を聞いて僕は笑う。そんな愛らしいことを考えていたのか、このひとは。
 僕の気持ちは以前から変わらない。いや、むしろ強くなっている。寝ても醒めてもこのひとを、愛しいと思い続けているというのに、全身でうったえているというのに、気付かないという。
 でもその原因は分かっているので僕は喜ばずにはいられない。
「あなたが押し返しているからですよ」
「は?お前の気持ちをか?」
「以前は僕があなたを想う一方でした。もしかしてあなたも僕を好きでいてくださったかもしれませんが、表に出さなかったでしょう?僕も勿論隠していたつもりでしたが、あなたには“ダダ漏れ”だったとか。だから、一方通行で、あなたは受けるばかりでした。
 でも今は、あなたも僕に想いを返してくれています。二人の想いがぶつかり合って、押し返しているので前より届いていないと感じるだけですよ」
 僕は今も変わらず、いえ、以前より強くあなたを愛しています。
 そう言うと、彼は苦虫を100匹一度に噛み潰したような顔をした。
 嫌がって見えるけれどもただのポーズだ。思い当たって照れているのだ。
 耳が、赤い。
 口をもごもごさせて何か反論を試みている。
 負けず嫌いの彼がどんな聞かん気で言い返してくるのか、楽しみにしていたらぎっと睨みつけられた。
「俺に惚れられているからって、安心して手ぇ抜いてんじゃねーのか?もうちょっと気合入れて俺に惚れていろ!」
 僕の額を、キスするように小突いて、踵を返してずんずんと離れて行った。

 その後には確かに、この馨る花に負けないくらいにあまやかに、彼の想いの残り香が漂っていた。







金木犀の香りが満開で、それにつられて古キョンを書こうと思ったのですが、ポエミーになってだーいしっぱーい。
こういう他愛ない話を漫画に出来る画力があればなぁ、としょっちゅう思います。

キョンが古泉に甘えるのになれて来る頃…というのを書きたいなぁと。