恋について



「まったく。とっととあなたは涼宮さんとまとまってくださいませんかね」
 雑談の延長線上、古泉は僅かばかりの苛立ちを滲ませ嘆息し、そう言った。
 SOS団のルーチンとなっている不思議探索の、古泉と二人グループになった時だった。
 きっかけの雑談はどんなものであったか思い出せないほど他愛ないものであったが導かれたそれはなかなかにして重い。
 最近の古泉はことある毎にこの手の要求を投げつけてくる。
 いや、要求自体は最近に始まったものではない。それこそ、出会ったばかりの頃から、俺とハルヒをくっつけたがる発言をしていた。「涼宮さんが世界をどうするか、その鍵はあなたが握っているのですよ」「背後から抱きしめて耳元でアイラブユーと囁くのです」「あなたの心一つで涼宮さんは安定いたします」等々。「涼宮さんはあなたが好きなのです」と断言されたことも一度や二度ではない。
 ただ、最近はそれらの言葉に、以前は見られなかった含みが感じられるようになった。もしかしたら以前から含まれていたのに俺がドンカンで気付かなかっただけかもしれんがな。
 我知らず深いため息が出た。
「…俺とハルヒがくっついて、何か良いことがあるのか?」
 普段ならスルーを決め込む妄言だったが、そろそろこいつにも分からせておかなければなるまいと話を拾ってやる。
「思いを遂げた涼宮さんは充実し、世界はつまらないと思わなくなります。閉鎖空間を発生させ世界を崩壊させようなどとはせず、僕たちの出番はなくなり安眠も約束されます。
 何も世界平和の為に人間爆弾となって神人に突撃せよなどと申しているわけではありません。猿人の王女を嫁に貰えというわけでもです。憎からず想っている相手との男女交際です。周りから強いられれば意固地になるあなたの性格を知らず強制してしまったのは失敗だったと思っておりますが、世界の安定の為にもう少し聞き分けよくなってくださっても罰は当たらないと思いますが?」
 その口調はまるで、奉公先の悪ガキの、夕食前のつまみ食いを咎める折り目正しい執事のようだ。こちらの非と、己の道の正しさを疑いもしない。
 だがな、その論法は織り込むべき要素を外しているぞ。当然、導かれる回答は誤っている。今の古泉であれば気付かないはずのない結果であるがまた、今の古泉であればこそ気付ける余裕もないのだろう。
「古泉、お前、恋をしたことがあるか?」
「…はい?」
「アイドルや近所のお姉さんに対する憧れめいたものじゃない。お前好みの言い方をすると、くっついてしまいたいという狂おしい恋だ」
「…な…っ、…え?あ、あなた何を…」
 急にしどろもどろになる辺り、ある程度答えは見えていた。そもそもこの件に関しては俺は初めから正答を確信しているのだが、あえて言及はせずに目を逸らしてなるべく普段通りに口を開く。
「俺は、あるぞ」
「…え…?」
「ある人に恋をした。俺はそいつの一挙手一投足が気になり、何かにつけそいつのことを考えていた。会えると嬉しくて胸が高鳴って、そいつが話かけてきたり笑顔を向けられただけでその日一日が幸せになった。生きていて良かったと思ったさ。
 だが、その一方で、そいつの些細な言動に一喜一憂する自分に苛立ちもした。そいつが、ちょっと目を逸らしただけで「俺は今何か不味いことをしたか?嫌われたのか?」と悲壮になり、俺より他の誰かを優先しただけで、それが当然のことでも哀しくなった。そいつのこと…そいつとのこれからを考えて、わけもなく泣きそうになったりもした。あいつの一番が俺じゃない世界なんか壊れてしまえとさえ思うこともあり、そんな、赤の他人のことで情緒不安定になってしまう自分が堪らなく嫌だった。
 恋ってそういうもんじゃないか?」
「…あなたそんな…、…あ、相手は…あなたのお相手は誰なんです?」
「俺の事は今はどうでも良いんだよ。今の話だって架空のものだと思ってくれても良い。
 お前はどうだ?恋をしたことはないか?したことはなくても想像くらいは出来るだろう?人を好きになるってどんな気持ちか、ってさ」
 分からないはずがないことを分かっていてあえて問う。古泉は肩を震わせ唇を戦慄かせ、俺から、俺の居る世界から目を逸らして視線を落とした。
「…分かりますよ…。その気持ち。
 いえ、特定の誰かに恋しているわけではありません…。…ですが、そう、想像は出来ます…」
「俺はハルヒと付き合うつもりはない。それは俺が、そういう意味でハルヒのことを好きじゃないってのが一番の理由だが、付き合ったところで、ハルヒが本当に俺に恋をしているというなら、あいつの心の安寧、閉鎖空間の撲滅には絶対繋がらないと分かっているからだ。むしろ発生頻度は上がるだろうよ。俺がどれだけ尽くそうが人の心ってのは勝手にあちこち飛び跳ねるもんだ、ちょっとした不満で世界を滅ぼしたいとまで思うだろうし、そんな軟弱な自分の心を恥じて、最悪、原因たる俺の存在を抹消しようと思うかもしれん。…違うか?」
「…」
 古泉は何も言い返せない。言うべき言葉が見つからないのではなく、その前の会話、本当に惚れたら楽しいだけじゃないの件を処理しきれていないからだろう。
 古泉自身が今抱えている気持ち、それから俺自身のぼやけた告白の矛先について。
 真横にいる俺の存在なぞすっかり忘れている  その頭ン中には真夏の湘南の海水浴客なみにひしめいているに違いないくせに  古泉の顔をじっと見つめる。本人はアルカイックスマイルの下に上手く隠している気になっているらしい百面相を心ゆくまで堪能した。
「…あ…」
 あなたの心を乱すお相手はどなたですか?と問おうとして口を閉じる。
 僕も今、つらい片想いをしています、何故ならその相手は…。喉まで出かかった告白を、言えるものではないと引っ込める。
 まだ今は。
 五分も待っただろうか。ようやく古泉の目の焦点が合いつつあった。テンパりすぎだ。野生の動物なら天敵に食い尽くされている時間だぞ。
「ハルヒにとって、今の状態が一番安定した環境だと思うぞ。
 ハルヒが俺に好意を持っているという点はもう否定しない。やり方によっては“気の迷いの精神病”に発展する可能性もな。だが今は違う。そして、これが恋愛に発展することは世界の安寧には絶対に繋がらない。
 好意を持っている相手がいて、その相手も自分のことを気にかけていて、自分のことを肯定し支えて、付いてきてくれる、そういう現状こそ何よりの安定だと思うぞ」
「…断言されますね?」
 まだかぶりきれていない仮面の下からやけに恨みがましい眼差しが覗いて、俺は思わず笑ってしまう。
「それについても経験談だからな」
 こいつは俺のことが好きだと確信していて、まだ俺のものじゃないという恋愛以前の関係。始まってしまえば津波の如くなにもかもを奪われてしまうことを思えば、時々風が舞うだけのこの春の日は心地良い。
 やがてこの心地よさをぬるま湯に感じ物足りなく思う日が来るかもしれんが。それは今じゃない。
 今は、まだ。
「ハルヒの件はお前の上層部の誤解も解いておけ。てめえらの経験思い出させれば簡単だろう」
 その言葉で“てめえの経験”を思い出したらしい古泉は、再び複雑な顔をして俺を見つめた。




没原稿に愛の手を。
8月のペーパーにするつもりが面白くなかったので没ったはずなのに、今読むとまあ別にサイトに晒しておく分には良いじゃん?と思えるフシギ。
一応、片想いではなく無自覚の両思いということでこのカテゴリです。