あの時はつい聞き流してしまったが、涼宮さんが言うように、彼は決して平凡で何の取り柄もない人ではない。そりゃ、容姿や学校の成績、普段の思考は取り立てて特筆すべきところがない凡人だ。けれども、ちょっとした時に思いもよらない反応を返して来るし、読書家だからか会話の切り替えしが上手く、各分野で深い造詣を持つことを思わせる。付き合って益のないひとではなく、僕なんかよりもずっと人を楽しませる術を持っている。
 涼宮さんは彼とは直接会ったことがないから知らないのだ、今度涼宮さんに言っておかないと。…と、思ったが止めた。
 涼宮さんは、“向こう”の彼と、こっちの彼をつい比べているのだ。こちらの彼とは僕の会話を通してしか知らないのに、異世界から来たというオプションがないだけで、彼を劣っている、取るに足らない、平凡な人間だと断じてしまっている。それは、先入観というより予防線だ。突然現れて、退屈を奪って一瞬で去って行った異世界人を崇拝するあまり、その異世界同位体である彼の凡庸ぶりを見て幻滅したくはない、ということなのだ。
 涼宮さんが一旦彼に会えば、その人間性が持つ魅力を捉え、瞬時に気に入ることだろう。だがそれは僕が困る。
 彼を落とそうと、恋人にしようとアプローチしているのに、涼宮さんに横入りされては勝ち目がないとまでは言わないがややこしくなる。出来れば、涼宮さんとは戦いたくはない。
 だから、涼宮さんには彼のことを、何の価もない平凡な男だと、少なくとも僕が落とすまでは思っておいて戴かないと。

 最近、涼宮さんはあの件で知り合った朝比奈先輩と長門さんを引き連れて良く遊んでいる。“向こう”と違って一般人でも馬が合うのだろう、彼女たちと遊ぶ涼宮さんは本当に生き生きとして楽しそうだった。
 僕もその輪に混ざることがごく稀にあるが、大概は仲間外れだ。少し前の僕なら涼宮さんに除外されることは身も捩れる苦痛だったはずなのに、今は、むしろ好都合と思っている。その空いた時間は彼とすごすことに使えるからだ。
 涼宮さんに執着しなくなって適当な距離が出来たのが良かったのか、異世界という共通話が出来る相手も少ないとあって、以前より涼宮さんとの関係は良好なくらいだ。
 このまま涼宮さんには、彼を眼中外に置いておいてもらおう。
 …むしろ、気をつけないといけないのは長門さんだろう。
 彼と同じ高校、同じ学年で、趣味は同じく読書、図書館での借りがあるということから、彼女は彼を慕っている。少なからず思っている。最近では時々文芸部室で会って本の話をするそうだ。
 彼は彼女のことは放っておけない妹くらいにしか思っていないようだし、彼女もあの内気な性格では想いがあってもそうそう告げられはしないと思う。だが、小心な人間ほど思いつめると何をしでかすか分からない。一度、きっちりクギを刺しておく必要があるだろう。

 まいったな。

 そこまで考えて思わず苦笑する。
 結構しっかりハマったみたいだ。
 彼の、意志の強い揺るぎない深遠な瞳を思い出すとぞくぞくする。基本は顰めつらの、時々笑う目元の皺の愛らしさに心が震える。あの低く澄んだ声で名前を呼んでもらいたくて仕方がない。
 好きだ。彼が、好き。
 そう唱えたら心が熱くなった。
 甘やかな胸の痛みが愛しく、彼の顔を思い浮かべ、僕は己を掻き抱いた。