愛は空を飛ぶ…か?



「あなたが好きです」
 我らがSOS団の副団長にして眉目秀麗たる秀才青年、神様が繁盛期のドタバタで本来なら俺に振り分けられるべきだった才能を二物どころか三物や四物として誤配したんでないだろうかと邪推する色男が、普段の春の陽だまりのような微笑を引っ込め、思いつめた深刻な顔で、放課後の団室、わざわざ二人きりになるようにしむけそう告白した。
 すきって何だそりゃ、土を掘り起こす道具か?などと下らないボケをかますつもりはない。おう、俺も好きだぜ、谷口や国木田と同じくらいにな、と鈍感をさらすつもりもない。
 ようやく言ったか。
 それがその時の俺の素直な感想だった。
 出会いから季節を一巡してほぼ一年、古泉は常に俺の傍にいた。SOS団の中で同性は俺だけだったから特に不自然なことではなかった。ただ俺を見る古泉の目に、いつの頃からか粘っこい艶みたいなものが含まれるようになった。最初は何のことか分からなかったがある日ふと気付いちまった。ああ、こいつは俺のことが好きなんだなと。俺がそう気付いたのは年明け早々。それから約5ケ月、俺が気付く前からだとどれだけか知らんが古泉はその胸のうちをずっと秘めていたわけだ。見目にそぐわず粘着質で思いつめるタイプのこの男がよくもまあ今の今まで黙っていたものだ。
 ただ、一方で、こうも思う。
 何で今言うんだ?と。
 古泉が告白に踏み切らなかったのは同性同士という枷もあるだろうが、ハルヒの手前万一にでも両思いになってはならないというヤツの事情からだ。
 古泉は俺をハルヒの鍵だという。ハルヒが俺のことを好きで、俺とハルヒがくっ付くのが最良の策と思っている。それが世界の平和の為だと。
 その古泉が、ハルヒの不思議パワーも健在なこの時期に均衡を崩そうとする理由が分からん。もしかして余命数ヶ月とでも宣告されて自棄になっているとか?
「至って健康です。ただどんな壮健な人でも一時間後に事故に遭い鬼籍に入らないとは言い切れないことを鑑みますと保証された余命など存在いたしません。ですが今はそのことは追及いたしません。
 …昨日、僕たちの修学旅行の日程が発表されましたよね?」
「9月の連休を利用して3泊4日で韓国な。ハルヒに言わせりゃ金のない公立が半端に頑張ったショボい旅程だそうだが、俺としては随分張り込んでくれたと思うな。いくら下手な国内旅行より安いとは言え海外に行けるとは思わなかったぜ。おふくろなんか『子供の癖に生意気だ!』って拗ねてさ」
 ついでにハルヒも口ではああは言っても楽しみにしているのは見て分かる。NHKのハングル講座を録画しているから溜まったらダビングしてあげるから、しっかり無勉強しなさいよと余計なお世話をかましてくれている。
 で、それが今の告白とどう繋がる。
「…実は僕、飛行機が大嫌いなんです…」
 ほう。そりゃまた初耳だ。何で嫌いなんだ?
「何で?何でですって?僕こそ嫌いじゃない人に何故と問いたいです。どうしてみんな平気なんですか!なんであんな鉄の塊が空を飛ぶことに疑問を持たないのですか!落ちたら死ぬじゃないですか!」
 そうは言うがな、古泉、飛行機事故なんてめったにあるものじゃなく、飛行機事故による死者数は交通事故によるそれをはるかに下回っているんだぞ。
「そういう問題じゃありません。飛行機は落ちたらまず絶対助からないということと、落ちると分かってから回避できない最期の瞬間までに時間がある、死ぬと分かっていても何も出来ずに椅子に座っているだけ、それが嫌なんです。ええ、理性では分かってますよ、飛行機が墜落して死ぬなんて宝くじで高額当選するよりレアだということは。でも嫌なんです、生理的に許せないのです!」
「…おま…、閉鎖空間では飛び回っているくせに…」
「一緒にしないで下さい。あれは自助による飛行です。他人の運転任せで椅子に括り付けられ己はただ無事であることを祈るしかできない飛行機とは訳が違います。赤の他人の、顔も見たことのないパイロットに自分の生殺与奪権が握られていてよくもまあ平気なものだと呆れるのを通り越し感心してしまいます」
 飛行機って、そんな大層なもんだったか?パイロットがお前の今の台詞を聞いたら目をひん剥いて首を振るぞ。てかお前、落ちることを前提に話をしていないか?落ちない方が普通なんだぞ?
「じゃあ飛行機の仕組みを勉強してみるってどうだ?航空工学とか。どうやって鉄の塊である飛行機が空を飛ぶか分かれば安心できないか?」
「それはつまり『どこをどうすれば落ちるか』が分かることにも繋がります。そして僕にとっては飛ぶ仕組みが分かるより重みを持つでしょうね」
「………」
 ちょっと神経質だな。何か嫌な思い出でもあるのか?
 半分茶化したつもりだったのに、古泉は重々しく頷く。
「子供の頃、飛行機を見せてやると連れて行かれた空港で、滑走路での炎上事故に遭遇したのです。整備ミスだったらしいのですが、先ほど飛び立った飛行機が、エンジンから火を噴きふらふらしながら滑走路に再着陸し、僕がいた展望台に真っ直ぐに向かってきました。いえ、実際にはかなり距離がありましたが僕に向かってきたとしか思えなかったのです。燃える機体、走り寄る消防車、泣き叫ぶ人の声、タンカで担ぎ出される人…、空港は騒然とし、パニック状態。少なからぬ死者が出た事故でした。きっぱり、トラウマになりましたよ。それ以来飛行機は見るだけでも足が竦みます」
「…なるほど。まあ、そういうことなら苦手という気持ちはわからいでもない。だがだったら今回はトラウマを克服する良い機会じゃないか?なんたってハルヒが一緒に乗るんだからな。絶対落ちることはないぞ。
 無事が約束されているんだ、途中で機体が揺れてもエンジンが一つ火を噴いてもテーマパークのアトラクションと変わらないだろ?で、一回乗れば『飛行機は安全だ』って上書きされると思うぜ」
 慰めてやったというのに古泉は暗い、ともすれば侮蔑とも取れる顔つきで溜息を吐く。
「そもそも絶叫マシンを楽しむ習性は僕にはありません。ただでさえ閉鎖空間で命を削った凌ぎ合いをしているのです。なんでわざわざ恐怖に、それも子供だましのまやかしに飛び込みたいと思います?
 飛行機に乗るくらいなら、筏に乗って一人でオールを漕いで太平洋を渡れと言われた方がマシです」
「そんなに嫌いか…」
「嫌いですね。僕の飛行機嫌いは有名で、機関の慰安旅行で北海道に行った時も周りの空気も読まず一人寝台で移動しましたし、4年前この力に目覚めた時、丁度両親の海外転勤の話があったのですが、僕の話を聞いた父親が『そんなヨタ話をでっち上げるほど飛行機に乗りたくないか!』と怒鳴ったくらいです。転勤話が出た時に僕だけでも船で行けないかとゴネた後でしたので、飛行機に乗らなくて済むよう考えた作り話だと思われたわけです」
「…そりゃ、災難だったな」
「まあ僕の方も『これで日本を離れられない、飛行機に乗らなくて済む』と思ったので父がそう思ったのを責めることは出来ません」
「………」
 そこまでか…。そこまで嫌いか、飛行機が!
 ちなみに俺は好きも嫌いも初めてだから分からんが、人並みに初海外旅行というものを楽しみにしている。男であれば多少そういう傾向は持ち合わせているように乗り物に興味はあり、自力では決して叶わない空を飛ぶという経験に心が躍る。
 というわけで古泉の気持ちは共有できんが、そういう人間も居るのだろうなと想像はできる。想像はできるが古泉よ、それがどう俺の質問に対する答えに繋がるのかが分からんのだが。
「飛行機は大嫌いです。出来れば一生乗りたくありません。ですが、生涯一度だけ乗ることがあるとするなら、それは新婚旅行だろうなと思っていました」
 また脈絡がない話だが何故だか少しは近付いた気がする。
「愛する人と結ばれて生涯の旅に出る、その出発の記念となる旅行、その時に愛する人が望むのであれば僕は飛行機に乗っても良いと思ってます。万一何かあっても最愛の人と一緒であれば怖くはない、また諦めがつきます。そういうわけで僕は、生涯に一度飛行機に乗るとすれば、新婚旅行の時と決めております。ある意味、僕の最大の愛の証として」
 なんとなーーく分かってきたが、で、お前はなんで今俺に告白したんだって?そろそろ繋がるんだろ、その話に。
「修学旅行が韓国に決まったからには飛行機に乗らないわけにはいきません。涼宮さんが楽しみにしている以上覆ることはないでしょうし、仮病を使って休むことも今の僕の立場では出来かねます。生涯に一度と決めた飛行機に、僕は乗らざるを得ないのです。
 そこで発想の転換です。新婚旅行であれば飛行機に乗ると決めていたのですから、飛行機に乗るのならそれを新婚旅行にしてしまえば良いのです。法的に結婚が許される年ではありませんので形式婚は無理ですが、事実婚であれば可能です。想っている人と両思いになり生涯を誓い、その人と一緒に旅行するのであればそれは事実上の新婚旅行となります。僕が自分の信条に反せず飛行機に乗れる唯一の方法なのですよ!」
 えー…、つまり、修学旅行を、惚れた相手である俺との事実上の新婚旅行にする為に告白した、と?
 …アホだ…、この男、アホすぎる…。
 この場で俺が頭を抱えて蹲ったとして、誰が責められよう。
 アホ過ぎるがそういう経緯があればこそ告白に至ったというのならそのアホさすらも愛しいと思う俺も相当イカレてはいる。
 しかしこの男、アホだが自信家だ。ここで俺が断れば、振られた上に嫌いな飛行機に乗らんとならんというダブルパンチに見舞われるというのにその心配はまるでしていないようだ。普段の俺の様子からその心配は無用と洞察していたのかもしれんが、心労の全てを飛行機に取られて他には気が回らないだけという気がする。ある意味、そこまで神経回路がイカレていたからこそ告白に至れたのだろう。
「飛行機が同じってだけで隣の席に座れるってことじゃないぞ?いや、そもそも同じ飛行機かどうかも分からんだろう」
 ジャンボジェット機の定員ってどれくらいだったかな。
「そこは涼宮さんのお力に頼ります。SOS団が同じ飛行機であれば、席が近ければ楽しいだろうなと思わせればどうにでもなりますし、同じ機内であれば席が隣でなくとも目を瞑ります。旅行会社の手違いで座席が離れてしまった新婚カップルがいたという話は良く聞きますし」
 必死に言い聞かせている。俺にでなく自分自身にだ。その目は俺のほうを向いているのに俺を見ていない。己の内なる何かと戦っている風だ。難儀な男だよなぁ。
「で、どうなんです?」
 声だけ聞くと怒っているのかと勘違いするキツい口調で問ってくる。目もこちらを睨んでいる。というか座っているのかこれは。
「何がだ?」
「僕はあなたが好きだと告白いたしました。あなたはどうなんです?」
 そんなお前、喧嘩を売っているような口調で…。愛の告白ってヤツは本来もっと甘いもんじゃないのか?
 返事を疑っていない、その意味では余裕綽々なところが気に入らず、素直に俺もだと言う気になれない俺はかなりの天邪鬼だ。
「俺は結構俗物なんだ」
「はい?」
「新婚旅行はヨーロッパを一周したいと思っている。もちろん飛行機でだ。団体旅行じゃないからハルヒのパワーの加護は期待できんな。ついでに、2年に1度くらいは一緒に海外旅行に行きたい。ハワイとかグァムとかでも良い。船なんて冗談じゃねーぞ、あんな時間のかかるもの。惚れた相手と一緒に旅行して先々で美味いモン食べて同じ風景を眺めたい。それが俺のささやかな夢だ。
 お前はそれに付き合う気があるか?」
 試すような口調で問うと、古泉はぐっと言葉を詰まらせた。その言葉の意味するところを過たず受け取ったやつの顔には喜色と悲愴がごちゃ混ぜに浮かんだ。色々な計算、葛藤、そんなものが頭を凄まじいスピードで巡っているのが見てとれる。
 たっぷり一分口を戦慄かせ、古泉はやがて決死の覚悟を決めた形相で言葉を搾り出した。
「…是非とも…、…お供させていただきます…」



初海外の際、飛行機の中で考えていたお話。
でも関西で公立高校なんだから、韓国だったら片道は釜山までフェリー(もちろん二等)の気がする。

その後