9月1日



 職場の同僚に「暑気払いに行かないか」と誘われた。
 今日は人が来るんだ、おい何だキョン、デートか?どーせ男だろ女の影はねーもんな、何ならそいつも一緒で良いぜ。
 ひとプロジェクト片付けたところでテンションの高い気の良い連中の誘いを笑顔で断り家路につく。
 帰り着いたアパートに明かりは点いていない。合鍵を持つあの男はまだ来ていないということだ。
 人が来ると言ったが特にあいつと会う約束はしていない。帰りに寄るとも泊まるとも言って来ていない。普段から律儀に連絡を寄越す男だったが、今日は何も言わずともやってくる。いや、今日ばかりは連絡を入れずにやって来るのだ。どれだけ忙しかろうと、仕事を放り出そうと、その所為で首になったとしても、今日のうちにあいつは来る。
 今日この8月31日は二人で過ごすというのが高校二年の時からの慣わしとなっていた。
 正確に言うと、高校一年の夏休み終了後初めて迎えた次の夏休み終了日から、毎年だ。もっと細かく言うと、8月31日は一日中一緒に過ごすというわけでない。8月31日から9月1日に切り替わる瞬間は少なくとも一緒に過ごす、だ。
 俺たちにとってこの日が一年のなかで節目の日になってしまっていた。今年一年無事に過ごせてありがとう、来年も大過なく過ごせますように。…まんま新年だ。
 何故そういうことになったか、言うまでもないだろう。俺たちにとって、現在が未来に繋がった記念すべき日だからだ。放っておいても正月は来て年は明ける。だが高1のあの時から、9月1日という日は何もしなければ訪れることのなかった日となった。いや、もう10年が経つが、実際に9月1日が延々と訪れなかったのはあの年だけだ。それ以降は順調に一年が過不足なく回っている。ただ一万五千回分訪れなかったことが深層意識下でトラウマとなり、この日が来るとほっとするのだ。
 今となっては殆ど儀式だ。ハルヒはあの頃のような無茶はもうしない。身構えなくとも日は昇るのだと分かってはいるが、この日を注視し緊張して過ごすのが習慣になってしまった。そう、正月に二年参りをしたり御節を食べるのと同程度にな。
 この日を俺たちは一年でもっとも節目の日と位置づけ、会い、過ごすことにしていた。その習慣は、ハルヒの迷惑活動に殆ど悩まされなくなり、SOS団の面々が互いに違った進路を取るようになってからも続いていた。別にそうしないとまた馬鹿げたループにハマっちまうとか恐れているわけじゃない。ただの習慣で、身についた決め事だった。

 またこの日は俺たちが初めてセックスをした日でもあった。
 あの長い夏の一年後、エンドレスエイトを終えることができた後の初めての夏、高校2年の夏休み最終日、俺は日が落ちる頃に古泉の家に押し掛けた。
 連日集まっていたSOS団の活動はその日はなく、嫌でも一年前を思い出させた。
 ただ夏休みの宿題は前年を戒めにしたハルヒ主催による徹夜勉強会で既に終わっていて前年以上に遣り残しは思い至らない。ハルヒも同じことを繰り返すほど芸のない女じゃない。それにここ一年は色々な意味で落ち着いている。あんな馬鹿げたループは二度とない。…ないに違いないと思いつつ、不安は取り除けなかった。
 独りでいるのが恐ろしく、事情を知っている誰かと一緒に居たかったのだ。あえて古泉を選んだわけではない。この時間を共有するのに不安を増幅させたくはない可愛らしい未来人や、観察者としてこういう時は役に立たない宇宙人では役者不足で、消去法であいつを選んだにすぎない。
 事前連絡なく訪れた俺の胸中を瞬時に察知した古泉は快く部屋に招きいれ、相手になってくれた。僕自身も不安だったのですよと嘘か本当か分からない告白もつけて。
 怖いんだと俺は素直にその時の心情を吐露した。
 また繰り返されたら…、あったはずの過去が潰されるのがもの凄く怖い、と。
 その時俺は少々ナーバスになっていた。
 直前に起きたとある事件の所為で、あの過去の繰り返しで小さな幸不幸のレベルではない、人の生き死にすら違っていたと知ってしまったのだ。つまり、あるシークエンスでは交通事故に遭った人間が別のシークエンスでは数秒の差で助かっていたことがある。逆は考えることすら怖い。
 時空を捻じ曲げることの方が次元が大きいだろうが、俺は、結果としてそれが人の生き死にを変えるに繋がったことの方が神懸っていて…いや、悪魔的で恐ろしかった。
 半端に酒に逃げたのも不味かった。完全に酔いつぶれるのも怖かったので、缶ビールを一本だけ開けた。そいつは正気は奪わなかったが、羞恥や恐怖に抗う力というものを削いでしまった。
 下らないバラエティ番組を見てもゲームに興じても恐怖は拭えず早く日付が変わらんものかと時計ばかりを気にした。
 あまり頻繁に見るので長針の角度は五度と変わらずそんな自分に嫌気が差し、「何かこー、時間が経つのを忘れられるようなことはないか!」と古泉に詰め寄った。
 その時、誘われたと思った…と後に古泉は語った。
 俺から仕掛けていったのだと。
 俺は断じてそのつもりはなかった。誘うだなんてとんでもない。古泉に対してそんな気持ちは持ち合わせていなかった。…いや、持っていると気付いていなかった。
 だが全て古泉の所為にするわけにはいかないだろう。キスされ、抱きしめられても全く抵抗しなかったんだからな。熱い唇と力強い腕を心地よいと思ってしまった俺も同罪だ。
 古泉は厳かに、だが容赦なく俺を征服していった。
 初めての挿入はかなりならしたにも関わらず痛みしか感じず、傷も負ったが他の全てを忘れることができた。古泉が身を抜き体中あやされようやく落ち着いた頃には、時刻は9月1日を1時間も過ぎていた。
 慣れない行為の後始末にかまけ、それどころじゃなかった俺たちは、濡れタオルを作りに行った古泉が慌てて水流を被せた腕時計を、拭ったついでに時刻が目に入り、ようやくその事に気付いた。気付いて、まず古泉が声を発てて笑い、そのあまりの尋常ならざる甲高い声に気でも狂ったかと驚き駆け寄った眼前に腕を突き出されその訳を知った俺も、一緒になって笑った。裸のまま、かけ合う言葉も見つからず、ただ声を発てて笑い、抱きしめ合った。
 時間が動いたと確信した意味でも、俺たちの新しい関係が始まったという意味でも、この日は俺たちにとって、この上なく重要な日となったのだ。
 一年の節目であり、記念日でもある。
 正月に会わない時があっても、誕生日の祝いを電話で済ませることはあっても、この日だけは二人して過ごしていた。ああ、感傷だよ、一緒に過ごしたからって何があるわけでも、また、何がないわけでもない。それでも特別な日ってのは特別な相手と一緒に過ごしたいもんだろ?俺たちにとってこの日が一番特別なんだ、仕方があるまい?
 ちなみに、何故古泉のでなく俺の部屋かというと、あいつの部屋は節目を過ごすに相応しい環境とは言えないからだ。主に、衛生面で。


 がん、がん、がんと、階段を乱暴に駆け上る音がする。2,3段は飛ばしている音だ。時計を見たら23時30分だった。ったく、苦情が来ても知らんぞ。
 よほど急いでいたらしいのにその音は、目的の階に付いた途端止み、こつ、こつという澄ました落ち着きのある音に変わった。格好付けて息を整えたバカの顔が目に浮かぶ。
 合鍵があってもあいつはドアチャイムを鳴らす。迎え入れられるというのが良いのだそうだ。
「遅かったな」
「システムにバグがみつかりまして、その対応に追われました」
「そうか」
 バグは直ったのか、タクシーを使ったみたいだがどこからか、よもや会社からではあるまいな、等、疑問は有ったが問わなかった。戯れにであれ「そうまでして来なくて良かったのに」という言葉に繋がる会話はしたくはない。
 この日は二人で過ごす、今ここに居る。その一瞬と感傷を、ただ、大事にしたかった。
 







これ、多分途中だと思います。9月に書いて放り出してあったのですが、続きを失念したのでこのまま出すか、と。思い出したら続きを書くかもしれません。そんなこと言って書いた試しはないのですが。尻切れトンボですいません。