想うほどに



 僕が扉を開けた時、その日の文芸部室には彼と長門さんが居た。彼と長門さんだけが居た。
 涼宮さんはなにものかを求めて何処かを走り回っており、朝比奈さんは学年集会があり遅れて来られるということだった。
 部室に入ると彼はちらりと僕を見たが、「おう」とだけ言いあっさりと目線をそれまで向けられていた長門さんへと戻した。何やら二人で話しこんでいたらしい。しかも、涼宮さん絡みでなく、世間話のようだ。これは非常に珍しいことだった。
 長門さん相手に世間話など…というわけではない。長門さんは部室に居る間は読書をしているのが常で、それは退屈しのぎや時間潰しではなく彼女の数少ない娯楽だったものだから、極力彼は話しかけない。邪魔をしては悪いと思っているのだろう。
 放課後、この部室で彼が僕を相手にするのは消去法だ。
 涼宮さんには自分から積極的に関わりあいたくない、朝比奈さんと仲良くしていると涼宮さんの茶々が入る、長門さんの読書の邪魔をしたくない。かと言って一人で暇そうにしていては何を言われるか分かったものではない。無難な時間潰しの相手として僕は彼に消極的に選ばれているのだ。
 けれども今日は違っていた。
 僕が鞄を置き定位置に座り、お預けを言い渡されている忠犬よろしくじっと待っていても彼は構わず長門さんと話していた。
「もう読んだのか?文体が古くて読みにくくなかったか?」
「問題ない」
 耳をそばだて聞こえた話を想像力で補ったところによると、長門さんが先日図書館から借りた本があるシリーズもののうちの一冊だったらしい。そのシリーズの他作品を探すものの、古い本で絶版な上、地方出版社発行の大衆文学  歴史もののようだ  で、所蔵している図書館が見当たらない。たまたま彼のご尊父がそれを所持しており、彼を通して長門さんに貸与した、という経緯がここ数日で有ったようだ。
 ご尊父はそのシリーズのファンであられるらしく、息子の同級生、しかも女性が読まれることにいたく興味を示され、彼を通して長門さんとそのシリーズについてやりとりをしている…ということらしい。
 彼も読んでいるようなので、三人で会話をしているようなものか。僕だけ仲間はずれだ。
「…と、オヤジは言うわけだ」
「そう」
「何だ、長門もそう思うのか?俺はただの偶然だと思ったんだがな」
「かんざし」
「いや、あそこは色の対比だと思ったんだよ。でなきゃ春に紅葉はないだろう」
 言葉数だけ比べると、会話が成り立っているとは思えない。長門さんが1言うに対し、彼は10返す。一方的にまくし立てていると捕らえられても致し方ない量だったのに、二人にとって互いの伝達し合う情報量はバランスが取れているらしい。
 長門さんが一言発するだけで、彼はそこから彼女が言いたかった言葉全てを読み取り会話を投げ返す。
「番外編があるそうだけど、読むか?孫の世代らしいけど」
「………」
「分かった。近いうちに持ってくる。長門がそんなに喜ぶとはちょっと意外だな」
 言葉だけでなく彼は、長門さんの僅かな表情の動きも見落とさない。
 じっと観察していたが今のどこに喜色が浮かんだのか、僕にはさっぱり分からなかった。
 僕は、酷く嫉妬する。
 彼にそれほどまでに注視してもらえることに、彼に分かられていることにもだけれども、彼に分かられてしまう表情をてらいなく取ってしまえる長門さんの素直さにも。
 長門さんの無表情は意図したものでも作られたものでもない。彼女は情報統合思念体によって作られた存在であるけれど、彼女自身は何らかの策や下心がありその性格を作っているわけでない。あれが彼女、長門有希の素の姿であり飾らない態度なのだ。
 一方僕は、一見して表情は豊かだけれど、豊かな表情を乗せた仮面を被っているに過ぎない。本心は常にその下に隠してあり見えない。
 伝えたいのに伝えられない本心を冗談ごかしてしか口にすることは許されない。
 彼とは既に色々なものをさらけ出す仲になったというのに僕は彼に自分の素直な心を見せることが出来ない。常に仮面で覆ってしまう。
 だから、素の表情を彼に見せられる長門さんが羨ましい。
 羨ましくて、少し、憎い…。


    と、いう根暗で下らないことを考えていたと推測するわけだが、どうだ」
 所変わってここは古泉の部屋。明日は団活もない正真正銘の休日なので、二人でのんびり過ごそうという腹積もりだった。
 二人きりでいてのんびりした夜になるはずがないのだが、今はそれは置いておく。 
 嫌だな、そんなことあるわけがないじゃないですか、あなた想像力が逞しいですね。
 と、軽口の一つでも叩いて来るかと思ったが、よほど狼狽しているのだろう、ヤツの声帯は凍結したまま機能しようとしない。
 見開いた目は瞬きを忘れているし、サウナに一時間いてもこうはならんだろうというくらい汗を噴出し顔を真っ赤にしている。いい加減深くなりつつある付き合いの中で、こいつの面相は数多見てきたが、こういう方向で余裕のない顔は初めて見たな。…面白い。
 さっきまでこの男は何か言いたげな、だが言う事は出来ないという、複雑な顔をしていた。丁度、放送中のアニメのあらすじをあれこれ予想し合っている時に、原作を読んでいて先を知っているのだが無粋と感じて口を出せないというような…いや、そんな上品なものじゃないな。母親が妹にばかり世話を焼き寂しくて構って欲しいのだがプライドが邪魔をして自分からは言い出せないような顔だ。…俺の実体験じゃないぞ。
 放課後の団室で俺と長門が話しているのを体に穴が開くんじゃないかというくらい見つめていたので、また下らないことを考えていやがるなとアタリをつけたがドンピシャだったらしい。
 どうやら古泉は、自分のことをポーカーフェイスが得意なスタイリストだと思っているようだ。
 あれだけじっとりとした目でみつめておいて、心のうちが晒されていないと思っている。視線を受けた方は焦げるんじゃないかってくらい痛いってのによ。
 今回だって「長門に罪はないだろう!」と思わず庇い立てしたくなるほどの分かり易い視線を向けていたというのに。
「なん、で…っ…」
 それを聞くか?どうして分かったかだと?分かるさ、そりゃ。ダダ漏れだっての。
「あなた、もしかしてエスパーですか?」
 よほど自分を過信しているらしい。古泉の目はかなり真剣にその可能性を考えていた。…アホか。
「この世に超能力が存在するのは否定せん。超能力者が居るってのはお前で実証済みだし他のタイプのエスパーが居ても不思議ではない。だがそれは俺ではない誰かだ」
 そんな回りくどい言い方は俺ではなく古泉の専売特許で、冷静な時なら3倍の長さで反論もしくは追従口を並べ立てただろう。だが古泉は混乱しきって口をぱくぱく開閉させるばかりだ。…そんなに驚くことか?
「ですが僕は…、僕のこの仮面は他の人に見破られたことはありませんし、機関の内部でも定評があります。そんな細部まで僕の思考を見破られるだなんて、考えられません!」
 …ああ、そういうことか。まあそうだな、確かにそれはお前だけの所為じゃないかもしれん。
 それくらい分かれ!と無視を決め込もうかと思ったのだが、古泉が余りにショックを受けているのと、こいつの悲観的性格からすると、放っておくと何時までもそこに辿り着けないんじゃないかという懸念から、歩み寄ってやることにする。
「見てるからだよ」
「え?」
「俺が長門の僅かな表情の違いからあいつの思っていることが分かるのは、長門のことを気にかけて見続けてきたからだ。同じことだ」
 長門の無表情を読む以上に、俺は誰よりもお前の事を見ていた、だから分かるんだ、嫉妬なんかするんじゃねーよ、このアホが。
 そう耳元で囁いてやると、察しの良い色男は、奈落に落ちる寸前に天界へ引き上げられた罪人のように、分かりやすい喜色を浮かべて一瞬にして立ち直った。