古泉一樹が出来るまで



「無理ですね」
 プロジェクタの電源が落ちて作動音がまだ消えないうち、僕はにこやかな笑みを浮かべてきっぱりと告げた。
「私もそう思います」
 機関が間借りしている小会議室の電動式カーテンを操作しつつ、眉一つ動かさず間髪入れずに森さんはそれに同意した。
「他に適任は居ないのですか?近隣の出身者で…」
「年齢が合致するものがおりません。二十歳過ぎたおっさんに学ランを着せるわけにはいかないでしょう」
「あれ?北高はブレザーだったと記憶していますが」
「言葉のアヤです。揚げ足を取るのはおよしなさい。とにかく、古泉一樹、あなた以外に欠員を埋められる人間はいないのですよ。諦めて北高への転校準備を進めて下さい」
「…任務は、涼宮ハルヒの監視、ですよね?」
「そうです」
「なるべく穏便に、目立たぬように。彼女には気取られぬよう、環境に馴染み、影のように潜みなさい、と」
「そうです」
 その指令の含む困難さに思わず失笑する。
「人がある社会において目立たないよう埋没するには、その環境に合った所作が必要となりますよね。
 他人と交わらず、発言,行動を控えめにしても埋もれてしまうわけではない。場所柄によっては悪目立ちして逆効果となります。今回はまさにそれです。あそこにおいて『目立たない』為には逆に周囲に合わせた行動をしないといけません」
「正確な分析ですね、さすが古泉」
「褒められても嬉しくありませんよ。
 …で、僕は大阪弁は話せないんですけど?」
「大阪弁ではありませんよ。関西圏ですが一括りにできるものではありません」
「どっちだって一緒ですよ。つーかどう違うんですか、僕には同じにしか聞こえませんけどね!
 当然、話し分けもできません。一週間やそこらレクチャーを受けても使いこなせるようになるとは到底思えませんが」
「ソツのないあなたでも無理でしょうね。関西を舞台にしたドラマで関西圏以外の役者が話す関西弁はネイティブに言わせると殆どが『あんなもん関西弁じゃねー!』だそうですよ」
 私には十分関西弁に聞こえますがね、という森さんの言葉には同意する。どう違っているのか僕にも全く分からない。聞いて分からないのに話せるわけがない。
「よし言葉は口数の少なさと出身が違うということで誤魔化すとして、彼らの生態は何なんですか!あれ!」
 先ほどまでスクリーンに映し出されていた「関西人の人となり」という一時間に及ぶビデオを思い返す。北高に転校する準備、前情報として見ておくようにとのお達しだったのだ。それを見て、お前が潜むところがいかなる場所か知れ、と。大阪在住の機関員がホームビデオで製作したそれは、作りはチープだがえらく内容は濃いものだった。
「『赤信号でも車が来なければ止まってはいけない』は百歩譲って良いとして、『同じく、人が通らなければ車も赤信号では止まらない』ってどういうこと?治外法権?道路交通法は何処に行ったんですか?
 ボケとツッコミがあるというのは知っていましたが、あらゆる会話で導入されるって冗談じゃない!その上ノリツッコミ?何それ。漫才しながら日常生活送っているわけですか!
 吉本のギャグは最低ここ5年分はビデオを見てチェックしておけ?日常会話に自然に混ざるから?それこそギャグ?
 食べ物にしても!お好み焼き定食だのうどん定食だの、炭水化物だらけのメニューが常食として浸透している…って頭おかしいんじゃない?バッカじゃん?」
「古泉、それもNGです」
「はい?」
「『バカ』は使ってはいけません。あちらでは最大の侮辱となります」
「…え、でも僕、『バカ』は…」
「口癖ですよね」
「ええ、でも本当にバカにしているわけでなく、親愛の情の一環としても…」
「それに相当する言葉は『アホ』ですね。言い間違えると血を見ますよ」
「…『アホ』…、なんて間抜けな…」
 僕は泣きそうな気持ちになる。
 毎三食にお好み焼きやたこ焼きを食べ、急いでもいないのに赤信号の歩道を渡り、クラスメートと朝の挨拶をするにもボケとツッコミに留意し、日々送られる機関からの資料に加えて吉本新喜劇のビデオをチェックし…。そんなことをこれから、環境に埋没する為だけにし続けなければならないというのか。そんな行動で埋没してしまう、ある意味閉鎖空間より奇異な社会に飛び込まなければならないというのか。
 人の顔色を伺いつつ周りに合わせて擬態し生きるのは昔から苦にならない性質だった。むしろゲームのように楽しんでやっていた。どんな環境でもソツなく馴染める、そう思っていた。でもとんだ取り違えだった。自分を良く見せる擬態はできても三枚目になる擬態は無理だ。ごめんなさいできません、僕は存外見栄っ張りな性格なんです、無理です、許して下さい…。
 呆然とする僕を哀れに思ったのか、森さんはいつにない優しい苦笑を顔に浮かべた。
「仕方ありませんね、その方向は止めにしておきましょう」
「…と、言うと?」
「周囲に馴染むことにより目立たないという方法は採用いたしません。
 古泉、あなた普段私たちに使っている丁寧語を常態とすることが可能ですか?」
「いつも丁寧語で、ということですか?」
「そうです。いつでも、誰にもです。同級生に対しても目下のものに対してもその言葉遣いと慇懃な態度で接するのです」
「…まあ、コメディアンになれというよりは可能ですが…、それ、目立ちません?」
「古泉一樹という個がそういうものだと周囲に認識されてしまえば案外溶け込んでしまうものです。同胞の中から異分子を取り出すことはどんな素人でも容易ですが、元から自分たちと違う異端のものの中から偽りと誠を嗅ぎ分けることは困難なものです。個として違和感を感じさせなければ埋没することはできるものですよ。
 あなたは古泉一樹としての個を『誰にでも慇懃でちょっと距離のある地方からの転校生』に固定した上で、そこからはみ出ずでしゃばらず細心の注意を払って下さい」
「…了解しました」
 それがはたして目立たないことに繋がるのか、周囲に溶け込むことから外れはしないかと疑問だったが、じゃあ今から関西弁をマスターし、漫才の練習をしろと言われるよりいくらかマシだったので、あえて突っ込まず受け入れることにした。それで失敗しても責任は森さんにあると思うと気も楽だった。




 …と、いう経緯が北高に来る直前にあったわけですが、実際は埋没する間もなく涼宮さんに発掘され当初の計画はあっという間に水泡に帰しはしたものの、涼宮さんの望む「謎の転校生像」にディテールが一致しており結果オーライでして、ついでにこの性格設定は僕の性に合っていたらしく、続けていくうちに苦にならなくなったどころかこれこそ素の自分でないかというくらい馴染んでしまいましたし、ここでの生活では全く期待していなかった素敵な恋人ができたのもこの僕だったからだと思えば良いこと尽くめなんですけどね。
 …って軽い告白をサブリミナルで混ぜ込んで思い出話をしたというのにどうしてこの人は頭を抱えてテーブルに突っ伏しているのですかね。
「…古泉、あのな…」
「はい?」
「お前ら関西に対して何か偏見を…」
「いえ!あのビデオは大げさだった、もしくは北高周辺では完全には適応されないことは今では分かっております。信号を守る人は多いですし、炭水化物定食も存在はしますが常食ではありません。ボケとツッコミも適宜ですし、あえて身構えなくてもあなたがいつもツッコミを買って下さってます。「ドアホ」とか「いてこましたろか!」とか、実はあまり使われる言葉でないことは今ではすっかり分かってますよ!」
 そこまで僕は浅はかではないと胸を叩くのに、この人は更に頭を抱えた。
「いや、というかそもそも…」
「?」
「…や、良い。おいおい分かってくるだろうよ。いや、分かってくれ」
 そう言って僕の肩を強く叩いた彼の顔には何故だか深い哀れみと諦めが刻まれていた。



冬コミ合わせの本に載せようかと思ったんですが、いまいちしっくりこなかったので没ったネタ。ネタがどうこうより、コメディタッチのテンポがとりわけ下手なんだと思いますが。
一応フォローしておきますが、「ビデオを製作した機関員」は関西人らしく、ネタをふんだんに使ってシャレで撮影いたしましたのでした。