ウィークポイント 高校生活も二年目に入り、そろそろ梅雨も明けようかという蒸し暑いある日、「今年の夏休みは富士山でご来光なんてどうかしら!」と言ったハルヒを、古泉が断固として、かつ、全力で止めた。 もちろんこのハルヒの意向に沿うを至上の任務とするイエスマンは真っ向から反対したわけでなく、「ハードワークですので体力に不安のある女性(はっきりとは言わなかったが朝比奈さんの方をちらりと見た)にはかなりの苦難を伴います」だの、「途中の宿泊施設は設備が酷いです」だの言葉を選び、あくまでハルヒの意思で提案を撤回させるように持っていったのだが、古泉にしては珍しく僅かな賛意すら示さなかった。 最終的には「昨今の登山ブームでシーズン中富士山の山道は春休みの異人館通りなみの混雑だそうです」という言葉で、他人に追従するを嫌うハルヒの性質を刺激し回避に成功した。 俺自身は自他共に認める文系で、登山なんぞ日々の通学で十分、わざわざ交通費をかけて疲れに行くなぞ馬鹿らしいと思っている質だからその帰結に是非はなく、富士山どころか鶴屋邸の裏山登山でも息を切らしておられた朝比奈さんは、目を潤ませ古泉に感謝の込もったキラキラの視線を注いでいた。…騙されちゃダメですよ朝比奈さん、こいつはあなたの為にしたわけじゃありません。むしろダシにされたんですよ。 付き合いの深さに正比例してこいつの本当の表情が読めるようになっていた俺は、古泉が笑い仮面の下で冷や汗を拭き安堵の息を吐いたのがしっかと見えた。 「登山、嫌いか?」 その日の帰り道、ハルヒたち三人娘から5mほど遅れて肩を並べ歩きつつ聞く。ハルヒ至上主義のこの男が、例のはた迷惑な不思議パワーとは無関係な状況で何ゆえああまで頑なに反対したのか、その理由にやや興味があった。何かごっついトラウマでもあるんだろうか。例えば青木ケ原で両親の無理心中につき合わされそうになったとか。ないな、と思いつつそれくらい普段の古泉からは考えられない態度だったのだ。 涼やかな目元の好青年は、軽く苦笑し気取って肩をすくめてみせる。 「嫌いというより不得手ですね」 はあ?登山なんてただ歩くだけじゃないか、得手も不得手もあるか。 「あなたにはお分かりだと思ったのですが」 心外です、と心底驚いたように返されることこそ心外だ。確かにお前との仲はここ数ヶ月で人には言えないほど深くなったがそれでも知らないことは多い。お前は秘密だらけだし俺は人が隠そうとしていることを暴きたがる趣味はない。特殊な環境の所為で人の個人情報にかかることをあまり言及しない癖もついてしまった。それに二人きりの時は言葉より情動が先に来ちまうティーンエイジだ、趣味嗜好の類より体で感じるイイ場所の方が数は多く知っている気がする。…って何を言わせる。 とにかく、お前から山登りが苦手だなどという話は聞いたことはなかったと思うが。 「そうではなくですね、…あなたは僕の食生活はご存知ですよね」 あああの、晩飯がコーンフレークと牛乳だけとか、朝はカロリーメイトを食えば良い方だとか、自炊しない癖に外食嫌いで食に執着がなく何より大事なのは手っ取り早さでカップめんよりむしろインスタントの袋麺を好みその理由ってのが「平たいのでそのまま食べ易い」という言語道断な、“生活”というには生きとし生けるものにあまりに失礼なアレな。 俺がわざわざ家から持っていってやった食い物でも、テーブルに並べて一緒に食卓に着くなら食うが、置いて行こうものならものによっては手も付けず、折角自分の取り分を我慢してまで分けてやった近海もののレアな八目の塩焼きを「食べにくいから」という理由で放置し痛ませた………なんか思い出して腹立ってきたぞ、おい! 「その節は大変な失礼を…。ですがあれはあなたも悪いんですよ。あなたが手ずからお持ち下さったものは何であれ勿体無く、おいそれと消費できない僕の気持ちを分かってらっしゃるくせに。折角いらして下さったのにそそくさと帰ってしまわれた、つれない恋人のことを思って食べ難く眺めているうちに痛んでしまったというわけで」 「けど肉の時は食ったよな?」 「…ええ…、まあ…」 「ぶっちゃけ、骨を取るのが面倒だったんだろーが!」 「…否定はしません」 ですがちゃんと別のおかずにさせていただきましたのでと品のないことを抜かす口を捻りたい衝動を抑え、腹立ち紛れにふくらはぎを蹴り上げた。痛いですよという恨みがましい抗議は無視する。爽やかな顔をしているくせにこの男は年相応の下品さを持ち合わせている。いや、もっとタチが悪い。機関という社会の中で大人たちに囲まれて過ごしている所為か、言い種がどうにもオヤジくさくて時々居たたまれない。 「で、それが!?」 「あんな食生活をしている僕が、登山に耐えうる持久力を持っているわけがないでしょう。自慢ではありませんが、1時間程度の体育の授業や神人退治くらいでしたら瞬発力でクリアできますが、数時間…下手をすると十数時間に及ぶ運動を完遂させる体力は持ち合わせておりません。富士登山なぞ試みた折には、六合目に着く前に息を切らし地面にへたり込んでしまい、涼宮さんのイメージを崩してしまいますよ、間違いなく」 ………非常に納得だが威張って言うことか、古泉よ。運動能力は問題ないのに長時間持続しない、しかもその原因が食生活と断言できると言うのは不摂生と怠惰を公言しているようなもんだろう。 しかしそう言われてみれば確かに古泉には富士登山をする持久力はあるまい。であれば先ほどの言動にも納得がいく。俺ならば途中でへばってもハルヒは「だらしない!」で済ますだろうが、古泉の場合はヘタレを予想していない。醜態を晒すわけにはいかないのだろう。難儀なことだ。 まあ何であれ、完璧なものというのは情緒に欠ける。こいつにも一つくらい欠点があっても可愛いとは思うが…って一つどころじゃないよな、こいつの欠点は。しかも欠点というより欠陥と言っていいほど他の全ての美点を消してしまうレベルのえげつないものばかりだ。百年の恋でも冷めておかしくないってのに何でこんな男に惚れちまったんだ。 黙りこんだ俺をどう思ったのか古泉がしたり顔で頷く。 「あなたのおっしゃりたいことは良く分かります」 そうか?なら一つでも欠点を減らすべく今日からでも食生活改善をし、持久力の向上を…。 「持久力がないというのに何故セックスの時あなたより元気か、ということでしょう? ですが欲望というものは持久力よりむしろ心の問題でして、あなたを思う気持ちの強さが長時間の行為に及ばせるわけです。また、体の負担という意味ではあなたの方が大きく、僕より早く根を上げたからと申しまして、決して体力がないわけでも、また、僕への想いを疑うものではありません」 「…黙れ…」 「ですがもしあなたが回数が少ない等とご不満でしたら、僕の方も…」 「黙れと言うとろう!このボケが!!」 ほんのちょっとでも「本質とは違う自分を演じないとならんのは大変だな」と思った俺がアホだったよ。こいつはもっと自分を作った方が良い。ありのままを曝け出させると、顔は良いけどそれ以外は残念な可哀相なヤツになりかねん。ハルヒ思う所の「理想の古泉」は現実的には有り難いものかもしれんが、素のこの男より余程健全で健康な男子高校生像だ。 「そんなに照れなくても」 どうしてそうなる!公道で何のきらいなく口にするその無神経をどうにかしろ! いたたまれなさ半分、腹立ち半分でこのアホに一釘刺してやりたく、先行く暴君に駆け寄った。 「おい、ハルヒ!」 「何よ!」 「富士登山はナシにしても屋久島散策はどうだ?縄文杉見に行こうぜ。富士山ほど人は多くないし、自然がそのまま残っていて天然記念物級の動植物も多いってさ。未発見の珍種にも出会えるかもしれないぜ。SOS団の探索には持ってこいじゃないか?」 「…キョン、あんたたまには良いこと言うじゃない!屋久島散策…うん、面白そう!古泉君、早速合宿プラン練ってちょうだい!」 イエス以外の返事があると思ってもいない独裁者は古泉の答えを待たず、屋久島について長門や朝比奈さんに早速レクチャーし出した。富士山は知っていても屋久島がいかなるところかご存じないらしい朝比奈さんはにこにこ笑っておいでだ。…すいません朝比奈さん、歩き疲れたら手を引きますし荷物も持ちます。何ならおぶっても構いません。お付き合い下さい。 心の中で朝比奈さんに手を合わせていると、後方からどす黒いオーラとともに、怪談本で使われそうなフォントで低い声が押し寄せてくる。 「…どういうつもりです…?」 なに、都会の喧騒を逃れて大自然に触れてみたくなっただけだ。 「よくもそんな白々しい…、このタイミングで言われてそうですかと納得するとでも?!一体僕に何の恨みが!」 恨みは特にない。これを機に食生活の改善を図り健全な肉体を作ってみまいかという親切心からだ。今後の団活の為にも損はないだろう。 「言っておくが今回は覆らんぞ、俺が賛成するからな。一辺見たかったんだよな、縄文杉。ちゃんとルートに入れてプラン練ってくれよ、副団長さん」 縄文杉コースは往復10時間の山道を知ってか知らずか、古泉の頬がひくつく。 ま、今から鍛えれば夏休みまでに多少は成果は上がるだろう。体力をつけてたまには俺に惚れなおさせてくれ。 その後↓ |