お前が謎すぎるのがいけない 時計の針は6時30分を指していた。約束の時間は6時。 外ではこの地方では珍しいことに雪が降りしきり風も出てきている。屋根こそはあるが吹き曝しの場所だ。ただ立っているだけでは寒さが染みる。体もだけれど心も冷えてくる。 彼は、まだ来ない。 プロレスのチケットを貰ったので一緒に行きませんか?と誘ったのは先週のこと。 見に行きたかったんだよと彼は目を輝かせてノってきた。 凄い取りにくいチケットだぞ、一体どうしたんだ?と興奮気味に聞いてきたのを、そうなんですか?僕はそういうのに疎くて。戴き物なんですよといつもの笑顔で返した。 彼がクラスメイトとこの試合のことを話題にし観戦したいよなと談笑していたのをたまたま見かけ(決してストーキングではありません)とあるツテに頼み込んで、結構な借りを作って手に入れたのだけれどあくまで偶然を装った。彼にはまだ僕の下心に気付いてもらいたくはない。 「あ、でもその日は俺は用事が…」 「え!?行けないんですか?」 折角苦労して手に入れたのに…と、一瞬目の前が暗くなりかけたが彼は暫く思案した後頷いた。 「や、そっちの用は夕方までには終わる。いや、是非とも終わらせる。だから大丈夫だ。 ただこっちに戻ってくる時間はないから外で待ち合わせよう。…そうだな、6時に神戸でどうだ?」 「仰せのままに」 連れ立って出かけられないのは残念だけれど、外で待ち合わせるというのもなかなかのシチュエーションだ。僕に是非が有ろうはずがない。 それに、僕とのデートの為に予定を調整してくれるとは感激だ。 …え?えーえ、分かってますよ。彼にとって大事なのは“僕と”でなく“プロレスを”なんだってことくらいね。でもちょっとくらい夢を見たって良いじゃないですか。 神戸に、6時、神戸に、6時。 呪文のように何度も唱え、カレンダーに大きく○を付け、僕はその日を本当に楽しみにしていた。 神戸に、6時。改札口を出た所で。 …ここでオチが読めた方、いらっしゃるかもしれませんね。 待ちに待った約束の日、僕は万一の電車事故をおそれて余裕を見て家を出た所為で、一時間も前に神戸駅に着いてしまった。 流石に早すぎるからどこかで時間を潰そうとぶらついたのだけれど、こうしている間に彼が早く着きすぎたら…と思うと気が気でなく、結局30分も前からどこかの忠犬よろしく、改札口で彼を待つことにしてしまった。 電車が到着し、人が降りてくる度目を凝らすのだけれど彼は来ない。 10分前くらいまでは「こんなに早く来るはずがありませんよね」と自分に呆れつつ、それから時間までは「もうそろそろ来るかも…」と、時間を過ぎた後は「今度の電車で来るに違いない」と思いつつ。 それでも彼は来なかった。 15分を過ぎた辺りで流石に遅すぎだと思って携帯をかけたが「電波の届かない所か電源をお切りか」で通じない。 雪が降っている。風が吹き込む。心が寒い。 僕はどんどん不安になっていく。 すっぽかされた…はないだろう。チケットは2枚とも僕が持っているし彼はとても楽しみにしていた(プロレス観戦を)。日付を確かめるが今日で間違いない。 場所を間違えた?そう言えば彼は不審なことを言っていた。「改札は三つあるから中央で」と。けれどもこの駅には改札は一つしかなかった。駅員さんに聞いたけれど改札はここだけだという。 何か事情があって来られなくなったのだろうか。 それにしても電話くらいあっても良いはずだ。 まさか電話が出来ない事故にでも巻き込まれたとか? 青ざめた顔で倒れる彼の顔が脳裏に浮かぶ。…まさか! どんどん怖い考えになっていき、もう半ば泣きそうになった6時40分。 「居た!古泉!!」 彼が改札口をダッシュで駆け抜けて来た。随分走ったのか、この寒さだというのに息が切れ額に汗が浮かんでいる。 一瞬にして僕の心は氷解した。 来てくれた。彼が来た。ああ、怪我とか事故とかじゃなかったんだ…良かった…。 「どうされたんです?」 泣き出しそうになるのを押さえてなるべく優しく問う。僕は全然気にしてませんよ、と。だってこの状態ならどう考えても悪いのは彼だ。僕のミスではない。 「携帯…充電切れてて…、連絡出来な…」 「落ち着いて。まだ十分間に合いますから。何か事故ども?」 真面目な彼のことだ、よっぽどの事情があったのに違いない。 「あー…。三宮で待っていた。時間過ぎても来ねぇからおかしいなって思って、もしかしたら…って慌ててこっち来たんだ」 …は?…三宮って、あの三宮? 「…あの、待ち合わせは神戸でしたよね?」 「神戸だよ」 「じゃあ何で三宮で…」 「こっちの方で“神戸”っつーたら三宮のことなんだよっ!」 …はあっ?何ですかそれ!神戸なのに三宮? あっ、なんですその顔は!何でそんな責める目で見られないといけないんですか!僕がいけないんですか?神戸で待ち合わせと言われて神戸駅で待っていた僕が!? 「神戸は神戸じゃないですか!神戸と言われて三宮には行きませんよ!」 「三宮なんだよ!神戸と言えば!こっちではそれが常識なんだ!」 「………」 …そんな…そんな非常識な…、…地域限定の常識…。 呆然としている僕に、彼はしみじみと深い息を吐いた。 「お前、こっちの人間じゃないんだな」 ええ、まあ、そうです。でも隠しているわけじゃない、そのうち話すと思います。…ただあまり積極的に上らせたい話題じゃあないので。 「地元のヤツなら間違わねぇよ。 あー、要らん体力使った。ほら、行くぞ古泉。手間かけさせたんだから晩飯おごれ」 …え?そりゃ食事くらいおごりますけど、これは僕のペナルティなんですか?神戸で待ち合わせてと言われて三宮に行かなかった僕が? 「余所モンだって知っていたら俺もちゃんと確認したさ。 そりゃ確かめなかった俺にも落ち度がないとは言わんが、知らせていなかった方にも問題があるだろう?」 雪の降る寒空の下1時間以上待っていた僕に優しい言葉一つなく、そう糾弾した上、最後に一言。 「それもこれも、お前が謎過ぎるのがいけない」 …その言い種はあんまりじゃないですか?ねぇ!? 古泉君出身地捏造すいません。 数年前の私の実話です。ヤツは私がジモティーでない事を知っていたくせに…。(つーか金沢からイベント旅行に行ったんだっつーの。)昔の話なんで、今も環境(改札口の数とか)が同じかどうかは知りません。 ちなみに、その後「神戸といえば三宮は常識か」と何人かに尋ねたところ、関西人はほぼ「常識」と答え、その他の地域の人間は「常識ではないが言われれば納得」という人が多かったです。関西人の地元ルールにはみなさん寛大な気がします。 |