花の時代 「ごめん。タイプじゃないんだぁ」 そう言うと目の前の男子はちょっと意外そうに目をしばたかせて、強ばった微笑みを浮かべた。 名前も知らない隣のクラスの男子。ちょっと良いってみんなが騒いでいたのは知ってるけど、どこが良いんだかさっぱり分からない。頭が良くってハンサムだって。そりゃテストの成績はトップクラスだけど、学校の勉強が出来るだけじゃない。そういうのは頭が良いって言わないじゃん。頭良いって言うのはね、学校の勉強が出来なくても何か困難なことがあった時状況を正しく分析して対策を講じられる人のことだと思うな。でもこの人、教科書と外れたことされたら対応出来ないタイプだと思うよ。 顔も、主観的な好みの問題だから人の意見にケチを付けるのは気が進まないけど、別にそんなに良いと思わない。確かにジャニーズ系だけど、この手の整った顔ってあんまり食指が動かないんだ。私はもっとこう、ぱっと見は地味でも毎日見ていて飽きない表情の豊かな人の方が良い。 あーあ、なんかつまんないなー。 高校入れば楽しいことがいっぱいあるって思ったのに、全然。 勉強と、お洒落と、お菓子と恋話。そんなのばっかり。平凡。つっまんない。 宇宙人とか未来人とか異世界人とかがいきなり現れて学園活劇でも起こると良いのに。既存の世界観をぶっ壊してくれる、なんかこー、ぱーっとした出来事が起こらないかな。 仲良し三人グループでお弁当を食べつつそういう話をしていると、友人Aが盛大に顔を顰めた。 「何アホな事言ってんの、アンタは!」 心底呆れた顔しなくて良いじゃん。 私だってそんなことが本当にあるって思ってないわよ。ただの空想じゃない。 「余計悪い!若い身空で行動せず頭ン中だけでごちゃごちゃやってるのは不健全だし非生産的だね!それより素敵な彼氏を作る方がよっぽど楽しいぞ?異性と付き合うのって幅が出るよ。アンタはそうやって付き合いもしないうちから相手にダメだしするけど、すっぱ切れるほど経験ないだろうに!ただの頭でっかちだ!試しに誰かと付き合ってみそ?アンタの知らない世界を見せてくれるってもんよ」 言ってくれじゃん。 私もそう思うけどさ、それにしても相手は選びたいじゃない?器のちっちゃい人と付き合っても底が知れてるもん。 「こいつ…、学年三本指に入る優良物件を器が小さいだとぅ?しかもアンタ!この間美作先輩にも告られたけど断ったって話じゃん!美作先輩と言えば北高きっての秀才にしてナイスガイ、スポーツも出来りゃ家も大病院のお坊ちゃんという、付き合いたい男ナンバーワンの座に三年連続輝いているランク特Sの上玉だぞ!なんて勿体ない!!」 だって告白の言葉が「君みたいにユニークな子と一緒だと楽しいだろうね」よ?自分は平凡だって言ってるようなもんじゃない。そっちは楽しいかもしれないけど私は楽しくないっての。 それに、ナンバーワンっても所詮北高レベルだし。 「くわっ、何こいつ、むっかつくー!」 「…まあまあ、悪気はないんだから」 そう、ないの。本気なだけ。 口を尖らせていると10年来の親友がやんわりと私をかばうように仲裁に入ってくれた。 でも何でそんなにおかしそうに笑うの? 「この子はダメよ。すごいブラコンなの。お兄さん以上の人じゃないとなびかないから」 「何、そんなに格好良いお兄さんなの?」 その言葉で友人Aの関心は私の兄貴に移る。 ちょっと反論したいぞ?そりゃ私は兄貴が好きだけど、そこまで盲目じゃないよ。私にとっては最高のお兄ちゃんだけど、自慢できるような特技がない普通の人だぞ。兄貴以上に良い男って星の数ほど居ると思うよ。あ、それじゃ人類の総数上回っちゃうか(笑)。 「んー、ハンサムとは違うけど、凄く包容力があって優しい人。とっても頼りになる人よ」 …冷静な意見をありがとう。正しいけど微妙に引っかかるな。結構顔も良いと思うんだけどなぁ、うちの兄貴。そんなこと言おうものならもっとブラコン扱いされるから黙ってるけどね。 隕石が落ちてくることも津波が押し寄せることもなく、一日が終わった。 本当に毎日が平凡だったらありゃしない。 高校生活って全然面白くない。お兄ちゃんはあんなに楽しそうだったのになぁ。 不機嫌なまま家に帰ると玄関に見慣れた運動靴を見つけた。現金なことに、途端に気分が浮上する。 「キョンくん、来てるの?」 玄関から声を張り上げ階段を駆け上がり、今では殆ど無人のその部屋のドアをノックもせずに開けると、兄貴は「みつかっちまった」という不機嫌な顰め面をして額に手を当てていた。 あー、さては私に会わずに行っちゃうつもりだったな!一ヶ月ぶりなのに、ひどーい! 「人の部屋に入る時はノックをしなさいと何度言えば」 「良いじゃん、兄妹なんだから。キョンくん今日学校は?」 「兄貴をニックネームで呼ぶのも止めなさい。高校生にもなって子供っぽい」 「だってキョンくんはキョンくんじゃない」 私だって子供っぽいって思ってるよ。だから人の前ではちゃんと兄貴とかお兄ちゃんとか言ってるもん。でもキョンくんを前にしちゃったら、キョンくんはキョンくんでしかなくなるもん。 それにキョンくんの所為でもあるんだよ?そう呼ぶ度嫌な顔をするから面白くて止められないんだって分かってないのかな。 この大間抜けなニックネームは、お祖母ちゃんが命名者だけど私が広げたもの。口にした時の響きの面白さに子供特有の依怙地さと図々しさで呼び続けているうちに家族どころか友人全般にまで広がった。つまり、私の功績。キョンくんはそれを不覚そうに語るけど、私からみれば武勇伝だ。だってこんな可愛い呼び名そうないよねぇ? 数年前、キョンくんが高校生の時までは本名で呼ばれることの方が少ないくらい浸透していたけど、今は“キョンくん”と呼ぶのは私だけらしい。県外の大学に行っちゃったから布教が出来なかったわ。残念!絶滅の危機にさらされているこの呼び名、せめて私だけでも守らないとね! でも薄情〜。そばに居る誰かさんはこの崇高な意志を継いでくれても良いのに。呼んでキョンくんに嫌がられたくなかったのかな。 「古泉くんは来てないの?」 「何故一緒に来なきゃならん」 「ええ〜、だって一緒に住んでるんでしょ?ルームメイトの実家に挨拶があっても良いじゃん?」 「俺は忘れ物を取りに来ただけだ!」 「それでもさ〜。キョンくんの大学生活とか知りたいし、私古泉くん大好きだもん。会いたいよ〜。今度連れてきて?」 「………」 腕にすがってねだるとキョンくんは違う意味で困った表情を浮かべる。あは、その顔も可愛いなぁ。 …キョンくんは私が古泉くんとのこと知らないと思ってるんだ。「違う大学だけど近くだから経済的な事も考えてルームシェアする」って古泉くんと同居しているけど、実は二人は“すっごい仲良し”で“同棲”してるんだってちゃんと知ってますよぅ。恋人同士なんだよねー。へへ。私が知ってること、古泉くんも知ってるよ〜。 キョンくんは知らないけどね、むかし私、古泉くんが眠っているキョンくんにこっそりキスするの見ちゃったんだー。私はまだほんの小学生で疎かったからあまり意味が分かってなくて、「古泉くん、キョンくんを好きなのぉ〜?」と無邪気に聞いたっけ。古泉くんはちょっとしまったという顔をしたけどあっさり認めた。「そうなんですけど、内緒にして下さいます?キョンくんには自分で言いたいですし、他の人に知られるのも恥ずかしいので…」と立てた人差し指を唇に当ててウインクした。その仕草がとても様になっていて、このハンサムな年上の人と秘密を共有出来るのが嬉しくて思い切り頷いたっけ。その時した指切りの、大きくて骨張った小指の感触をいまだに思い出せるくらいだ。 その時はどうやらまだ古泉くんの片思いだったみたいだけど、暫く後の雰囲気で「両思いになったんだな」って分かっちゃった。それとなくだけど古泉くんの言質も取ったし。 お兄ちゃんの恋人が男の人だっていうのは常識的に考えると嫌なことかもしれないけど、私は平気。レンアイをろくに分かっていない子供の頃に刷り込まれちゃったからかもしれない。素敵なお兄ちゃんが一人増えるくらいにしか思ってなかったもん。それに、キョンくんと居る時の古泉くん、古泉くんと居る時のキョンくんがとっても自然で幸せそうだったから、この二人はそういうもんだって思っちゃったのかも。 古泉くん格好良いし、下手な女に大事なお兄ちゃんを取られるよりずっと良いしね。 だから私は古泉くんをキョンくんと並ぶ自慢のお兄ちゃんという意味で好きだし、キョンくんのいろいろなことを聞きたいからお話したいと思っているのにキョンくんは勘違いしているみたい。兄妹で古泉くんを取り合うことになるかも…って?あは、大丈夫だよぅ。私はそういう意味では古泉くんを好きじゃないし、第一古泉くんは絶対キョンくんを選ぶもん。 「…高校生活はどうだ?慣れたか?」 あ、話を逸らしたな。まあ良いけど。キョンくんとお話がしたいから。 どちらともなく居間に降り、椅子でくつろぐ。へへ、すぐ行っちゃうのは諦めてくれた? 「半年もいれば慣れるっしょ。友達もいっぱいできたし美代っちも同じクラスだし。あ、そういえば美代っちがね、今日キョンくんのことを『ハンサムじゃないけど頼りになる人』って言ってたよー」 「どういう状況でそういう話題になるんだ、君たちは!…美代吉、元気か?」 「うん、元気。最近美人に磨きがかかってね、北高のマドンナだよ。でも綺麗すぎて気後れされるのかな。彼氏とかはいないみたい。私の方が申し込みが多いんだよー。今日も隣のクラスのイケメンに告白されちゃった」 「お前に言い寄るとは余程奇妙な趣味の持ち主だな」 悪態を叩いたけど、キョンくんの顔色が一瞬大事な妹を思う兄バカの顔になったのを見逃さない。 「ユニークだって言われたよ。男の人も自分の顔が良いと相手に容姿を求めないのかもね」 ちょっと自虐的に肩をすくめてみせるとキョンくんは一瞬逡巡して困ったような顔をした。5つも年上の男の人に向かって何度も何だけど、その顔、とっても可愛いと思うよ。 「…あー、何だ、お前も十分可愛いと思うぞ。美代吉とベクトルが違うだけで」 …キョンくんのこういうところは凄いなって思う。男の子らしくそうそう素直に胸の内を口にしないけど、ここぞと言うところではちゃんと言ってくれるもん。世の男共よ、見習いなさい! 私の機嫌のパラメータはこの時MAX振り切ったわね。 「キョンくんも格好良いよ。古泉くんとはベクトルが違うけど」 へっへ、と笑うとキョンくんは照れを隠した顰め面で「兄貴をからかうんじゃない」とコツンと頭を叩いた。「痛いなぁ」とぶーたれるけど、当然、ちっとも痛くなかった。 「成績も良い方だよ。岡部先生が『兄貴と違って出来が良いな』だって」 「まだ居たのかあいつは」 県立にしては長いみたいね。キョンくんがいた頃とそんなに変わってないかもよ。 …でも、ね。 「でもさ、なんかすっごいつまんないの。平凡で日々だらだら過ぎて行く感じ。もっとこー、いろんなことがあると良いのに」 「普通が一番です」 子供に言い聞かせるみたいな口調しないでよ。 でもキョンくんのこの言葉には何故か説得力がある。波瀾万丈の人生を送って来た人が老後に言う言葉みたい。しみじみと、きっぱりと言う。そんな波のある生き方はしていないと思うんだけど。まあ、男の人が恋人ってのはちょっと普通じゃないかな。 「キョンくんが高校生の時、私よく遊んでもらったよね。(あ、『お前が勝手に割り込んで来たんだろう!』って顔した。) ハルヒちゃんとかみくるちゃんとか有希ちゃんとか古泉くんとかと一緒に海行ったり山行ったり。 私、すっごく楽しかったし、キョンくんたちも楽しそうだったじゃない。高校生になったらこんな毎日が過ごせるんだって楽しみにしていたのになぁ。全然なの。何でかな?」 子供だったから。お味噌だったから。個性的な人たちばかりだったから。 誰に聞いてもそういう答えが返ってきて、私もそう思うのだけど、そんな簡単な理由で納得するのはあの時代を不当に色あせてさせてしまう気がする。 その時の私はすごくぶすったれた顔をしていたと思う。本気で不満だったのだ。キョンくんと同じような高校生活が送れていないことに。 キョンくんは呆れた顔で「お前なぁ」とため息を吐いてそれでも優しい目で私を見た。 「一所懸命だったからだよ」 「誰が?」 「みんなだ。ハルヒも長門も朝比奈さんも古泉も俺も、それぞれが出来る事は限られていたけど、その中でみんな一所懸命生きた。詳しく教えてやることは出来んがな、しんどい事件も幾つかあった。投げ出したいと思ったこともな。それでも逃げなかったし欲しいものを手に入れようと頑張った。だから、楽しかったんだよ」 相手が子供だからってキョンくんは誤魔化したりしない。とっても真面目に答えてくれる。お前もな、面白くないとかつまらないとか言う前に何かしてみろよと低い穏やかな声音で諭した。昔から大好きだったキョンくんの声だ。 「…つらかったの?」 私、知らなかった。 「少しな」 「投げ出したいと思ったことも?」 「一瞬な」 「でも、楽しかった?」 「凄く、な」 そう言ってキョンくんはふわっと笑った。淡く明るい色の花が一瞬で開いたような、晴やかで優しい笑顔だった。 一所懸命生きればそれがそのうち良い思い出になると、頭を撫でてくれたキョンくんの目は遠く、もの凄く遠くを懐かしそうに眺めていて、私は何故だか泣きそうな気持ちになる。 キョンくんが今の私と同じ高校一年生だったのってたった5年前なんだよね。 たった5歳しか違わないのに…。5年後には私はこんな顔を出来るようになるのだろうか? ちょっと羨ましく、ちょっと悔しく、そしてこんなことを何の気負いなしに言えるキョンくんがとても格好良く誇らしく思えた。ブラコンって言われても良い。やっぱり私キョンくんが好きだ。 「わかったよ、キョンくん」 「そうか」 「うん、誰かが何かをしてくれるかもって受け身じゃダメなんだよね。私も行動するよ!自分で探す! 面白くないなら自分で面白くすれば良いんだよね!手始めに宇宙人や未来人や超能力者を探してみようと思うの!」 キョンくんの呆れ顔が見たくておちゃらけて言ったのに、予想に反してキョンくんは感電でもしたかのようにびくりと体を強ばらせ、「げっ!」と引きつった声を出し、本気で情けなさそうに顔を歪めて額に手を当てた。 「…それだけは止めてくれ…。頼むから…」 ほんの冗談だよ?何でそんな顔するの?キョンくん。 |