たった1つのシークエンス:終わりなき夏のはじまり


 涼宮ハルヒという少女は人より並外れてバイタリティがあり我の強さを持っているが、存外常識人で、他人の意志を無視して己を通したりは…まあちょっとはするが、満足の行く結果が得られなかったからと言って世界を変容させたり…の前科はあるが、納得するまで何度 でも過去をリセットするようなハタ迷惑な独裁者ではない。…本質的には。
 確かに周りを振り回し無意識に奇妙な力を使い世界を歪めたりもするが、何もかもパーフェクトに思い通りにならなければ先に進まないという性質ではない。…あまり。
 やり損ねたことがあればそれを反省点にして次はより確かに、一回り大きく、と野望を広げ先に進むのが彼女だ。
 だから、ほんの些細な取りこぼしに納得せず、500年以上も夏休みを繰り返したのはきわめて彼女らしからぬやり口だった。


 孤島での合宿を終えたその時間軸と地続きの最初の夏休みの後半、その二日目にSOS団はハルヒの父親の友人が経営する山荘に来ていた。
 山荘と言っても大げさなものでなく、生駒の山をちょっと入ったところ、日帰りで遊びに行ける距離で、大仰な施設は何もない。
 脇を流れる渓流で涼みながらバーベキューや飯盒炊爨を楽しんだり、室内にある綺麗だが取り立てて特筆するところのないスパで汗を流すだけの簡単な場所 だった。
 正式なオープンは秋口で、今は知り合いを呼び使い心地を試してもらう期間ということで、SOS団以外の客は居なかった。
 ハルヒの号令の下、日の昇りきらぬ早朝に集合し、ハイキング気分で目的地へ。
 着くやいなや材料の下ごしらえをし、「ちょっと早いけどお腹がすいたし」とバーベキューを開始した。
 高校生の無尽蔵な胃袋が食材を食い尽くした時はまだ正午を少し回っただけの時間だった。
 食後は神の采配の下、女性陣は川遊びへ、男性陣は後片付けをと道が分かれた。
「後片付けは男の仕事って決まってるのよ!」
 ハルヒによればこれは差別でなく適材適所、互いの役割を善く振り分けたチームワークとのことだった。
 誰も反論しないが納得したからというより言うだけ無駄だと諦めているからなのは全員の一致した見解である。
 そんなわけで、男性陣が何をしているかなど気にかけず遊んでいたハルヒだったが、ひとしきりはしゃぎ一息ついた頃、そろそろ片づけが終わっているはずの二人が姿を現さないことに気がついた。
 これは怠慢だわ!私が活を入れるわ!と他の二人を置いて山荘に戻ると、はたして、先ほどまでバーベキューの下ごしらえをしていたテラスに二人は居た。
 ただし、二人きりで楽しく談笑しているというわけでなく、緩やかな沈黙が流れていた。
 使い走りの雑用にこき使われまくった黒髪の青年は疲れたのだろう、ロッキングチェアに身を任せてすやすやと眠っている。間抜けなまでに穏やかな寝顔だった。
 一方の副団長たる眉目麗しい青年は、そんな彼の寝顔を何やら万感交到る顔つきで眺め下ろしている。
 その雰囲気が何というかとても微妙で、さしものハルヒも立ち止まり様子を伺う。図らずも木の陰から盗み見をする形になってしまった。
 するといつもは穏やかで冷静な副団長が何やら意を決した緊張の面持ちで辺りをきょろきょろ見回し暫し逡巡した後
    !!!」
 身を屈め、眠っている友人の唇にキスをした。
 初めは軽く触れるだけですぐ離れたが、彼が起きないとみるともう一度。今度は舌を差し出し味わうように唇を舐った。手で彼の輪郭を確かめるようになぞりつつ。
    !!」
 彼が軽くむずかるように身じろぎをしたので、慌てて身を離したその顔はといえば。
 悪戯の最中を見咎められた悪ガキのように挙動不審に目を泳がせ、次に、彼が起きていないことを知ると酷く切なげに、何より愛しそうに彼を見下ろした。世界でただ一つの宝物を眺めるように。
 その後のことはハルヒは見ていない。
 我知らず全力でその場を立ち去っていたからだ。
 何だ、あれは。
 彼女は自問する。
 あれは一体何?
 今見たものの説明を彼女はつけることが出来ない。
 見たことのない顔。彼女の知らない二人。認めたくない情動。
 あんなものは知らない。
 混乱する感情。
 理解できない。いいえ。
 ざわめく心。
   認めない。
 拒否。

 そして時は遡る。
 彼女が認められるところまで戻される。ハイキングを立案したその日まで。
 あの情景を、なかったことにするために。

 自制を強要する情動的な行為、例えば犯罪などでも、してはいけないと踏みとどまっているうちはいいが一度実行してしまうとタガが外れて二度目からは容易に繰り返すようになる、ということはよくあることだ。
 しかもそこを超えるハードルは回を重ねる毎に低くなる。
 初めは極限まで追い詰められての行動で時間をリセットさせたハルヒだったが、二回目からはほんの少しの不満ででもダメ出しをするようになった。
 どうせ一回ダメにしたんだから、完璧な夏休みを送るまで繰り返してみよう、と。


 これが、あの、果てしなく繰り返された夏の始まりの真相である。
 ちなみに、生駒山の山荘に行くシークエンスは、そのきっかけとなる出来事は幾度もあったにも係らず二度と発生しなかったという。