(no title)




 春の陽気に誘われて河川敷を散歩していると、桜の木の下に佇む古泉をみつけた。いや、古泉の姿をした男がそこに居た。
「どうした?こんなところで」
 俺の家からは近いがヤツのアパートからは真逆だ。行動範囲に入っていないはずだが?
 軽い違和感を憶える。物理的距離のことだけでなく。
 しかもなんでそんなに懐かしそうな儚げな顔をするんだ?今にも消えてなくなりそうじゃないか。
「お久しぶりです」
「…はぁ?」
 大丈夫かお前、ほんの12時間前学校で会っているだろう。たった12時間でも会えなければ長いとか言い出すんじゃないだろうな?そーゆーのは寒いから止 めろって言っただろう。
「あなたにとっては半日ぶりなんでしょうね」
 妙な事を言うな。ん?もしかしてお前、朝比奈さんに連れて来られた別の時空の古泉か?
「時間はずれてませんよ。空間がずれているだけで」
 自嘲とも取れる笑みを浮かべ、本当に懐かしそうに俺を見つめ、1歩2歩近付いてくる。
「こっちの僕は元気ですか?」
 …どういう意味だ?
 じわり、と嫌な予感が背中を走る。
「こちらの朝比奈さんも長門さんもお変わりはありませんか?…僕の方では既にお二人とも在るべき世界にお帰りになられましたけど」
「…な…に、を…」
「こちらの僕は、あなたと仲良くやっていますか?」
 予感は確信に変わる。嫌な汗が噴出して来た。気分が悪い。
 目の前にいる古泉はこの世界の古泉じゃない。昨日の放課後「これは負けませんよ」と新しいボードゲームを嬉々として広げ、確かに初回こそ勝ったが何度か 対戦するうちにやはり負けが上回りしょんぼりしていたあいつではない。
 そういうこともあるだろうと納得出来るくらい俺の免疫はある。だがこの古泉にはそれ以上に不穏なものを感じた。
「…お前は、誰だ…?」
 酷く声が掠れた。その問いかけにそいつは絶望すら突き抜けたというような哀しそうな微笑を浮かべた。
「僕は古泉一樹です。あなたと、去年の5月まで一緒に居た古泉です。
 最後にお会いしたのは涼宮さんの作った閉鎖空間ででした。あなたと涼宮さんだけが取り込まれたあそこで、ですよ」
「最後?…って、あの後あそこは消滅し、俺たちは戻って来たじゃないか…」
 お前たちの居るこの場所に。そうだろ?肯定を求めて問うが、ヤツは静かに首を横に振った。
「違います。
 あの後涼宮さんはご自身とあなただけを活かして他の全ての環境を構築し直し新しい世界を作ったのです。
 あなたが以前居た世界は涼宮さんから切り離され、涼宮さんとあなたの居ない別の世界として放り出されました。
 僕はその涼宮さんが捨てた世界から来たのですよ」


     っ!!」
「…どうされました?」
 跳ね起きた隣下方から古泉の驚いた声がかかる。寝乱れたシーツから体を起こし俺の顔を覗き込む。寝起きにしちゃ顔付きが落ち着いてやがる。またこいつ人の寝顔を眺めてニヤニヤしてやがったな。そういうの、止めろってーの。…じゃなくて。
 …夢か…。
 見慣れた室内と馴染みの体温に、安堵する。
「うなされてましたが悪い夢でも?」
 見ていたなら起こせ!
「苦悶に歪んだあなたの顔というのも新鮮だったもので」
 あぁ!?
「…あ、いえいえ、そういうわけでなく、あー…、起こす間もなく跳ね起きられましたし。うなされていたのはほんの僅かな時間でしたよ?本当です。それに悪夢は悪いものではありませんよ。目が覚めた時安堵できる、現実でなくて良かったと思えるのは良いことでは?」
 詭弁だ。夢であれ辛い思いはしたくない。
「古泉」
「何でしょう」
「この世界は本物か?」
「突然また…異な事を聞かれますね。
 何を以って本物とするかがまず難しいですけどね。
 僕の唯物論をたしなめたのはあなただったじゃないですか。この世界は虚偽のものかもしれない、涼宮さん以前は存在しなかったかもしれないと申し上げた 時、『誰かに作られたとか関係ない。嘘か本当かなんて考えるのは無意味だ。俺が居ることが唯一の真実で、俺が居る以上この世界は俺にとって意味があるし本 物なんだよ』とあなたはおっしゃったじゃないですか」
 確かにそう言ったしその考えは今でも変わっていない。
「俺にとって俺の世界は真実だ。ある世界に俺がいるからその世界が本物なんじゃなくて、どの世界でも俺が居る世界が俺にとっての本物ということだ。だが他の人間はどうなんだ?俺がとは言わない、ハルヒが弾き飛ばした人間…例えば採用されなかった夏のシークエンスの中で、その時だけ生まれた命があったとして、そいつにとっての真実は何処だ?そいつらはこの世界では嘘なのか?」
 今さっき見た夢の話を聞かせる。
 去年のあの時てっきり戻って来たのだと思っていたが、実は外見上は前と変わらないが全く違う世界に入ってしまったのだという夢。こっにはハルヒも古泉も長門も朝比奈さんも居るというのに、元の世界からはハルヒと俺が消え、その結果として長門も朝比奈さんも居なくなったという悪夢。ただ独り、古泉だけが残されていたという。
 俺はこの時、古泉に何か前向きな発言を期待していた。
 この世界が嘘だとは思っていないしあの時間違いなく帰ってきたと確信している。だってそうだろうが。以前と全く同じ環境なら新しく作る必要がないだろうが。…いや、そうじゃない、ハルヒは“この世界も良いかもね”と選んで留まったはずだ。だから新しい世界のはずがない。さっきのはただの夢だ。最近のドタバタ と無意識下の不安と俺の想像力が見せたまやかしに過ぎん。
 そう思っていても誰かに  誰より古泉に  はっきり言って貰いたかったのだ。
 だってぇのにこいつは。
「僕にとってもあなたと同様にこの世界は本物ですが、本当に去年の5月と地続きなのかは保障出来ません。
 あなたが夢でご覧になったように、あれ以前は切り離され、今の僕たち  あなたと涼宮さん以外  はあらたに作られたのか もしれませんよ。
 “僕”は夢を通してそのことを訴えにきたのかもしれません」
 …てめぇ、いたずらに不安を煽って楽しいか?
「とんでもありません。あなたが不安に思うことは一つ残らず肩代わりしたいと思ってます。
 今回のことだって、本当はただの夢で、僕は昔から、それこそ去年の5月に転校してくる以前から僕だったと思ってますし、本物だと言い切れます。第一、不 採用にした世界と同じものを作るだなんてそんな無意味なことをあの涼宮さんがするとは思えませんしね」
「じゃあ何でそんなことを言う」
 かなり心臓に悪いぞ。
「…憐憫、ですかね」
 はぁ?誰に対して哀れみを感じるってんだ。
「夢の中の“僕”に対してです。
 その世界の“僕”は消えていないし元気そうだったんでしょう?ただあなたと涼宮さんの居ない世界に生きている、と。それはある意味消滅よりきついです。
 哀れですし、自分の身に置き換えて考えるとぞっとするどころではありません。
 翻って己の身の幸せを感じ、“僕”への同情から『そんな世界はない』と無下に否定するわけにはいかなかったのですよ。
 あなたのいない世界で生きていかないといけないなんて…。他の全てが変わらないのに、ただあなたはいないだなんて。…死ぬより辛いですよ、それ」
 死ぬなんて気軽に言うな。
「言いすぎじゃありませんよ。僕のこの世界での最重要事項は最早神人退治ではなくあなたと居ることです。…だから、決して居なくならないで下さい…」
 長門さんが改変した世界のあなたを知らない僕にですらあなたは居た。あなたの不在は涼宮さんの不在よりあってはならないことなんです。
 その口調は軽口を装っていたが口元は微妙に強ばり目には隠しきれなかった不安が浮かんでいた。
 …何てこった。
 俺は自分が安心したいばかりに古泉を不安の淵に突き落としてしまったことに気付いた。こいつにとって身の毛もよだつ可能性を示唆してしまったのだ。
 良く考えりゃ閉鎖空間以外ではこいつもただの高校生だ。しかも実はかなりのペシミストときている。ただでさえ色々背負い込んでいるこいつにこれ以上心配の種を植え付ける気か。
 俺は何の特別なところがない普通人だ。こいつらが足掻いている世界で俺が出来ることってのは殆どない。だがだからこそ、俺に出来ることがあるならしてやらなきゃならない。いや、してやりたい。
 これ以上古泉に心労をかけたくはない。安心させてやりたい。
 そう思うと先程まで感じていた不安は霧散した。人間、守るものが出来れば強くなるって本当かもな。
「俺もハルヒもお前たちが居ない世界なんか望んじゃいない。そんな変な風に世界が歪んじまったとしても、どうにかして戻してやるから安心しろ」
 なるべく自信たっぷりの声でそう言って頭を乱暴に撫ででやる。すると古泉はみるみる緊張を弛緩させ、やけに力強く微笑んだ。
「あなたのご覧になったのはただの夢ですよ。断言します。
 だってもし本当に世界が切り離されていたのだとしたら、あなたは絶対に助けに来てくれるはずです。あなたに救われなかったという一点を以ってして、その世界は実在しないと僕は保証いたしますよ」
 互いに何の根拠もない大いに願望のこもった言い分だったが、それで奇妙なほど落ち着いた。
「…寝る」
 もう起きても良い時間だったが、思うところあってもう一度布団に潜り込む。
 ええ、と同意して古泉も一緒に横たわった。
「おやすみなさい。さっきの夢の続きを見て“僕”を助けてあげて下さい」
 驚いた。
「…俺も今そうしようと思っていたところだ」